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2018-10-09 [長年日記]

[] 堀川監獄での煉瓦製造

明治22年に堀川監獄で煉瓦の製造をやっていたことは以前東雲新聞の広告で見つけていたが、同じ広告が大阪毎日のM22.5.10 6面にもあった。そうして話にはもう少し続きがあるらしい。

M22.5.10 6面 大阪府堀川監獄の煉化石製造事業広告 東雲新聞に載っていたのと同じ広告 15日午前10時までに入札の事

文面は東雲新聞のとまったく一緒。材料を納入したら囚人が素地煉瓦を作って返す、のはず(後述参照)で、この時点でもう確かに製造はしていたと考えられる。

そうしてその月の末頃にこんな記事があった。

●囚徒の入替 当府堺監獄に服役中なる囚徒百一名を昨日堀川監獄へ送り彼の囚徒と入れ替えありし由なるが右は工場の都合に依るとの事なり (M22.5.21 2面)

鉄道寮が堺の函館会所跡で煉瓦を製造し始めた頃から囚人を使役していたことは堺市史第3編なんかにもある。そんな経験者を堀川監獄に移動させたのだと想像される。

してその年の暮れにこんな記事。

●監獄の煉化工業 来る二十三年より当府監獄の囚徒をして煉化工業に従事せしめんが為め固監獄内へ煉化工場を設置せんとの議案に対し常置委員の意見にては既に之れを賛成せしが以来同会にては調査委員を選んで実際の利害を調査し一昨日来同会の議に附し居たる所昨日の同会に於て愈よ此の工業を起すことに決したり(M22.12.1 2面)

5月の広告の素地製造がうまくいったので監獄内で焼いて出荷するということを始めることにしたのだと思われる。つまり小菅集治監と同じような監獄煉瓦製造をやり始めると。この当時監獄費は府県負担であったから、多少でも収入を得て出費を抑えようとしたのだろう。

●煉化工業受負の建議 来る廿三年度より当堀川なる府監獄内へ煉化工場を建設し囚徒をして其工業に従事せしむる事は目下開場中の当府会に於て既に議決せしが右工業の義は一昨日の同会にて六十八番(前川)よりの発議により専ら人民の注文に応じ凡て受負となすべき事を府知事へ建議するに決したり(M22.12.5 2面)

続いてこのような記事も出ていた。これはちょっと建議の意図がつかみにくい。「人民の注文」に限る必要はなぜか。鉄道建設とかに供給したらだめなのか。「凡て受負」というのは。そのへんわからんもんだろうかと思い、デジコレで『大阪府会史』を発掘してきたが、可決建議之部に議題名が掲げられているだけであった。多少でも理由書きがあったらよかったのに。議事録は明治12年の最初の会のみ。。府立にもM22のはないようだ。

堀川監獄で焼成までやっていたのであれば、小菅が桜印を使ったように大阪でも桜印を使ってて、桜+漢数字とか桜+カナの出処を帰結させられたりせえへんかなあと思っただけの話である。

とかなんとか書きながら、府会史を引き続いて読んでいて翌年3月の臨時府会で工場計画が廃案になったのを知った。場内工場の操業を民間に請け負わせ(労働力は囚人)るということだったけれども請負人が出入りせねばならんのは保安上大変な問題であるし私企業が私利私欲を追求し始めても困るし「更生案のごとくするも囚徒の全部を就役せしむる能わず尚空手徒食の輩を生ぜしむ」し計画なお不十分の恐れあるしで。実際、この本の最初の方にある監獄建築の新改築の一覧に煉瓦工場はない。煉瓦造の浴場とか薫蒸場とかはあるんだけど。そうなんだよな、府会の採択がそのまま実行に移されるわけじゃないのな。建議→府から監獄費修正案こみで実行案が提示される→府会で審議→承認or非承認、てな流れなんだ。要するにここまで書いたことがすべて無駄ということに!! おーいえ。

この計画は結局どうなったのだろう。臨時府会で「○○の件外△案が無事可決」みたいなのがほとんどなので、その△案のなかに監獄費修正案が含まれていたのかも知れない。少なくとも監獄内工場の案は無くなったはずだが、例えば堺煉瓦などは囚人使役の記録があるし、それと関係があるのかないのか気になるところだ。一応府会史を堺煉瓦創始のころまで追ってみたけれども具体的な話は出て来なかった。どのみちこの府会史が概略だけなので戦後に発行された方のを読まないとダメなのかも知れない。奈良県の議会史みたいにさ。

[独言] 藤沢周平原作「耳鳴り」

実はここ一週間ほど耳鳴りがひどくてnagajisついに更年期突入か短い人生だったなゴホッゴホッ(迫真)などと滅入っていたのであるが、ふと思い立って耳鼻科へ行ってみたところ、先生が苦笑するほど耳垢が溜まっていただけだった。ばーかばーかばーか。

吸引器できれいに取ってもらったら(器具が目詰りするほど溜まっとった!)ずいぶんスッキリした。左上間近でブラウン管が点灯しているような、遠くでセミが鳴いているような「ミーーーーーーー」というノイズがしなくなってまったく晴れ晴れである。多少は残っている気がするが一週間ちかく響いてたわけだし元より内から湧き出づる音なのだしで全く絶えることはないのだろう。絶えた時はそれこそナガジsの絶える時である。

診察・施術には約1400円かかった。世のお母さん方の無償の愛情も実はそれくらいの価値のあるものなんだと知る。独り身にはなおさら納得の費用である。

[独言] 亀の瀬見学会

鷹を括って10時半ごろに電話したらすでに8割くらい埋まっていて13:00と13:30の回しか空いてなかった。未だに人気があるのだなあ。

前回は確かまだ右足を引きずっていて、じっくり見て回れなかった。写真も間違って800x600とかで撮っていたはず。今回は悔いの残らないようにしたい&新たな発見をしたい。


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