nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
ごまめが妙に高かったので贖いあぐねてみた一方、「たべるいりこ」なるものが目に入り---食べられないいりこがあろうはずもないのだが、それはそれとして脇に置いておく---、要するにいりこを甘く煮詰めたらごまめになる筈だという推測のもと、そちらを購入して試してみたのであった。珍しく上手く行った。
今回は黒豆も作ったのであるが、水の量が少なかったらしく皺の多い黒豆になってしまった。味は申し分ない。大正6、7年ものの犬型犬釘で煮たのだから美味くないわけがないのである。ただ皺が多くなったという瑕疵があるために軍配はごまめに上げざるを得ない。結局のところごまめと黒豆だけで充分だったのではないかと思わないでもないのだが。ああそうだった今年は卵焼きもそれなりに上手く行ったぞ。今年は真っ黒くはならなかった。
おせちと年越しそばが年々歳々上等になっていく気がする。それを許したくなるくらいには頑張った一年だったと思っている。まことに有難いことである。
11〜12月の「つどい」の時にSさんが(つどいの前日に訪れた)琵琶湖疏水第一竪坑の付近で採取したという煉瓦が衝撃的だった。初めて目にした刻印で、しかも「川島煉瓦」の製品という。だってそう書いてあるんだもん。
いま琵琶湖疏水記念館へ行くと、パネル展示が新しくなっていて、そこにも川島煉瓦の謹納品という煉瓦刻印が掲げられている。東洋組みたような四角い判にこまごまいろいろ書かれてある。明治18年6月とか井上・井関とか重要っぽいことまで。それとも違う丸い印である。一見すると樽井の丸印に似ている。
それがずっと気になっていたものだから、思い切って再訪してみることにしたのが暮れも暮れの12/31のことであった。本当は一日おせち作りをと思っていたのだけれども、朝になって急に居た堪れなくなったのである。
竪坑周辺は近年整備がなされて金網囲いになっている(以前はフリーにアクセスできた気がする。ただ草がものすごく繁茂していて近寄り難かった)。囲いの中もきれいに草刈りされて見渡せるようになっている。
あてにしていたのはその囲いの中ではなく、外のほうだ。確か『琵琶湖疏水要誌』か何かだったと思うが、工事中の竪坑の写真があって、巻揚機や人夫の小屋やら火工小屋やらが谷いっぱいに作られていた。囲いの外のほうが何かあるんじゃないかと。
というわけで、上掲写真の反対側へ回ってみると、そこが小さな沢になっていて、目論見通り幾つかの煉瓦転石を検出した。割れてほかされた煉瓦が沢に洗われて露出していたのだ。さすがnagajisこういうコトだけは勘がいいぜとか何とか思いながら早速探してみたのだけれども、いずれも無刻印の煉瓦だった。1/5くらいしか欠けてないようなやつもあったんだけど。
そうしてその沢を遡ったり、対岸斜面を登ってみたり(その崖の下で青磁の?急須の蓋を見つけたりしたもんだから)、囲いに沿って一周してみたりしたのだが、それらしき煉瓦は最初に見つけたガラ以外には見つけられなかった。そうして小一時間も彷徨った末、諦めて帰ろうとし、元の場所に戻ってきた時に見つけたのだった。