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2020-01-06 [長年日記]

[煉瓦刻印] 川島煉瓦

画像の説明

昨年の暮れに採取した川島煉瓦。慎重に清掃した。苔類地衣類は無理にこそぐと煉瓦を傷める。カビキラーかけて溶かしてから爪楊枝でチマチマ取ったほうがよい。

肝心の「川島煉化」の辺りがきれいに出ていないのが残念だが---素地の時点でこのへんに凹みがあって上手く乗らなかったようだ---、「島」の3~5画のあたりや「煉」の火偏などもかすかに残っている。頑張って拓本を取れば行けるかも知れない。

真ん中の隷書は少し読みづらいが「四十九組」であるようだ。「四」は製造時の傷で歪んでいる。

ここに使われている疏水の「ソ」の字と、琵琶湖疏水記念館のパネルの川島煉瓦製品にある「ソ」は違う。後者は篆書体なので偏は足っぽく旁は京っぽくなるのが正しいっぽい。□+英数字、小判+英数字の「疏」はその系統。でもこの印では楷書体だから足偏になってしまう。うむ。

(□のほうの疏は京のままじゃよくないな、ということで姑息な修正を加えておく) 画像の説明

川島煉瓦は文献では拾えていない工場。浅田政三工場を引き継いで操業していたか、休業状態だったのを疏水建設に際して復活させたのかも知れない。とにかく断面の感じはよく似ている。黒く焼けた土が混じっているところや、表面が褐色系なことなど。左は川島煉瓦、右は桂川橋梁の"D"。

桂川橋梁のものは外周にだけ黒い部分が目立つ。土の違いによるものなのか、そこだけ焼過になってしまったのか判断がつきかねていたが、三室煉瓦で焼損煉瓦を割ってみてから、還元炎で焼けた部分なのだと考えるようになった。以前はこれが函型製法の証拠のように思っていたけれど---函型に作った時の粘土とアンコの粘土とで成分が違うと---、そうすると写真上面の流動状態になったところがよう説明できんし、最外周に薄皮のごとき赤い層が必ずあることも説明できない。むしろ酸素の拡散律速の影響なのではないか。まだらになっている部分は粘土の流動で微細な隙間が生じていて、小石のように見えるやつはその周辺の空洞から酸素が抜けやすかったためにこうなるのではないか。ようはそこだけ酸素が不足している状態。燻し瓦的な。この状態から酸素過多で焼き直したら赤色に戻るんじゃないかと思ったりもする。


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