nagajisの日不定記。
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日本のSF界は星新一が切り開き、小松左京がブルドーザーで地均しし、そこへ筒井康隆がスポーツカーで乗り付けてきた、といわれる(確か)。そのブルドーザー小松巨匠の作品は実はあまり読んだことがない。というわけで昨日入荷のこれを読んだ。
さすが巨匠やね、面白くて一気に読んでしまった。「日本三文オペラ」で哀愁漂う最後を迎えたアパッチ族が奇想天外な生態変化を遂げて日本に逆襲する。生身の人間である私なのに全力でアパッチ族に肩入れし、まるで雪辱を果たしたかのような気分になった。やはり「日本三文オペラ」とセットで読まなければ楽しめない。「鉄を食う」っていう暗喩はオペラにも出てきてなかったっけか。
「日本三文オペラ」が実史の脚色で、人間の生への執着としたたかさ、愚かさを描き切った名作だとすれば、「日本アパッチ族」はSF手法でもってそれを風刺しひっくり返すことで逆に生きることの意味を考えさせる傑作と思う。最底辺の生活にはまり込んで抜け出せなかった者たちが超人的な進化を遂げて、地位とか名誉とかにしがみついている、あるいは無気力無関心に生きている現代人と丁々発止の渡り合いをし、ついには壊滅させてしまうという流れは、実在した虐げられた人々への餞のようであり、そこに快哉を叫びたくなる気分の出処があるようだ。
またあの辺りを歩いてみたくなった。何も残っていないのは重々承知だが、片隅に転がっている煉瓦どもはアパッチ族と同じ時間を経験しているはずで、それが唯一の証人というか形見というかなものどもである。しかし両作品とも煉瓦はただの瓦礫としか扱われてなくて一寸可哀想だ(おやまあ