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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1942-01-06 この日を編集

[陸幼日記]一月六日 火曜日 曇

帰校後初めての一夜なりたれど〔なりたるが〕、寒さのため一時もまんじりともせず度々眼をさましたり。朝は零下六度正に清水台の真の寒さ表われたり。十時より帰校申告をなす。前後の時間は整頓並に検査。午後は愛校作業一時間にて以後は随意自習なりき。霜どけの為運動場は土水と化し、歩くに苦難す。入校以来今日は最も寒き日なりき。


2006-01-06 作業 この日を編集

あきら氏原稿

 バックナンバーCDの特製コンテンツ用に原稿を貰った.ヨイショする訳ではないけど,とてもいい.自分には書けないタイプなんだなぁこれが.ヨッキ氏は情景描写がうまく,あきら氏は心理描写がうまく.おれには何のとりえもないぞぃ(汗
 その原稿のレイアウトをBeOS上のMacエミュ上で作ってみた.無論,正式な作業は別Macを立ち上げてやるんだが,読んだときの印象が強かったので忘れないうちにーと思ったのだった.でもやっぱり最後は中途半端な終わり方.うんー.おとなしく純Macでやれば良かった.

今日のアーカイブス

 これだけでは何なので,例の土木アーカイブスから.「工事画報」の個々の記事も面白いが,巻末近くに載っている「工事タイムス」も結構楽しめる.どこそこの橋が竣工とか◎◎ビルヂング着工といった話題に紛れて,土木に関する三面記事みたいなものが混じっているのだ.気になったのを一つ.

http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/02-08/02-08-0346.pdf

■東北大學失火 六月二十四日工學部機械學科,電氣學科を全燒,損害1,300,000圓.八木博士の殺人光線に關する研究,宮城博士の水力電氣實驗等全然烏有に歸したのは實に惜しい.

「殺人光線って何やねん!?」と思って調べてみた.やはり八木博士というのは八木アンテナを発明したあの八木博士であって,電磁波研究に関するモノを指している模様.しかも博士自身が「今の技術では殺人光線など作れない」と明言していたようだ(理化学研究所刊行物より).(変な意味で)いかにも当時らしい話題であり書き方だなあと思った次第.ちなみにこのpdfには丹那工事で出てきた化石の写真もあり.

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [誉めるという事のその裏に潜むうわ何をえdryふじこlp@ >アーカイブス 私では探し当てれない様なモノ拾ってきますね。 つうか面白い。]


2010-01-06 この日を編集

[独言] 脱出

逃避行動として第三ビル界隈をうろつく。この辺りの古本屋をじっくり回るのは、実は初めてだ。文庫でない柳田国男全集の23とか別冊2/4とかが一冊105円というとんでもない価格で叩き売られていたので保護した。5冊買ったら400えんになった。こんなことでいいのか。

カメラ屋のジャンク棚に外部フラッシュがあるのを見て、ふと父親の形見のそれがあることを思い出した。帰って確認してみると確かにあった(買わなくて良かった)。今度これを使ってみよう。単三電池は奢るほどあるしな。要は先日のEPHでKさんが使ってはったのを真似してみようという魂胆。高感度+内蔵で撮れないことはないはずだが、ノイジーでない違う画が撮れないだろうかと思う。いつもこれではマンネリだしなぁ。

画像の説明

そのかわりCPLをゲット。径がでかいほうが安いというのはどうしたことか。ステップアップリング込みで2k円。

いろいろ見ながらいろいろ画策する。が、ふっと我に返ってまぁた同じことしてるよなあ、懲りない奴だよなあと思い正気に返った。せっかく、見られたら悶え死ぬこと請け合いの日記を(昨年の大掃除で)破棄したんだから、もうちょっと違うことをしないとと思う。かくあらざりしことの我が心をつんざく何ぞ激しき(by室生犀星)、で終わらせといていいんでないの>nagajis。

迂闊にも南瓜を黴びさせてしまった。慌ててスライスして取って南瓜汁にする。おいしい南瓜なので煮物にしたほうがいいのかも知れないが・・・鍋が一つしかないから作り置きするわけにもいかないのだった。食い切るまで次の料理ができない(汗 

この鍋、テフロンがぼろぼろになって残飯入れのごとくになっている、人に見せられない類いの鍋だ。長旅で使ったものはどんなにボロくなっても捨てられない。どうせ食うのはおれだ。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 高橋ま [甘いかぼちゃなら、スライスしてフライパンでオリーブオイルで焼いただけ、あとは塩コショウだけでかなりおいしさです。 あとみそ汁(豚汁、けんちん汁でも)に入れたり、蒸して温野菜、てんぷらもいいですね。..]

_ nagajis [あ、それはいいこと聞きました。ありがとうございます。次回やってみようっと。 #今回は味噌汁とカレーとシチューで消費し尽してしまいましたが・・・]


2012-01-06 この日を編集

[奇妙なポテンシャル][近代デジタルライブラリー] #271

専門の時計屋さんが真物の売れなくなるのを[小+具]れる程見事なメタル!!

アツト
驚ろく
時計用理想的メタル
壱箱弐拾四個入
卸正味
 金五円五拾銭

皆さん,壱個平均タツタ二十四銭弱でコンナに立派なメタルが出来ました

ダイヤ
白金製
純金製
代用としてコレ
見事な物が出ました

光澤に於て目方に於て真物と殆んど識別を仕難い程でソシテ剥げる心配のない!!
特殊合金製で非常に精巧な細工になる確かに現代の紳士青年諸君の渇仰の標的となるべき稀代の逸品!!
香具師や縁日商人のものとは天地雲泥の相違です

御覧になつて餘りに見事なのに吃驚!!
手に取つて価値のあるのに又吃驚!!
御販売になつて儲かり過ぎるに又復吃驚!!

確かに十割以上儲かるメタル!! 暴利取締令に御要心々々!!

栗本本店発行・栗本タイムス第23号より.こういう宣伝文句をいけしゃあしゃあと言い放ってみたいものである.

と書いておいてから偉人伝でパロディを作ろうとしたのだが一行目で断念した.一人平均タツタ200円強!とかも洒落にならん.

業之日本社なんていう会社もあったのだな…紛らわ鹿.小資本大回転! ハイスピード・プロスベリチー・プラン! 勢いも内容も今の金儲け本とか自己啓発本とかと変わらない.

[独言][近代デジタルライブラリー] 女子消息文のゆきかひ

佐佐木信綱著・明治43年刊.婦女子向けの手紙文例集である.内容よりもタイトルに惹かれた.ここは「にょしせうそこ ふみのゆきかひ」と訓んでみたい.せうそこやなくてしょうそこやろ,というツッコミは甘んじて受ける.

シチュエーション例とその文がなんとも古風である.その前にこんな流麗な文字書けない&読めない.

年始の文
初日かげうららかに門松のみどりも色はえてのどかなる新年に候年の始めを御寿めでたく申志納め候 かしこ

新年友を招く

日毎晴渡りてよき新年に候さて来七日午後一時より年ごとの例にならひ学校の御友達方に御出願ひ福引歌留多の遊びいたし度妹君御一所に御出待上候 かしこ

明治末でもこういう日本があったのだなと思うと感慨深い.その10数年後には上になるのだからなー,と思ったりもしたが要するにいまこの日本で偉人伝と成年コミックが並び売られているのと同じことだろう.互いに干渉することのない文化が併存してて,片方にしか興味がなければ互いの存在を知ることもない.

佐佐木信綱は歌人・国文学者.和歌研究だけじゃなかった気がする.吉野中学校の校歌を作ったというのは初見.うーん,なんで覚えてたんだろ?

[独言] コーヒーのみすぎた

明日は出かけなきゃいけないのに眠れねえ.肉じゃがとっといてつまみながらNight Capっておくべきだったかも知れぬ(あんだけ作ったのに一昼でかたしてしまった).ならばげんこうでもかいておけと思わないでもないがそこまで冴えてない.要するにだらだら生きているだけの時間であり勿体無い.

[絵葉書] 道:佐賀県・鏡山登山道路

画像の説明

御霊櫃峠を彷彿とさせる緩傾斜の九十九折が素敵.これくらいなら自転車で登っても楽しかろうと思って購入した.行く予定は残念ながらない.

現在も変わらぬ姿で存在しているようだ.Wikimedia Commonsに殆ど同じ構図の写真がある.

[コアダンプ] そうか

こんがらがって訳わかんないのを解くのに苦労してあ゛ーになった経験があるからうらやましいのだな.過去のほうが(歴史書とか地誌とかあるおかげで)秩序だって見え,そういう状態に近づきたがってるんじゃないか.埋もれた歴史とかいうフレーズに反応するんじゃないか.歴史にではなくその状態に惹かれてる.辻褄さえ合えばそれでよろしいと.

[帰宅] ゲッツ

しばらく楽しめそうな大量な資料をゲッツ(楽しめそうな資料を大量に,ではないのがやや残念だが).新淀川新橋の模型の写真をゲッツ!!! ほらみい,模型は存在してたんや!!!

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ocoze@三重 [>唐津市の鏡山 木が生えていない方がいいけど,今度九州に行ったら登ってみよう。マチュピチュに登る道にも似ているぞぉ。]

_ nagajis [半世紀もたてばあんな緑になるんですなー.]


2013-01-06 この日を編集

[独言][] 宝山寺隧道メモ

四谷御所隧道は昭和3年4月竣工。画報第2巻9号・10号、3巻5号参照。その前に浅草の地下鉄道と本郷隧道。クッサクだったら良かったんだが大軌30年史に「地表を掘削して構築」とある。延長207m、約1/4の急勾配。

[独言] 虎屋ういろUMEEEEEEEEEEEE!!!

t/o.赤福もよいが意外性で僅差勝ち。

[独言] うへえ

なんだかんだで正月からここまで突っ走り来た感じがする。消化しなければならないもの・こと・抽象概念が溜まってきて片付けに四苦八苦している。うえにどれを片付けるにも新知識が必要という。少年老いやすく学成り難し、そして既に少年でもあり得ないのである。うきゃーうきゃきゃきゃ。ぽひ。

町村史や社史の引き写しで済ませられたらどんなに楽か・・・しかしその楽は身にならないからな。わかってるだろうな>nagajis。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ yuta [正月から突っ走る=冬休みの宿題が大量に残っている学生(俺?)みたいですね。 そして答えを写す。しかしその楽は身にならない]

_ nagajis [解くにつれて減るどころかどんどん増えていったりするのでなおさらたちが悪いかも。]


2015-01-06 この日を編集

6ph.] 枯野もはいく

画像の説明

いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
かれてなおかたきとげ
いちめんのくずのつた

いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
せいたかあわだちそう
いちめんのくずのつた
あくいのないそうもう
いちめんのくずのつた
かれてなおかたきとげ
かれてなおかたきとげ

いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
かれてなおかたきとげ
かれてなおかたきとげ
かれてなおかたきとげ
かれてなおかたきとげ
みちあとはなおかすか
いちめんのくずのつた。

[] 今井幸彦『日本の過疎地帯』(岩波文庫)

国交省が限界集落の維持コストを調査へというニュースを読んで思い出した。1968年(昭和43年)に発行されたこの新書を昨年の暮れ頃に読んだ。著者はたしか新聞社の人だったと思うが、その周囲ですら「過疎」という言葉が珍しかった時代に書かれた過疎の本である。昭和30年代末の国勢調査の結果から地方の人口減少の傾向が見られていて、このまま行けば地方の人口は減る一方だと指摘され---都市部への人口集中は戦前から見られたけれども、それが加速したんだったか、地方の出生率が低下して帳尻が合わなくなっていたんだったか---、いくつかの省庁でその対策が検討されたりしていたにも関わらず今なお減少を続けている現状をルポったもの。といったらいいのかな。要するに過疎問題が顕著になり始める下り鼻の頃の話。

前半は人口動態などデータを豊富に援用して「過疎とは何か」を説いてあるのだが、いま現在の目で読むと何当たり前なこと言ってるんだろうという、聞き慣れ見慣れてしまった事象の再勉強という感じがする。そんな昔から判ってたんなら何か対策すればよかったのにと。けれども「過疎ヤバイ」「過疎ヤバイ」ばかりで過ごしてたわけでもないらしい。多少は対策が考えられてた。それが有効に機能しないでこんにちに至ったという感じだ。人とか政府とかの力で何とかできるものではない、人間社会の蓋然的帰結であるのかも知れない。

執筆時点で過疎の村といわれていた京都府の山村、滋賀県の朽木村とかの現状が書かれてある。老夫婦が力仕事で田畑を維持し、夜なべをしという状況がまだこの頃は見られた。今はそれすらなく集落を維持することさえ限界に来ている。そんな状況下で維持コストの調査をする(そこに住み続けるのに・その環境を維持するのに必要なコストと、集団で市街地に移転するコストを調査し比較する)という話に、当然のことのように「何をいまさら」「それこそ税金の無駄遣い」と揶揄する声多数。もちろんそれは都市の人間の言い草か、政府=悪としか考えてない短絡思考の意見である。

集落の消滅っていうことはもう何十年も前から懸念されてきた。そのために新しい産業を興してという話を、吉野郡の村々の村史でよく見た気がする。天川村とか黒滝村とか。けれどもその村史の執筆時点からこのかたを見ても明らかに衰退している。その新しい産業が根付いたという話も聞かない。なぜだろう。(黒滝村は少し違うかな。新しい人がぼちぼちと入り始めて林業が変わりつつあるという話を聞いた。天川村でも洞川のような観光地はいまでも元気で、新しいお店だったりアクセサリーショップが出来たりなどしている)。

過疎の村に民俗調査が入っていることのほうが多い。ダム建設で在所がなくなるからというのもあるだろうけれども、まるで病床に臥した人に死に水を与えるみたいな心地悪さがある一方、そうでもしなければ跡形もなくなってしまうだろうというほどに事態が切迫していたということかも知れず、またその民俗調査の結果から教えられたことも多数あるので、なんともいえない。

この「なんともいえない」が曲者なのだろう。外部の人間がどうこうできる話じゃないという諦観・傍観が前提的にある。村が頑張ってくれないと。魅力のある村になれば観光客も来よう。新しい人が入ってこよう。そんな村任せにしてたから解決しなかったのじゃないか>過疎。もっと外圧が(補助金でも優遇税制でもなんでもいいや)が必要だったんじゃないか。いや、それもずいぶんやったけれども今日に至っているのか。しかし政府が本気で過疎を何とかしようと考えているなら、「子どもを産み育てやすい社会を」ってのと同じくらいに熱心にやるはず。

過疎を悲しむべきこと、解決すべきことと考えるのが無理があるのかも知れぬ。山奥に仕事があったから入っていって住み着いた。そこが便利であったから住んだ。不便になった今、積極的に出て行くほうが賢い。それを敢えて蹴って生まれ育った地に骨を埋めたいという思いが尊重されるのと同じくらいに積極的に出て行く選択を尊重してあげたい。コミュニティだとか生活習慣とか言われるけれども、なに、昔はもっと自由に出入りしてたじゃないか。

てなことを読んで思ったはず。

[] 芳賀矢一校閲・志田義秀/佐伯常麿編『類語の辞典』(上下)(講談社学術文庫)

「日本で最大・最高の類語辞典」という触れ込みに惹かれて衝動買いしてしまった。ちょっと変わった辞典である。言葉の言い換え辞典がイメージ的には近いけれどもそこまで機能しない。類する語が知れるというただそれだけの辞典である。

例えば瓜。ナントカ科の植物で云々という短い説明に続き、瓜の別名である黄団、甘霜、等々の語が並んでいる。ここまではまだ瓜という語の言い換えに使えるかもしれないが、この辞書の本質はその後ろにある瓜から派生する語のズラズラだ。

◎くだものとーーー○果■ <クワラ>
◎やさいとーーー○蔬■<ソラ>
◎うつくしきーーー○[古]かほうり(顔瓜)。
◎熟したるーーー○熟瓜<ジユククワ>
 △おそくーーー○おそうり(晩瓜)
◎未なりのーーー○[古]かりもり
◎小さきーー○[「瓜+交」][「瓜+失」][「瓜+包」][「瓜+勺」]たちふう(「瓜+失」「瓜+旬」)。

ーーーは元の語(ここでは瓜)が入る。△は◎の入れ子の関係で、例のんは「おそく熟したる瓜」ということになる。そんな感じで瓜に関係する語が沢山並んでいる。そのうち南瓜とか西瓜まで出てきてその語の説明が入ったりする。類語の小宇宙である。

そのうえ、 元版は明治42年に刊行された辞典なので(その紙面を文庫版サイズに縮刷してる)、潰れて読めない字(■)やJIS第二水準でも表現できない字(「」)がぽろぽろ出てくる。類語がわかったところでその文字を打てない・書けない・読めないこと多数。勿体をつけるため・いかにも知ったかのように別の語で書こうと思っても、せいぜい最初のいくつかが使えるだけだ。逆に「蔬■」という語の意味を引くこともできない。上記のような書き方なので引きようがないのだ。

結局、 移動時間とか厠とか、手持ち無沙汰な時に適当に開いて眺めるだけになっている。勿体無い話である。


2017-01-06 この日を編集

[ph][煉瓦展] 準備#3

画像の説明そうこうしているうちに案内葉書を作り始めたりなどしている。場所も日時も決まっちゃいないってえのにな。

コンセプト:ここに書かれてある刻印が全部わかるようならご足労頂く必要はございませんよ、と。案内文字は最小限で徹底的にスクエアで。可能なら漢字で揃えてみたいけれどもあんま意味ないかな。ホントはてれこでフランス積みとかしてみたかったが物理的に無理。せいぜい小口積みにするくらい。

そもそも展覧会のコンセプトは? 一般向けには煉瓦刻印というものの紹介。とにかく沢山。数勝負。でもコレクションの披瀝にはならないように。通に手持ち無沙汰にさせないこと。煉瓦刻印から探る関西地方の煉瓦製造業史、てのが副題だが史の通論を掲げて講釈を垂れることはしない。各解説に細々書く。総体で読み取ってもらう。<ーひきょうであるなあ。まあ[pdf]第一通史としてまとめられるほど解っちゃいないのだ。自分だけでは限界があるから御高説を頂戴したく候を現実世界に向けて表明するために展示会をするのである。

折りコンサイズは記憶違いしてた。33✕69✕32だ。ということは3列5重の2列で30個。おやまあ30個しか入らねえ。てことは折りコン3箱でやらねばならなくなる。台車に2個1個のピラミッドでいくか……行けるかなあ。体積が増えるが重さは変わらんから、うん。

[料理] エビチリ

滅多に海老を食わない自分なのに何故かエビチリを作ってみようという気になりエビチリを作ってみることにした(年末年始の海老が残っていたのである)。チリトマトソースを加えてみたのだけれども少々辛過ぎたな。記憶のエビチリはもっと甘くて鼻にツンとくるケチャップ味だ。

海老を揚げるついでに三度豆も天麩羅にしてみて、それをエビチリにも放り込んだのだけれども、そちらのほうが満足いく味になった。レタスでくるくる巻いて食べると旨いことこの上なし。やはり海老は、食べ慣れていないせいで旨さを納得できないようだ。決して悪い味じゃないけれども何度も食べたい感じはしなかった。

油で揚げるというのも慣れていない調理。もうちょっと練習してみようかな。年末に海老天と唐揚げを作ってみたが、野菜のほうがうまそげな気がするし、実際三度豆は美味しかった。今度はあつあつのに塩振って食いたい。

[独言] 待人来たらず

今年のおみくじは2つともそうだったので、きっとそうなのだろう。うん、メールの返事は来ないことに決めた。そういや昨年年頭のメールも返事がなかったな。そういうものかも知れんthe-orj.orgドメイン。いやgmailでも送ったのか。きっとあれだ、世界が結託してnagajisを総無視しているのに違いないぞ。うすうす感じてはいたがやはりそうだったか。うんうん。

Google日本語入力で「おみくじ」を変換すると今日の運勢が表示されることをたった今知った。末吉だそうだ。ことえりにもそういう西卵があったなあ。「ことえり」で変換だったっけ。

[] 登っている

やっぱり逐一は覚えてないなあ。くやしいなあ。ここから本番だってのにもう種彙が切れそうだ。そもそも道と関係ないこの場面に語を尽くしたって仕方ないのだけれども。

[独言] 売り切れた

驚いたことに文庫のほうのXが売り切れてしまったのである。絶対間違って買われてるよな。で、あとで「何やねんコレ」て文句言われるんやで。きっと。

第4弾のネタ何にしよう…。自分が読んだことがあって面白かった本って、すごく偏ってるうえに数が少ないから困る。


2019-01-06 この日を編集

[独言] 図書館へゆく

工場通覧S47-53を取得。序にいろいろ調べていたら、大手前大学史学研究所から内国勧業博覧会の窯業関係出品をまとめた報告書が出ていることを知った。これは手元に置いときたい!あると(個人的には)むっちゃ便利。

さらには三浦乾也の件も片付けることができた。資料掘りまくってよく見つけたもんだと自画自賛。しかし肝心の本はdl.ndlに収録されていて、やっぱり「失物 近い所にあり 出る」なんだなあと思った次第。またひとつ賢くなった。

[奇妙なポテンシャル] DAN-ZE-TSU

年明けの頃に断絶コメントを耳にして奇妙なポテンシャルを感じるのがここ数年の習いになっていたのだが、今年は不思議とそれがなく、一体どうしてしまったんだろうと思っていた。しかしつい今しがたNHKラジオのニュースで7歳の男の子がそれらしきコメントを発しているのを耳にした。終始聞いていたわけではないので定かな引用ではないかも知れぬが

七草粥がおいしかった。今年はいい年にしたい。

だったように記憶する。今年もいつも通りの年になりそうだ、と安堵しかけて、いやいやいや、それは至極普通のコメントではないかと思い直した。こうして文字にしたものを読み直しても真っ当過ぎるほど真っ当である。七草粥で無病息災を願う。其処に何の断絶や有らん。「今年は〜」の部分に条件反射した自分がPsの極みである。Ps追求者はやがて自身がPsになってしまうのか。そんな私を等閑視して世の中は至極真っ当な正しい世界に遷移しようとしているのかも知れぬ。それはそれでそうあってほしい気はするもののやはり一抹の寂しさは残る。

そういえば昨年暮れの道路交通情報は饒舌ではなかった。本年最後の道路交通情報というもの自体を聞きそびれたからかも知れないが、17時頃帰宅してから23時45分に初詣に出かけるまでの間じゅうラジオは点けたままであったはずだ。そもかの交通情報は昼間会社で聞くものだったような淡い記憶がある。それでもやはり聞いた覚えがない(肝心の交通情報センターのどなたかさんの声がミュートされてBGMだけが数十秒流れているのは聞いたはず。だがそれが大晦日のことだったかどうかは記憶しない)やはり世の中は清潔で美しくて一毛の瑕疵さえない、nagajisには生きづらい世の中になっていっているのかも知れぬ。Psのない世界なんて考えるだに寒いけれどもそれが世界の総意なら大人しく従う他ないのである。nagajisなど虫下しで下されればよいのである。

[独言] 神崎川改修

神崎川橋梁がいつ盤上げされたのかを調べようとして断念した。明治の淀川改修の時には京阪連線橋梁に影響の出ない案で淀川が改修され神崎川口には神崎川水門が設けられている(M38)。その門を閉じて流入する水を減らすことにしたわけで堤防かさ上げの必要はない。大塚切れしたT6の大洪水では神崎川下新庄の堤が100数m決壊したがこの時にはすでに国鉄は現行線のところへ移っていた(T2廃止、T11京阪神急行電鉄?だったっけ?が跡地を使用)。そのT11の開業時に橋脚を増やしたりはしただろうと思うが堤防を嵩上げしたという記述を見つけられなかった。

神崎川下流域はジェーン台風やらの頃に高潮対策で嵩上げされているのは確か。けれど阪神間鉄道の橋梁よりシモが中心で、その頃上流域はどうであったか。

デレーケが改修計画を立てた頃には上神崎川橋梁の辺りに神崎川含め3本の河川が流れていたらしい。阪急線築堤の下から出てきていた橋脚?はその3川のひとつを跨ぐものであったのかも知れぬ。また神崎川自身も今のような真っ直ぐなものではなかった。この図は淀川資料館所蔵。

現車道の高架の橋台が元神崎川の橋台だったら、と考えてみたが、だとすると以前の阪急橋梁の頃くらい高くないといけなくなる。笠石など挟まず直に立つ高橋脚であっていいことになる。うーん。こういうのは資料館に聞くほうが早いか。


2020-01-06 この日を編集

[煉瓦刻印] 川島煉瓦

画像の説明

昨年の暮れに採取した川島煉瓦。慎重に清掃した。苔類地衣類は無理にこそぐと煉瓦を傷める。カビキラーかけて溶かしてから爪楊枝でチマチマ取ったほうがよい。

肝心の「川島煉化」の辺りがきれいに出ていないのが残念だが---素地の時点でこのへんに凹みがあって上手く乗らなかったようだ---、「島」の3~5画のあたりや「煉」の火偏などもかすかに残っている。頑張って拓本を取れば行けるかも知れない。

真ん中の隷書は少し読みづらいが「四十九組」であるようだ。「四」は製造時の傷で歪んでいる。

ここに使われている疏水の「ソ」の字と、琵琶湖疏水記念館のパネルの川島煉瓦製品にある「ソ」は違う。後者は篆書体なので偏は足っぽく旁は京っぽくなるのが正しいっぽい。□+英数字、小判+英数字の「疏」はその系統。でもこの印では楷書体だから足偏になってしまう。うむ。

(□のほうの疏は京のままじゃよくないな、ということで姑息な修正を加えておく) 画像の説明

川島煉瓦は文献では拾えていない工場。浅田政三工場を引き継いで操業していたか、休業状態だったのを疏水建設に際して復活させたのかも知れない。とにかく断面の感じはよく似ている。黒く焼けた土が混じっているところや、表面が褐色系なことなど。左は川島煉瓦、右は桂川橋梁の"D"。

桂川橋梁のものは外周にだけ黒い部分が目立つ。土の違いによるものなのか、そこだけ焼過になってしまったのか判断がつきかねていたが、三室煉瓦で焼損煉瓦を割ってみてから、還元炎で焼けた部分なのだと考えるようになった。以前はこれが函型製法の証拠のように思っていたけれど---函型に作った時の粘土とアンコの粘土とで成分が違うと---、そうすると写真上面の流動状態になったところがよう説明できんし、最外周に薄皮のごとき赤い層が必ずあることも説明できない。むしろ酸素の拡散律速の影響なのではないか。まだらになっている部分は粘土の流動で微細な隙間が生じていて、小石のように見えるやつはその周辺の空洞から酸素が抜けやすかったためにこうなるのではないか。ようはそこだけ酸素が不足している状態。燻し瓦的な。この状態から酸素過多で焼き直したら赤色に戻るんじゃないかと思ったりもする。


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