nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
ほぼ同じ頃に関西煉化石が晩克坡へ輸出を企ててたっていう記事とも関連がありそうな気がする。
米国博覧会報告書. 第5巻 列品部
現時点で最も古い規格呼称の初出。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846211/75
第二節 煉瓦積の大意
石工は寸法の同じからざる品物を用うれども煉瓦職は何時も寸法の定りたる品物を用ゆる便利ある故煉瓦積は何れも段積に仕上るものにして一段の厚は通例のものでは煉瓦石一枚の厚み丈けへ又小端立にしたるものは横幅一枚丈けへ横の接手一本の厚を加えたるものなれば東京形と唱ゆる煉瓦石を用ゆる時は一段を厚二寸二分五厘とすれば四段の高さが九寸になりて目積りをする時に都合宜ろしきものとす
今日諸所にて製する煉瓦石の寸法は左の通り大凡そ定り居るを以て成る丈け出来合のものにて間に合う様に計画するを良しとすれども若し止むを得ず寸法の変りたるものを用ゆる節は厚は何程にても宜りすけれども長さは二タ幅と竪の接手一本丈けにすべきものにして長さ八寸の煉瓦なれば之より竪の接手三分を引きたる残り七寸七分を二つに割りたる三寸八分五厘の幅となるものとす
長七寸五分
三寸六分
厚二寸三分} 山陽鉄道会社にて始めて注文して造りたる品にして横の接手を入れ一段の高三吋(二寸五分)になる様にしたるものなり俗に山陽形と云う 長七寸五分
幅三寸六分
厚二寸} 東京にて造り初めたる品故上方にては東京形と唱え居り当時一番に広く用いられ居るものなり厚は二吋半(二寸一分)の詰りたるものなり 長七寸五分
幅三寸六分
厚一寸八分} 上方にて造り初めたる品故上方にては並形と申し居れども前の者に対しては大坂形とでも申したら宜ろしかるべし厚は二吋(一寸七分)の延びたる物なり 右は一通りの寸法にして製造場に由りては一二分位は大きなものも又寸詰りのものもあり亦同じ製造所にて造りたる品にても火の利きたる品と焼けの足らぬ品とでは同じく寸法に相異を生ずるものにして七寸五分の筈のものが七寸二三分位に出来たるものあれば七寸七分位の大きなものもあるものなれば此辺は能くご承知ありたし
M23頃瀧大吉によって大阪に興された「工業夜学校」の講義録。M24まで小冊子で発行され、滝が東京に移ってからも「建築学講義録」として発行が続けられた。一時休止を挟んでM27まで発行が続き、最終的にその合本が明治29年に刊行された(書名『建築学講義録』第一~第三)。実地の建築術を説く本としてベストセラーになったものだそうである。
煉瓦積みに関する該部分(第3章以降)は「建築学講義録」時代のものらしい。ゆえに内容はM23~M24頃の知見に基づいて書かれているものと思われる。
この中で山陽型が目地込み3インチであること、東京形を「上方では」東京形と呼んでいること&2インチ半を2寸に寄せたものであること(2-1/2インチはStaffordshire形の厚に一致)、並形を2インチに寄せて縮めたものだと書いてある。その他膨張や収縮の避けられないことなど実際的な記述が多く、確かにこれは初学者にとって親切極まりない入門書だと思われた。
目地について述べたところでは職工の手抜きや意図的な粗相のことが書いてある(わざと傷みやすく作ってその補修で金を儲けようとするとか、裏込めを適当にするとか、上等で高価な表積み煉瓦を羊羹に割って表積みにし空隙にモルタルを詰めるとか)。そんな悪事に注意するべきことが結構頻繁に出てくる。最初期の煉瓦職人が寡占を笠に着て横暴を働いたが故に阪府授産所で煉瓦造りを教授するようになったという『大阪府史』の記述を彷彿とさせる。ともかくそんな感じの技術一辺倒でない記述が多くて面白く読める。イギリス積みフランス積みの強弱も、一つ一つ丁寧に実例を挙げて示してくれているので理解しやすい。
以下も合わせて読むこと。瀧大吉は滝廉太郎の叔父にあたる。造家学会の設立にも関与し、大阪で最初の民間設計事務所を開いたりもした。明治工業会社、は確か住友鉱山鉄道の建設を請け負った会社ではなかったかちがうちがう、山陽鉄道船坂トンネルや。それか由良要塞建設に絡んで聞いたような…‥あと呉鎮守府のドック建設に入札してる(指名入札)。でもこれは受注せず。それ以外のに関わってる。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/83/752/83_1999/_pdf/-char/ja
二寸二分五分×4段で9寸というのは、目測には便利だろうがインチにもセンチにも尺寸にも寄せにくい気がする。一間四方=6尺四方=60寸に9寸を詰め込むのはどうしても半端じゃないか。
すごい探究力だ!学問とも違うんだな!頭の中はどうなってるのだろうか?
煉瓦屑しか詰まっていないんじゃないでしょうか・・・<br>最近、「並形」「東京形」のような呼称やその寸法のことを追求しておりまして、その資料メモが上記です。