トップ «前の日記(2020-11-04) 最新 次の日記(2020-11-06)» 編集
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業資産 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

2020-11-05 [長年日記]

[煉瓦][独言] 撮影・新聞整理

断面写真を撮る。撮るのに疲れて反映までできず。

のち、新聞コピーを整理する。コピってきただけでめ切れていない重要情報が溜まっていることを思い知り焦る。入江組がガラス製造もしていたとか稲葉組が明治2 年渡航とか(稲葉組は菱橋西詰)、M19貝塚の陶・煉瓦窯が売りに出されているとか同年の道古粂三郎とか。最後のはとくに重要。山岡尹方の製造を援助したあの人。どっかで読んだ名前だと思ったらこれだったのか。ミッシングリンクとまではいかないが推測の糧にはなる。あ・・・山岡関係資料のコピーはどこいった。奥丹波史談会の会報のコピーも見つからぬままだ。

毎日のM21は前半を見ていないのだな・・・M23もみてない。今頃気づいた。そこのほうが面白そうな気もする。

めがしょぼしょぼするよ!!!

両方共あった。安心して眠れる。

貝塚にはM19以前に煉瓦製造所があり、M23に第一煉瓦の分工場ができ、M26に売却。これが貝塚煉瓦になったものと思えるが、M19→M23の間は直には繋がらない。 M20第一煉瓦の直前にM19の道古久米三郎の工場があったのは確実。道古はM34大阪府誌。

何ピースあるのかわからないパズルのピースを拾い集めていて、集めるのだけで疲れ切っている感じ。あるいはひと続きのティーセットを蚤の市を巡って揃えようとしているかのよう。まことに終わりが見えない。終わりがあるようにも思えない。何を求めてこんなことをしているのかわからない。しない自分というのも想像できないのだが。

岡山の玉島煉瓦も×印なのは、しまったぞ、意味があるかも知れない。しかし山陽鉄道の建設には届かない。あと小豆島の七福社とか入れとかないといけないぞ。

青山工場の開業。堀川監獄の煉瓦製造計画。堀川監獄と堺監獄の間で行き来。堺監獄の煉瓦製造人の脱獄。それと煉瓦の囚人利用。

堺煉瓦石の役員。社長井上勝彦、役員に宮崎三郎? 宮崎商店と呉鎮、原口が東京鎮台へ納入(ほんまかいな。アジ歴の原口の記録も夜目)、といったことの関係性。

資料整理の時に引っ張り出した煉瓦製造史。改めて読むと結構ツボをついた的確な記述であることを知る。造幣寮の煉瓦=明石の瓦屋で失敗、砲兵工廠は原口という書き分けはどうなんだろう。他が違う可能性もないではない。いやいや、明石がだめで江川某に焼いてもらってうまくいったんだ>造幣寮。そうして砲兵工廠と鉄道寮は原口なんだ。

M13頃佐藤煉瓦が赤煉瓦白煉瓦を製造。原口も確か赤白作っていた(件の絵の詞書)。

尽きない気力と充分な時間と生きるのに必要な実入りがほしい。目標に何かしら価値があるという保証があれば。なくてもいいか。

思考がばらついていて、何かしては違うことに興味が奪われ、手を出して、また違う興味に移って、何一つものにならない。疲れている。一つに絞っていくのはそれだけでも結構な労力。集中力、と改めて思わないと集中できないのは疲れている証拠。


トップ «前の日記(2020-11-04) 最新 次の日記(2020-11-06)» 編集