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2017-04-26 [長年日記]

[] 鷹部屋福平「橋の美学」

改めてしっかり読んでみると、力学的な美と環境調和の美が橋の美のキモなのだと言いたいのだということがわかった。すでに言い古されていることだし昭和17年以前からもそう言われていたことだから特に目新しい感じはない。逆にそういう思想がこの頃定着してたということであって、それがわかったので満足した。

それよりも細部のことばが勉強になった。水平が弱く垂直が強い。ゴシックがゴシックたり得る理由があるわけだ。橋は基本的に水平だからそのままでは弱い。その弱さを補うために垂直を入れてもよし、弱さを繊細に転じて景観に溶け込ませるのもよし。三好橋には力強さではなく繊細さが優先されているようだ。

[] 屋名池誠著「横書き登場-日本語表記の近代-」

縦書メインの日本語にどうして横書きが現れたのか。右から左に向かって書く右書きとその逆の左書きとが存在するのはなぜか。そのへんを文献資料から丁寧に読み解いていく。

帯に「・右横書きとは、1行1字の縦書にすぎない(略)これらはいずれも正確なものではない」とあったのに刺激されて読み始めたのだが、右横書きが1行1字の縦書きとして始まったことは確かなようで、ただし「に過ぎない」わけではなく、そこが正確でないのだと知り、ちょっとほっとした。扁額のことで何度そう書いたかわからんからな。

p.22で要約されているように「横書きは---右横書きも、左横書きも---横書きする外国語の文字との関わりから生じたもの」であった。そうだろうとうすうす感じていたことだけれども種々証拠をあげて解説してくられているので説得力がある。幕末の異国趣味の文脈のなかで横書きが流行し一般庶民の間に広まっていったこと。医学書や理工学書の翻訳で英字と日本語を併記するようになり左横書きが生まれたこと。それが縦書の右から左に読む流れと反するので、一般庶民向けにはわざわざ右から左に書いたこと(切符とか紙幣とか)。後半はちと読み急いでしまったので頭に入ってない。どうして左書きが優勢になったのかはそのへんに書かれてあった。

縦書本文に横書きを交えること。ORJを作っていてキャプションの扱いに悩んだ時期があったことを思い出した。本文が縦書ならキャプションも縦書に揃えるべきかも知れないが、写真は横イチが多いから、そこに縦書を添えるとさらに横長くなってしまい体裁が悪い。本文縦書とキャプションの縦書が重なることにも違和感があった。フォントを変えたりQ数下げたりしてもやっぱり縦つながりが並ぶのは違和感がある。結局、文と写真+キャプションは別のもの扱いのつもりで横書きに統一した。だいいちキャプで長々書いたってしゃあないのだ。

画像の説明関連して思い出すのは「道路の改良」の古い号(写真は大正12年12月号)。本文縦書で写真キャプションは右横書きだ。安倍川橋架橋の記事に関東大震災の被害を伝える写真を挿し込んだもので、実は本文とは全く関係ない。初めて見た時には違和感バリバリだったけれども、縦書きの行移りの方向に合わせているのだとか、記事とは関係のない写真+キャプションなのだとか、雑誌の性格だとかを考えれば納得がいく。縦書きに左横書きを併用するスタイルは大正時代に生まれたものだそうで(それ以前は縦書きと右横書きの併用オンリー)、この例は置いて行かれようとする古いスタイルの残滓であったようだ。んで大正15-昭和11年ころは両者が混じって使われた混迷期に当たるという。同じ雑誌の中でも縦+右と縦+左が混在していた。「道路の改良」該当号では横書きはすべて右横書きだ。
画像の説明

[橋梁] 浜田青陵著『橋と塔』(岩波書店 大正15年)

土木学会図書館のデジタルアーカイブでもう一つ見つけた。

 鉄橋の発生は同時に橋梁の形式に一大変化を与えた。かの鉄造の構桁橋に見るが如き、複雑なる曲線と直線との結合になる一種の骸骨は、我々が従来未だ曾て想像しなかった、非常の重力に堪ふるものとなり、一見繊弱な感を与える外観と其の実際の性質とは全く矛盾するものとなった。鉄橋に対する審[ToDo][ph]美上の批評は主として此の方面の幻覚から起ったのであるが、我々は今や百年に近い経験からして、漸次此の矛盾の感から脱却して、一の新しい橋梁の形式を、其れ自身の成敗から批評し得るようになったと云うことが出来る。
 私自身は或る種の鉄造構桁橋や吊橋に於いて、新しい橋梁の美観を感得し、其の曲線と直線との結合の間に一種の「リズム」を発見し得ると信ずる。堅実重厚なる石造の拱橋などに於いて、若しも男性的の美を認めることが出来るならば軽快奔放なる鉄造橋に於いて女性的の美が現れ得るのである。彼を以て地上の美と賛するならば、是は或は空中の美と称するに足るかも知れない。又かの巴里のエッフェル塔(The Eiffel)に於いて、レナック(Reinach)氏が新しい「ゴシック」建築の精神を認めることが出来ると云った如く、私は鉄橋に於いて新しい「ゴシック」式の橋を見、或は第二十世紀に於いて完成せらるべき鉄材建築の新様式の美が此処にも其の一部を現していると云い得ると思う。(pp.52-54)

この時代にはまだ鉄の橋は華奢なものという印象があった。前段で石造・煉瓦造の拱橋を述べているから、その力強さに比すれば確かに「骸骨」と見得たかも知れぬ。

この次の節では景観との調和を説いている。著者にとってはそれが最大の審美点であったようだ。加えて河川路上での橋の調和も要[ToDo]とした。隅田川なら隅田川で、ある程度の統一感を守りつつ個々橋には変化を加えて架するのが良いと。ある橋の不調和で他の橋の価値を貶めるようことがあってはならないとも。隅田川の復興橋梁はその形式を統一するか否かで学会誌上でも論争になった。結局は鋼製という点のみ共通で形式は種々様々な橋が架けられる。その是非は築90年以上も現役で使われていることが答えを出しているだろう。大川の橋もよく持ってはいるが満身創痍だしなー。

我々の最も恐るる橋は、所謂「科学的の遊戯」によって作られた橋と、費用を節約した安物の橋である。」(p.59)

[独言] 美ってなんだ

高部屋は「均斉あるものの知覚によって生じる快感」と書いている。確かにそういうものかも知れぬが、対象に均斉を感じること、均斉と感じる形状?素性?は人間の勝手な判断に因るものでありはしないかと思ったりもする。黄金比が美しいのではなくて人間の身体が黄金比に近いから、人間が人間の身体を好ましく思うから美と感じているだけかも知らん。浜田も男性的な美、女性的な美という言葉を使った。

もし1:2:3の直方体の無機生命体がいたとしたら、その生命体にとっての美は1:2:3かそれに類似の四角であるかも知れぬ。不定形生物バチルスにはぐにゃぐにゃした渾沌が美かも知れぬ。自然の中に黄金比を見出しフィボナッチ数列を見出したとしてもその調和を調和と思わないかも知れぬ。自然と人間の身体に共通点があると発見した辺りからギリシア文明の美学が始まったのではなかったっけか。

力学的な美はちょっと毛色が違うかな。万物にあてはまる(あてはめることができる)法則なのだから万物に斉しく秩序を与える。雪にしなる竹は力学法則に従っているから美しいという。その視点には人間は介在しない。かといって竹にとっちゃ美でもなんでもないだろうけど。人間が勝手に美しい好ましいと思っているだけで。人間が快に思うことと不快に思うことの線引きだって人それぞれだ。最小の公約数を有難がっているばかり。疑おうと思えばいくらでも疑えそうで、しかし芯柱としての美はやっぱり普遍であり続けるのだった。


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