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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2007-10-29 旧橋・・・ この日を編集

[ORJ] 初校できた。

画像の説明ファイルサイズは4MB程度。中編だがこれで大仕事が一つ片付いた。結構手間がかかってるぜ……(って余計なところに力入れてるのがいけないんだけどな。何に使おう?>図)。言いたいことは沢山言ったし。

[Web] オブローダーマップ

あのあとWindowsで確認してみて、IEでblinkできないことを初めて知った。あれ、IE依存じゃなかったのか。

今日は何もしないで寝よう。と思っていたら一つアイデアを思いついた。しりとり掲示板だ。一言掲示板を「しりとりでないと投稿できない」ように改造してしてやれというもの。17文字制限つき、最後に「ん」がついたら全ログが飛ぶ。

もちろん真面目に作るつもりはない。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 酷道774号 [>しりとり掲示板 過疎ると、しりとりで埋める某板某スレがあるからいいよ]

_ nagajis [残念だなあ。そういえばそうだ。 間違えるとサーバが落ちるとか、 そういうスリルがあったらどうでしょう<なぜこだわるか]


2008-10-29 何かキター この日を編集

[廃道本] 廃道本キター

画像の説明そうか・・・これを受け取るために家に居なきゃいけなかったのか。

中身は恥ずかしくてまだ見てない。ただ届いたという眼前の事実を確認するに留めておく。

というか今猛烈に眠い。梗概初校も目通さなきゃいけない。


2009-10-29 この日を編集

[独言] 補足

画像の説明朝起きて掲示板に報告して追記。確かにこれは気になる・・・。でかでかと「隧道」と彫られているのもいい。

画像の説明あれ、よく見たら明治四十四年竣工になっているな。こっちは新しいんだろうか?

今月の煉瓦または探近土ネタとして使わせていただきまーす。

[企画] 四日市製紙軌道

22、23の連休(のどちらか)で大台の四日市製紙軌道を歩いてみようと思っている。堂倉山の南から西へ2300間。東のトロ道は今回はあきらめよう。どのみち1日でどちらも行くのは(大台山の家に泊ったとしても)無理だと思う・・・その辺り識者のご意見賜りたく候。

たぶん西日本で最高所のトロ軌道跡。東大台を丸裸にした張本人。隧道2本あり。求む探索者。

[独言] というか

ぷれぜん完成させろと。

CFを取ってくるついでに滋賀県議会議事録を読んでしまいドツボにはまる。なぜ最初にこれを読まなかったのか。50円の隧道監督技手って誰だ。

[独言] 何か!

何か大切なことを忘れてると思ったらホルモン焼きさんの投稿だったッ!

次回は独立記事でお届けします〜と大見得切った割に忘れている非道なnagajis。石投げてください・・・

[独言] まことにどうでもいい独言

ラーメン一つだとお腹一杯にならない。かといって二つ作ってしまうと余りがち。悩む。

それでふと高校時代のフッチー先生のことを思い出す。カレー2杯食べてもお腹一杯にならない、3杯目を食べるかどうかで悩む、と語ってくれたフッチー先生。あのガタイを維持するにはそれくらいしないといかんのだろうなあと思った次第だ。

一玉放り込んだところでそれを思い出しこれを書き始めてしまったため一玉の食事である。具はない。

[ORJ][KINIAS] ぷ

たぶん閑静。歯切れが悪い。軽く流して29分(何故増えた???)

[独言] どこだっけ?

何かの議論で「歴史抜きでやったら?」みたいなことを言われたことがあるような気がする。その時も「具の真骨頂」とか何とか言っておいた気がする。その場面がどこだったか思い出せん。うーむ。

そのへんが必要なければORJなんてやらなきゃいいのよ。ハイハイ廃で終わればウケがいいのは当然なのよ。考える必要ないからねぇ。消費するだけだもんねぇ。作るほうも楽だしねぇ。売れるだろうねぇ。

辞書編纂者と同じ。わざわざ可能性の芽を摘むようなことはしたくないぞ。だったか・・・。部室で、だったっけか。

やってることはあれから変わってないはずなんだけど、単調は感じるなあ。次に何をしようかということがない。信念曲げてまで迎合しようとは思わないけど、なあんか変わったことをしないとなあ。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 渡辺(仮) [歴史のみ。図・写真なしの文章のみ。読者が必要に応じて現地確認を要する記事。「歴史抜き」と対象でやってみたら面白いかも。]


2011-10-29 この日を編集

[ORJ][web] ダウンロードページ修正

アンケート結果を反映するようにした。入れ子のなかでwidth=100%指定するとウィンドウ幅取りやがるのは正しい仕樣なのか>IE。そのせいで描写後にJavascriptで幅指定し直すという力技が必要になった。1024幅以下だと崩れるが仕方ない。

デフォルトで閉じているのはネタバレにならないようにという配慮のつもり。読みたい人は面倒だがひとつひとつクリックしていただきたい。

いけね。。。enq_dir決め打ちなままだった。修正。閉じるが効かないな。そのうち治そう。

[絵葉書][橋梁] 東京:日本橋

画像の説明

高架が覆ってなかった頃の日本橋。彩色絵葉書としてはそこそこきれい。なのだけれども、色彩に乏しい印象を受ける。緑が少ないのも意外な感じがする。水の色はきれいなんだけどね(きれいに塗ったのか?)

町の色彩はここ数十年で飛躍的に豊かになったと思う。JTBの大阪市電のムックで、昭和30〜40年代のカラー写真@大阪市内を見ることができるけれども、この絵葉書と同じような印象を受けた。原色が少ないのと色のバリエーションが乏しいのがその原因だと思う。道路の土色。黒か白かの自動車。薄汚れたグレーのビルヂング。あと茶色。そういう地味な色が占める割合が大きくて何だか寂しい感じがする。看板が乱立してチカチカするのは願い下げだけれども、もう少し色があったほうがうれしい。

一つ発見。日本家屋の屋根瓦が国鉄色系統なものだから左のビルの白さが際立って見える。「白亜の殿堂」みたいな表現が建物のプラスのステータスたり得たのはそういうせいなんじゃないかしらん。緑に包まれているよりも、都市部にあって、都市景観のなかで目立つ白色だったから「おお〜」と思われたのでは。

[絵葉書] 雑:大阪亀の瀬隧道陥没

画像の説明3枚100えんというバラ買いにて。昭和のはじめに亀の瀬一帯が地すべりを起こして関西本線亀の瀬隧道が潰れた時の絵葉書。隧道に落ち込んだ土砂による陥没が数十mくも波及して地表にまで達した。同じもの&他のものをJSCEの附属図書館の絵葉書ライブラリーで見ることができる。

昔の人はこういう災害が起こったときに絵葉書にすることが多かったらしく、関東大震災でヒビが入った二重橋だとか阪神大水害だとかの絵葉書も多く存在する。亀の瀬地すべりでも多くの見物人が訪れたといい、そのためにこんな絵葉書を作ったり(当然現地で売った)、見物人相手の茶店を出したり、被災した家を見学させてお金を取ったりしたのだそうだ。今感覚で言えば「不謹慎」なんだろうが、災いを少しでも収入に転じようというしたたかさは見習うべきなんじゃないかしらん。こうして絵葉書にしてくれたお陰で約百年後の私が見ることができているのだし。今回の震災、南紀の雨災害もやってはどうか、と思ったりしないでもなかったが、ネットとデジカメが普及していやが上にも写真が残る今日なのだから、なくてもいいのか。ともあれ当時の人々の「考え」がわかる絵葉書で面白い。

[絵葉書][橋梁] 東京:皇居二重橋

画像の説明

というわけで皇居二重橋。うっすら彩色されている。確かにこの橋に使われている石材は黄みがかったクリーム色をしている。昔はこれくらい印象深い明るさだったんだろう。

皇居なのだから昔も今も変わらないだろうと思ったらそうでもなかった。この間撮ってきたやつとほぼ同じ構図でもっと寄っているはずなのだが手前の堀が入ってない。埋め立てられて広場になっているようだ。

画像の説明

[絵葉書][橋梁] 群馬県:八ッ場大橋

画像の説明比較的橋がメインな写真なので贖っておいたのだが、あとで説明を見て八ッ場ダムの辺りなのだと知った。この辺りは沈まないみたいだけど木桁だから当然残ってないだろう(いまの滝見橋の辺り?)

画像の説明

橋のアップ。方丈部には折点が四箇所あって、大杉谷で見たものよりもさらにアーチらしくなっている。単純な方杖にすることのほうが少なかったのかも知れない。木橋の構造だったか木造トラスだったかの系譜はJSCE-Lib.の土木史研究講演集にもあった覚えがある。今度ちゃんと読んでおこう。

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00902/2004/24-0029.pdf

ふむふむ。木造トラスの論文だった。古写真や絵葉書から木造トラスだった橋を収集、その構造を分類と。キングポストトラス1、クインポストトラス2、ハウトラス3〜17、ボーストリングトラス18〜23。あれ、キングポスト/クインポストの分類の仕方が自分の理解と違うな。これだと時計橋はキングポストトラスでいいことになる。クインポストとハウの境界もあれだな。 日本建築でいうところの真束=キングポストトラス、対束=クイーンポストとラスという分類のようだ。で対束が3本以上+はすかいの材が入るとハウトラスと。ふむ。このハウトラスというのも直弦のトラスを総称しているものらしい。形式的にはプラットの忠節橋が入っている。ボーストリングトラスというのも曲弦トラスの総称のような扱いだ。この辺りの分類は人や場面によって変わってくるので注意が要る・・・。

そして何故か持っている忠節橋。

画像の説明

曲弦のトラスが最も多いというのは意外な感じがする。もっとハウトラスが多いかと思っていた。

画像の説明

むしろ五十畑氏のこちらの論文のほうが詳しいかも。

http://www.civil.cit.nihon-u.ac.jp/~isohata/paper/pdf/040.pdf

野沢房敬の木造橋の本は近デジで見ることができる。彼が滋賀県で架けた御幸橋は開通式の当日に落橋した。そのへんも一度詳しく読んでみたかったのだけどすっかり後回しになってるなぁ。そんなものだなあ。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ TUKA [日本橋は今年で竣工100年だそうで、本日その記念イベントが開催されたみたいですね。]

_ iso [前日のRCクイーンポストトラス(?)ですが、鋼橋では「ワデルトラス」という名称が与えられてますね。http://bit.ly/tZaetS (出典:wikipedia英語版。日本語版はその訳+加筆..]

_ nagajis [亀の瀬の絵葉書はたくさん作られたらしくてあちこちで見かけます。地滑り資料館にも現物がありました。 そういえばそうでしたね>日本橋。ラジオで100周年といっていたのを思い出しました。そういう意味では..]


2012-10-29 この日を編集

[独言] なんとか

スケジュールの最底辺をトレースちう.自分では頑張っているつもりだが,「頑張っている」「つもり」ほど質の悪い冗談はねえなあ.まあ,今日はちゃんとそれ以外も進められたのだからまだましだと思わねば.

そうしてだんだん次号の原稿が気になり始めている.次号月報は前号前々号ほども長くならないはず.まだ一回しか出られてないし.その分を急に回してもよいが,そこまで時間があるかどうか.だいいち大鯛だって書かないといかんのだろう>nagajis.というわけで珍しく「ネタはあるが書く時間がない」という現況.なので花でも見て和んでください.

画像の説明

[独言][pdf] JPEG2000はやめれ

頼むからJPEG2000圧縮使うのはやめてほしい.そんなにサイズかわらへんやんし,結局のところ情報量というかレイアウトというかは××の△△△やんか.見れたらいいだけやんか.Acrobat6.0も使えない環境だってあるんだし.Androidでもなんしか読まれへん.

あと,コピー不可なpdfほど役に立たないものはない.アウトライン化したものは仕方ないとしても,なんでわざわざテキストコピー不可設定をするのか,理解に苦しむ.書き換え不可だけでええやん.

と,未来技術遺産のpdfと格闘しながら毒づいたことだった.

[web] りすメールのばか~

nutsでも使えるはずのりすめーるで設定が吹き飛ぶ事態に遭遇し呻吟している。ちまちまと構築してきたSPAMフィルターがきれいさっぱり無くなってしまったのでまた一から作り直しだ。(原因はよくわかっていない。受付の設定がcookie経由で感染した?)

基本的にHeaderの特定文字で問答無用にnegるようにしている。サブジェクトや本文の得ろワードで取捨選択してもいいのだが、そういう目的であってもバイアグラとかおまんこクチュクチュとか卑猥ワードを入力したくない。品性が疑われる。

X-Mailerがphpのまんまとか明らかにSPAMシステムのなんかは篩分けが楽なんだが、中には微妙に巧妙なやつもあって困る。そういうのはReceived:のIPで一つひとつ切って捨てるしかないのだが、そういう奴が同じIPを使い続けるとは思えず(そもそも本当のIPなのかも不明)、あまり効果が望めないのが辛い。BSとか見いひんねん。デジタル移行とかしてへんねん。そもそもテレビないねん。SPF見てざっくり切り捨ててやろうかしらん。

あと、charsetがiso-8891-1とかus-asciiとかもnegるよって、英語で送られても気がつかへんから注意されたい(誰に言っている?)。

ちなみにORJから機械的に送っているメールのUAは白山羊さんである。おかもつ氏の真似である。そうしてそのことにツッ込まれたことはない。萌えには無関心だがX-Moeとかつけたくなる気分は好きな質である。

[D] 10/29

うーむ。何かこう、リアリスティックな夢を見た気がするのだが、よく思い出せない。「最近夢を見ることが多いなあ、気分がリフレッシュされていいなあ」と思い、ネタが尽きないことに歩区疎遠だのは確かなんだが。

見た夢のことを書いているとそのうち明析夢が見られるようになるそうだが、そんな傾向は微塵もない。いつだって本気に夢の主人公を演じている。そのほうが面白いようにも思っている。

[コアダンプ] 羨み・妬みをふりほどくための独言

建築分野の人がつくづくうらやましい。やっかみや妬みすら感じる。幾らでもネタがあり、掘り下げるべきベクトルの方向があり、それを飯の種にできる。一般の認知度も高く、保存運動が運動として継続する素地がある。見て「ああ」と思えるものがある。鉄道も若干それに似た羨ましさを感じる。

廃道なんて、どうだ。地味で、写真を見せただけでは伝わらず、一生懸命解説すればするほど人の興味が遠のいていく。遠のいていくのを肌で感じながらなお話を続けなければならぬ。でないと説明し切れないからだ。だからといって説明をなおざりにすれば真の意味が伝わらない。目の前にあるものが全てではない、むしろ目に見えてない部分のほうが意味があり、それを記して残していく必要があるのだという主張を主張できない。そうして頑張って廃道を語ったところで飯の種にはならぬ。せいぜい一時凌ぎの泡銭が得られるか、奇異の目で見られて記憶の片隅にうろ覚えられるだけだ。

だから廃道に拘っている。誰の共感を得られなくともいい。しなければならぬと信じたことをやっているのだ。それで行き着くところまで行き、果てるなら、それこそ本望というものじゃないか。

「建築家」というカテゴリーのイメージがよくわからない。古い建物を無上に尊ぶ人もあれば、梅田スカイタワーや京都駅をもてはやす層もある。いかに効率よく経済的な建物を作るかに心血を注いでいる人もいる。その互いが互いに非難し合っているような印象がある。建築はもとより主張をする構造物であるがゆえ、その追求も主張的になりがちなのかも知れない。廃道には主張がない。廃道が自らを主張することがない。森に埋もれて眠っているだけの存在であり、やがて自然に還り尽くして存在すら忘れ去られることを望んでいる。廃道を訪ねてそのことを書くことは、眠っているそれを叩き起こしてもう一働きさせようという行為なのだから、勢い自重が先に立つ。矛を振りかざしてみたり、他を貶めてまでして主張することでもないだろう。そんな滋味を草食系と表現するのが今の世の中ならば、その世の中とは別の場所で綴り続けるまでである。そもそも建築と道(土木)を並列扱いするのが間違っているがな>nagajis。

※別に何か悶着があったわけではない。[コアダンプ]は思ったことを適当に書き散らすカテゴリである。悪しからず。

[独言] 小心者

間違って30日に追記してしまい、その日付を見て残り日が少なくなっていることを思い知らされたことが嫌で、やっぱり29日の最後に移動させたnagajisは小心者である。


2014-10-29 この日を編集

[ネタ] でけた

うはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。うは。うはははは。うはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。うははは。うはははははははははははははははははは。うはうは。うはははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。

製作に9時間、食い切るのに2時間半かかった。今後の課題である。あと毎回計算が合わないのはどうかしている。側壁が低すぎたのだ。ほんとうは4段積まなければならなかった。

[] 長岡新吉「産業革命」(教育社歴史新書)

あまり聞かない新書だったのだが、ピンポイントで興味のある分野に刺さってきた。標題の「産業革命」は我が国の明治以降の急激な近代化を指して用いられているもので、要するに日本の近代化の歩みを教えてくれるものである。日本の近代化の過程を「産業革命」と呼ぶことの是非は今でも時々議論になるのだけれども、この本は1979年第1刷(手元にあるのは1980年第2刷)なので、かなり早い時期からそんな捉え方があったということになる。

著者は経済学の先生で、経済学の視点から近代化を分析しーーー産業革命によって日本に資本主義が成立したのだという視点からその時代の産業史をいようという容だ。自分にはいちばん欠けている視点なのでたいへん興味深く読んだ。

本書では我が国@近代で起こった産業革命として、紡績業、鉱業(石炭採掘)、鉄道業の3つを指摘していて、中でも紡績業に大きな比重を置いて解説がなされている。最初にガラ紡の発明があり、洋式紡績機の輸入と普及、その改良、中小紡績業の勃興と普及の陰に座繰紡績機の発達があった。そうやって生産した糸の質がたまたま諸外国の織物業の要求にマッチし(特にアメリカでの織物業発達に因るところ大という)、シェアを拡げていったこと。そんな紡績業の歴史を技術変遷も踏まえて細かく解説されているのがありがたかった。ただ単に安価な労働力を頼りに低価格の絹糸を作ったから売れたのではないのだ。

冒頭で宣言されているように「機構」の解説に結構力が入れられている。紡績機が均一な太さの糸を紡ぐために様々な工夫が凝らされていたこと(および機械によって紡げる糸の太さが違うこと)などはこの本を読んでようやく理解できた。ガラ紡とリング紡織機とどう違うのか、とか。もうちょっと動作がわかりやすい図だと良かったのだけれども、そこは出典を読めということなのだろうし、本来なら自分のほうがちゃんと知ってないといけない話題なんだよな。機構とか構造とかさ。

紡績業だけでもかなり複雑な経緯があって、一読しただけでは頭に入らない。 何度も読まないといけないな。そんなものだから、富岡製糸場の果たした役割をきっちり理解している人なんてどれほどいるだろうかと悪態をついてみたくなる。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ tyaffic [これだけ並んだ「は」の中に、ひとつだけでも「ほ」を混ぜないというところが、まさにnagajisクオリティ!]

_ nagajis [心の底から沸き上がる感情に嘘偽りだまくらかしを混ぜ込んでどうするのさ?]


2016-10-29 この日を編集

[きたく] 不発続き

画像の説明

こんなに天気がいいというのに。友ヶ島汽船強風運休トラップにはまって渡れなかった。無人格に向かって呪いの言葉を吐いて去る。その後ちょっとだけ発見があったのでよしとする。

鳴門市史は偉大である。

[煉瓦][] 農商工広報(分析報文第1冊)号外「ホフマン氏楕円形赤色煉瓦窯の解説」(1887.4)

…窯室の肩辺に於て之と並行に省なる焔道を造り而て此焔道は全く外部との連通を閉絶し只内部に窯室と同数の戸を設け且天井にも窯室の天井にある四個一列の小孔と適応する所の穴を具う而て此孔を閉ずるの法は一に窯室に於けるものと異なることなく但、形の稍々大なるのみ斯くて此孔と四個一列の孔とは殊に木製の箱を以て相連絡するを得べしさて所謂熱を利用する方は先ず右焔道を一は冷却せしむる所の室と連絡し一は生煉瓦を充積して将に焚焼を始めんとするの室と通ぜしむ勿論此室は隔戸を以て其前後なる隣室と隔絶せしめ只焔道のみ開放し置くなり然るときは空気は現に冷却せしめんと欲する室より木製箱を経て小焔道に入り煙突の風力に誘導せられて右前後渾て隔戸にて閉じたる所の室に入り其道を通過して煙突に達す因て寒冷なる空気は温暖なる煉瓦を通過するが為めに其熱を受け直に之を生煉瓦に与えて水分を蒸発乾涸せしむるなり但小焔道の中途にある戸を閉づるの方は贅言を須たずして自ら明なるべし且此焔道と四個一列の孔とを連絡するに一列にて充分なるか或は二乃至三列を要するかの疑問に至ても実験の後容易に知ることを得べし

ていうけどさ、付図には小焔道の隔戸が書かれてないんですけど。。。窯各室の隔壁は濡らした新聞紙はっつけてこさえてたらしいが。やっぱり落とし戸か何かなんかなあ。

続いてこの焔道(小焔道)の必要な理由が書かれてある。生煉瓦を充分乾燥させることができない時、あるいは粉炭の燃焼によって多量の水分を生じ、これが生煉瓦(冷えてる)に接触してその水分が凝縮するようなことがあるような時は「緊要欠く可からざるものとす」、しかるに生煉瓦を充分乾燥させとけば水分凝縮の患いがない(そんなときは省いてもいいYO、とは書かれてない)。

水分が凝縮するとそこに燃生物とか灰とか付着して輝色不良ならしめる。要するに見栄えが悪くなる。赤色煉瓦じゃなくなる。大阪窯業とか岸和田煉瓦とかのよく焼けた赤色VS表面が暗褐色〜紫っぽくなってたりアバタ吹いてたりするようなやつの違いか。

実際の窯では「小焔道」を省いたものが多い。焼成室の中の空気がすでに、冷却中の室→燃えてる室→将に焚焼せんとする室→煙道という流れになっているので、わざわざバイパスさせてやる必要はないっちゃあない。けれども冷却のため取り除いた熱を乾燥に使えるんだったら熱の無駄遣いが少なくなる。盛んに燃している部屋の温度も下がらずに済む。印南郡の窯は頑張ってっも温度が足りんかったらしいからバイパスできたほうがよかったんだろう(小焔道がなかったから温度があがらない可能性が指摘されている;「赤煉瓦産地診断書」)。

燃焼室同士は濡れ新聞紙で蓋をした。燃焼場所が移動すれば自然に燃えて封鎖がなくなる。ただその新聞紙隔壁のせいでそのままじゃ乾燥させたい煉瓦のところまで届かない。だから小焔道経由で熱い空気を送り込んでやる必要があった。しかしその空気は煙道経由で排出することになっていた。農商工広報の通りであれば燃焼室の数室隣の乾燥させたい室の煙道だけを開放させ、そこへ向かって空気が流れていって余熱乾燥することになっていた。それじゃあ紙隔壁破れちまうじゃんかよ。てな感じでわからなくなる。燃焼させてる室の煙道、ならまだわからなくもないのだが。

大高の改良ホフマン窯は小焔道と煙道を連絡させ、各燃焼室ごとに設けられたそれに開閉可能なダンパーを設置、そいつを操作することで各室ごとに小焔道への吸気と排気、燃焼室からの排気(煙道経由)をコントロールすることができた。そうなると箱も小焔道の隔壁も必要なくなる。燃焼室を飛び越して冷却室の熱い空気を乾燥させたい室に送ることが容易にできる。たぶんその後その空気を窯の上に出して窯上に設置した「乾燥室」に導き乾燥を促進させてた(それを燃焼室にもってって余熱乾燥→焼成)はず。


2017-10-29 この日を編集

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060455/443


2018-10-29 この日を編集

[独言][煉瓦刻印] 丸丹マークと筋の関係

画像の説明

創作イタリアン丹治さんはずいぶん繁盛してはるようで、予約なしで行ってしまった私はいつ空くともわからない空き席を待つ羽目になった(そりゃそうだ、ジャストお昼時に飛び込みで行くほうが悪いのだよ)。その待ち時間の間に例の透かし積みを眺めていて面白いことを思いついた。刻印の向きと筋との位置関係をこの壁で確認できるんじゃないかと。

関西地方の手成形煉瓦には平の一方に顕著な傷がついている。一方の長手の縁から平内側に向かって数ミリ~1cmほど入ったところに長手に沿う傷がある。煉瓦を製造する際の作業痕と考えられていて、その成因にはいろんな説があるけれども、決定的なものがない。高々100年前の人の仕業であるのにどうやって作っていたかも不明になっているわけで、どうにかしてこの傷のつく理由を知りたいと常々考えている。

ありがたいことに?丸丹マークは天地がある。「丹」の字が正しく読める向きが、このマークを打刻した際に煉瓦が置かれていた向きであるはず。マークの向きが作業配置を記録しているともいえる。好き好んで逆さまに押したり横向きに押したりすることはまああるまい(よほど退屈して「違うことやったろ」とか思わん限り)。

このマークと筋の位置関係を確認したら、筋の成因についてなんかわかるんやないかと、そう思ったわけである。ついでに丸丹は裏表に押されるタイプなので必ず筋の側に刻印があるという利点もある。

丸丹マークが小口前(縦長配置で正しく読める向き)で押される場合は、マークの右側か左側かに筋がくることになる。左側を「|丹」、右側を「丹|」としよう(写真の煉瓦の場合は「|丹」)。長手前配置の場合は上か下かなので「 ̄丹」「_丹」とでもしとく。それで表の透かし積み煉瓦を端々まで確認した結果、明らかに筋が確認できたものだけで、

|丹:21個
丹|:19個
 ̄丹:4個
_丹:0個

という結果になった。まず「_丹」が全くなく長手前で押される場合は必ず筋が上になっている(筋が上になった配置の煉瓦に打刻されている)のが興味深い。そうして「 ̄丹」よりも「|丹」「丹|」のほうが多く、右左はほとんど同じくらいの数だというのも意外。どっちか一方しかなくても良さそうなのだけれど。煉瓦造りは流れ作業だったはずだから工場内で固定のやり方があったはずだし……。これはおそらく右利き左利きの反映ではないだろう。どちらも同じくらいの数だから。

煉瓦の表裏でマークの向きがどうなっているかも確認してみた。「|丹」や「丹|」の場合は裏表で刻印の向きが同じだった。「 ̄丹」は必ず逆になっている。長手軸にくるっと回すと刻印が正対するように押されている。長手を軸にしてひっくり返して打刻したことの証左だ。確かにそのほうがひっくり返しやすかろう、なにしろ2kgくらいある生乾きの煉瓦なのだから、必要最小限の移動回転で済む向きにひっくり返す方向に作業は洗練されていくはずだ。他社の刻印も長手前の場合は長手軸で回転させて打刻したものが多いような印象がある。五稜星なんかは長手前で、しかし筋側の刻印は筋を下にして置いた時に正対する向きだった。

以上の結果から勝手な想像をしてみた。播煉で伺った話では、前に粘土を詰めるための作業台、左手に台に直角に取り板を置いていたそうだ。作業台の上で型枠に詰めた粘土を型枠ごと持ち上げて回れ左して取り板に取った。幅約30cm、長さ約1mの取り板に4個から5個おナマをとって、それを取り板ごと一次乾燥場へ運んだ(天日干しする前に室内で乾燥させる場所があって、そこで一度ひっくり返して乾かしていた。取り板に取った際に下になっていた面も乾燥させ、天日干しで積み上げても型崩れしない程度に乾かしたわけである)。播煉では一次乾燥場でひっくり返す際に打刻したそうだが、丹治ではどうだったろう。

ふむ。「|丹」「丹|」「 ̄丹」が混在しているということは、成形時に押したものとは考えにくいちうことになる。成形者が型枠に詰めた直後に押していたら---粘土詰めてその場で打刻してという流れであったら例の筋との位置関係が単一になるだろう。刻印が押されるタイミングと筋がつくタイミングが同じ工程内であれば、丸丹マークが縦だったり横だったりはしないのではないか。(←は木枠の向きに好みがあったといことで説明できんこともないだろうけど。木枠を長手前に置いて粘土を詰めるのか小口前で粘土を詰めるのか二通りはあり得るが、播煉の方は長手前にしないと土を投げ込むのがうまくいかないといっていたし、確かにそうだと思うので、基本的にはみな同じようにやってたんじゃないかとは思う。少なくとも同じ工場内ではどちらか一方、流儀があったんじゃなかろうか)

筋が成形の時につくものだとして、ここで取り板が「左もしくは右」にあって、取り板の上で打刻したのだとしたら、「|丹」「丹|」が同じ程度の数できるかも知れない。例えば取り板を置く台が隣の作業者と供用になっていて、作業者の位置によっては回れ左だったり回れ右だったりすると。あ、そうすると粘土の山とか取り砂とかも共用できるな。こんなかんじで。

┌───────────────────────┐○:作業者
│  粘土    粘土    粘土    粘土  │
│  粘土    粘土    粘土    粘土  │
├┬───┬┬┬───┬┬┬───┬┬┬───┬┤
││○水○│││○水○│││○水○│││○水○││←取り板
└┘ ・ └┴┘ ・ └┴┘ ・ └┴┘ ・ └┘
   砂     砂     砂     砂

じゃあ「 ̄丹」が存在するのは何でなんだぜ? と考えた時に「|丹」または「|丹」と「 ̄丹」の比率がだいたい4:1だということに気づいた。取り板には5個くらい取ったというから、そのうちの1つだけ長手前で打刻した(その向きでの作業のほうが楽だった)としたら辻褄が合いやしないか。

┌───────────────────────┐○:作業者
│  粘土    粘土    粘土    粘土  │
│  粘土    粘土    粘土    粘土  │
├┬───┬┬┬───┬┬┬───┬┬┬───┬┤
││ 水○│││○水○│││○水○│││○水○││←取り板
└┘ ・ └┴┘ ・ └┴┘ ・ └┴┘ ・ └┘
○← 砂     砂     砂     砂

のいちばんひだりの作業者みたく。その向きでの打刻が次の作業に繋がりやすい向きだったのでこの側から打刻したと。

以上は成形担当が刻印を押すことを想定した場合だけれども、丹治煉瓦でも播煉同様一次乾燥のときに打刻したのだとすればどうだろう。最後の一個だけ長手前に押す向きで作業するのが楽だというひっくり返し方=長手軸でひっくり返す作業をしたのだとすれば、最後の一個は自然その向きから作業するほうが楽なんではないか。下図白丸の位置から長手軸に回転させようとするとかなり身を乗り出して作業せねばならない。そうでなくてもどちらかの手を長く差し出して作業せにゃならんのでそのうち疲れる。●の位置からだと同じ程度に手を伸ばして同じような力の入れ方で作業できるだろう。

 ┌──────────┐
 │┌┐┌┐┌┐┌┐┌┐│
           │ ●→│││││││││││
 │└┘└┘└┘└┘└┘│
   └───↑─↑─↑─↑┘
    ○ ○ ○ ○ 

ただこういう位置に立って作業できたかどうかは謎。棚から取り板ごと取り出して作業台か何かの上に移さないとこの立ち位置には立てないだろう。

取り板に取ったおナマの筋は、この時点ではすべて向きが揃っているはずで、それに対してどの位置から打刻するかによって小口前だったり長手前だったりするんではなかろうか。そうでなくて傷も一次乾燥場でつくんだったとしたら? それだと「|丹」「丹|」が同じ程度あること&「_丹」がないことを説明できないか。板のどちらがわから作業しても、その作業の手順が同じである限り同じものができあがりそうだ。

てなことを調べ、考え終えてもまだ空き席が生じなかったくらいに丹治さんは賑わっている。行くんだったら予め予約しとくべき。うん。

[独言] 御礼

てなことを書こうと考えながら仕事をしていると電話がかかってきた。丹治煉瓦の建物をリノベーションされた設計事務所の方からだった(泉大津越智嗣夫建築研究室さん)。レストランのシェフさんに厚かましくもお願いしていたワタリがこうも早く繋がろうとは思っていなかったのでビックリした。越智さんによればやはり建築年代は厳密にはわかっていないとのこと。堺市の教育委員会さんもずいぶん調べはったそうなので、それでもわからないということは本当にわからないのに違いない。先に住まわれていた方が住居として使用する際に手が加えられていたけれども、基本的な構造はほぼ当時のものと思われ(建具とかレリーフとか)、現在の形に改装するにあたってもできるだけ手をつけないよう&原型を保つよう苦心されたそうである。確かに内部の壁はわずかな鉄骨で効率的に補強してはる。考えてみればあの建物は煉瓦製の四角い箱でしかない(内部に間仕切りになるような構造がないのだ)からなあ。そうそう、リノベの際には遊離煉瓦は全く出てこなかったし、補強も最小限な加工でとどめたので、外面から確認できる刻印以外は見つかっていないとのことだった。そんなこんなの重要情報を賜ったのであった。

黄色矢印で示した位置には以前は別の建屋がくっついていたという(確かに壁にその屋根の形が残っている)。該煉瓦の辺りもその時に入替えられた可能性もないわけではない。ただその上の壁の煉瓦と本体建屋の壁の煉瓦は同じなので同時に作られたようでもあるし、ここだけ整形でないのは表から見えない部分だからかも知れぬ(建物本体も内壁側は通常仕上げの煉瓦だった)。このへんはもう一度よく観察してみないといかんな。

むしろ「丸丹」マークを使用し始めたのが「〓」マークより後だったとしたらどうだろう? 丸丹マークを明治時代の社章だと考えていたのはあの建物が明治30年頃建設されたという通説?に従ってそう考えていただけで、私自身は他の明治時代の建造物に丸丹マークを検出したことはないのだった(「〓」マークも年代が確定している構造物で見たことがないな、そういえば。箕面の桜井住宅地(M44分譲開始)で「〓」を見ているけれども溝だから確証は持てない) 。

↑の心配は杞憂。神戸臨港線の橋台(M40竣工)で丸丹が見つかっておる(神戸臨港線南本町架道橋範囲確認調査報告書)。

画像の説明「〓」マークは京阪神商工録(T7刊)に丹治煉瓦合資会社の社章として掲げられている。だとすると株式会社~合資会社の端境期、明治末から大正初期にかけてということになるのかも知れぬ。あるいは該当部分のみ大正期の後補と。そう考えるほうが精神衛生上よろしいのかも知れぬ。

ともあれ、お忙しい中手を止めて解説をしてくださったうえ、越智さんへご連絡してくださった上野シェフ、どこの馬の骨ともわからない私にご連絡下さった越智さんには、多大なる感謝を申し上げたい。(ここを見て下さったと言われてしまったのでビクビクしながら書いている私。なんとも小心者である)


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