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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-11-05 この日を編集

[陸幼日記]十一月五日 水曜日 晴

術科も随意運動も精一ぱいなしたり。故に命年の如く激しき運動をなしたるため熱三十八度に上りたるため就寝許可を願い出たり。友は一心に勤めいるに我一人寝る。なんと残念なることあらん。早くなおるを願いたり。


2010-11-05 この日を編集

[] 大正9年福井県:府県道路線認定調書

本題とは離れるが、松波さんのところに福井県道@大正がなかったので作ってみる。大正11年福井県史より。

出典:http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960758/98

府県道路線認定調書   福井県

路線名 法第十一条の該当号 (認定路線)
起点
終点
重要なる経過地 認定路線延長
道路延長橋梁延長他の道路に属する区間
地点延長
福井木田線 (福井市より足羽郡役所所在地に達す)
福井市照手上町
足羽郡木田町
十九丁十六間
三丁三十六間国道十二号線
自 福井市照手上町
至 同氷川町
十五丁四十間
福井停車場線 (福井市より福井停車場に達す)
福井市照手上町
福井停車場(日ノ出下町)
九丁二十間
五丁三間二間国道十二号線
自 福井市照手上町
至 同佐佳枝上町
四丁十五間
福井八幡線 (福井市より大野郡上穴馬村県界に達す)
福井市照手上町
大野郡上穴馬村県界
福井市佐佳枝上町、吉野下町、豊島上町、吉野下町、足羽郡和田村、酒生村、大野郡大野町、下穴馬村 二十一里二丁五十一間
二十里二十丁四十五間十一丁三十八間福井停車場線
自 福井市照手上町
至 同佐佳枝上町
六丁二十八間
武生今庄線 (南条郡武生町より今庄村に達す)
南条郡武生町
同 今庄村
南条郡王子保村、南日野村、南杣山村、湯尾村 四里二十一町三十四間
四里七町一丁国道十二号線
自 武生町蓬莱
至 神山村松森
十三丁三十四間
今庄木ノ本線 (南条郡今庄村より堺村県界に達す)
南条郡今庄村
同 南条郡堺村県界
三里三十三間
二里三十五丁十八間一丁十五間−線

福井加賀吉線 (福井市より坂井郡吉崎村県界に達す)
福井市照手上町
坂井郡吉崎村県界
吉田郡河合村、坂井郡芦原村、北潟村 七里二十四丁十三間
七里十三丁八間五丁十八間国道十二号線
自 福井市照手上町
至 同 春山中町
六丁十七間
福井松岡線 (福井市より吉田郡松岡村に達す)
福井市照手上町
吉田郡松岡村
福井市清川上町、吉田郡東藤島 二里十一丁十七間
一里二十八丁八間五丁二十間国道十二号線
自 福井市照手上町
至 [竹冠+成]川上町
十九丁十九間
松岡勝山線 (吉田郡松岡村より大野郡勝山町に達す)
福井市照手上町
大野郡勝山町
吉田郡上比志村、大野郡北郷村 五里八丁十七間
五里三丁十七間五丁−線


勝山大野線 (大野郡勝山町より大野町に達す)
大野郡勝山町
同 大野町
大野郡猪野瀬村、遅羽村、下庄村 二里二十四丁三十七間
二里二十丁四十九間三丁四十八間−線


福井三国港線 (福井市より三国港に達す)
福井市照手上町
坂井郡雄島村
坂井郡大石村、木部村、三国町 五里十五丁四十二間
三里十六丁十七間一丁二十二間福井加賀吉崎線
自 福井市照手上町
至 坂井郡春江村針原
一里三十四丁三間
越廼福井線 (丹生郡越廼村より福井市に達す)
丹生郡越越廼村蒲生
福井市照手上町
丹生郡殿下村、志津村、足羽郡社村、福井市千歳町、足羽下町、九十九町 七里四丁十六間
六里三十五丁二十一間四丁五十五間−線


梅浦福井線 (丹生郡四ヶ浦より福井市に達す)
丹生郡四ヶ浦村梅浦
福井市照手上町
丹生郡織田村、糸生村、志津村 八里二十丁六間
五里十丁十一間一丁二十八間越廼福井線
自 丹生郡志津村大森
至 福井市照手上町
三里八丁二十七間
福井志比谷線 (福井市より永平寺に達す)
福井市照手上町
吉田郡志比谷村永平寺
吉田郡吉野村 三里二十九丁三十間
二里十一丁三十三間二十九間福井松岡線
自 福井市照手上町
至 吉田郡東藤島村上中
一里七丁三十八間
勝山m三国港線 (大野郡勝山町より三国港に達す)
大野郡勝山町
坂井郡雄島村宿
坂井郡鳴鹿村、高椋村、東十郷村、伊井村、金津村、本荘村 十一里五丁四間
五里三十五丁五十五間三丁四十一間松岡勝山線勝山町長淵より吉田郡下志比村東古市に至る
四里十丁十一間
国道十二号線 自坂井郡丸岡町本 至同乾七丁
福井嘉賀吉崎線坂井郡本荘村下番の一部
五十三間
福井三国港線坂井郡三国町玉井桜谷より雄島村宿に至る
十九丁二十四間
粟田部武生線 (今立郡粟田部村より南条郡武生町に達す)
今立郡粟田部村
南条郡武生町
今立郡北新庄村、国高村、武生町大門河原 二里二丁五十八間
二里九間二丁四十九間−線


梅浦武生線 (丹生郡四ヶ浦村より南条郡武生町に達す)
丹生郡四ヶ浦村
南条郡武生町
丹生郡宮崎村、大虫村 五里三十四丁五十四間
三里三十八丁三十九間梅浦福井線/自 丹生郡四ヶ浦村/至 同織田村
二里一丁二十七間
国道十二号線南条郡武生町有明より蓬莱に至る
三丁五十一間
朝日武生線 (丹生郡朝日村より南条郡武生町に達す)
丹生郡朝日村
南条郡武生町
丹生郡吉川村、豊村、吉野村 二里三十二丁三十一間
二里二十四丁五十五間四十二間梅浦福井線
自 南条郡武生町深草
至 同 蓬莱
六丁五十四間
勝山金沢線 (大野郡勝山町より北谷村県界に達す)
大野郡勝山町
大野郡北谷村県界
大野郡村岡村 三里三十五丁
三里三十三丁四十間一丁二十間−線


敦賀神楽線 (敦賀郡敦賀町より気比神社に達す)
敦賀郡敦賀町
同 神楽
敦賀町御手洗 四丁八間
四丁七間一間−線


敦賀泉線 (敦賀郡敦賀町より金ヶ崎宮に達す)
敦賀郡敦賀町大内
同 泉
八丁十二間
一丁八間国道十二号線
自 敦賀町大内
至 同 泉 
七丁四間
敦賀港東線 (敦賀郡敦賀町より敦賀港に達す)
敦賀郡敦賀町大内
同 泉
敦賀町大湊、天満、入船 七丁三十間
六丁二十二間六間国道十二号線
自 敦賀町大内
至 同 境 
一丁二間
敦賀港西線 (敦賀郡敦賀町より松原村常宮に達す)
敦賀郡敦賀町大内
松原村常宮
二里二丁五十六間
一里三十五丁二間一丁九間国道十二号線
自 敦賀町大内
至 同 富貴
二丁四十五間
越廼三国線 (丹生郡越廼村より坂井郡三国町に達す)
丹生郡越廼村蒲生
坂井郡三国町元新
坂井郡鷹巣村、新保村 六里十六丁十間
五里二十六丁二十八間六丁二十一間福井三国港線
自 三国町元新
至 同 上西
四丁十間
越廼福井線丹生郡越廼村蒲生より大塚に至る十五丁十一間
高浜周山線 (大飯郡高浜町より遠敷郡奥名田村県界に達す)
大飯郡高浜町事代
遠敷郡奥名田村
大飯郡佐分利村 五里十二丁十九間
五里二丁四十六間三丁八間国道三十五号線
自 高浜町事代
至 同 南部
六丁二十五間
小浜今津線 (遠敷郡小浜町より熊川村県界に達す)
遠敷郡小浜町鹿島
同 熊川村県界
四里二十三丁三十六間
二里十一丁七間五十間国道三十五号線
自 小浜町鹿島
至 三宅村日笠
二里十一丁三十九間
鯖江粟田部線 (今立郡鯖江町より粟田部村に達す)
今立郡鯖江町
同 粟田部村
鯖江停車場、今立郡新横江村、北新庄村 二里十九丁三十一間
二里二丁三間五十四間粟田部武生線
自 今立郡北新庄村戸谷
至 同粟田部村粟田部
十六丁三十四間
松岡福井停車場線 (吉田郡松岡村より福井停車場線に達す)
吉田郡松岡村木
福井停車場
福井市松ヶ枝下町、売永下町、日ノ出下町 十一丁五十四間
十一丁五十四間八間福井松岡線/自吉田郡松岡村木/至福井市[竹冠+成]川上町
一里二十七丁二十九間
福井停車場線福井市日ノ出下町の一部
四十九間
竜前新平野停車場線 (遠敷郡遠敷村竜前より新平野停車場に達す)
遠敷郡遠敷村竜前
新平野停車場
一里七丁十三間
十五丁十間三里国道三十五号線
自 遠敷郡遠敷村遠敷
至 同松永村平野
二十八丁
北西郷河原市停車場線 (三方郡北西郷村より河原市停車場に達す)
三方郡北西郷村
河原西停車場
美方郡南西郷村 三十三丁二十六間
三十三丁十一間十五間−線


吉崎細呂木停車場線線 (坂井郡吉崎村より細呂木停車場に達す)
坂井郡吉崎村
細呂木停車場
坂井郡細呂木村 一里二十丁二十七間
一里十九丁五十九間二十八間−線


金津停車場線 (坂井郡金津町より金津停車場に達す)
坂井郡金津町
金津停車場
七丁四十間
七丁十三間二十七間−線


芦原停車場線 (坂井郡芦原村より芦原停車場に達す)
坂井郡芦原村
芦原停車場
五十三間
五十一間二間−線


三国停車場線 (坂井郡三国町より三国停車場に達す)
坂井郡三国町
三国停車場
四丁−線


武生停車場線 (南条郡武生町より武生停車場に達す)
南条郡武生町
武生停車場
四丁四十五間
三丁十一間二間粟田部武生線
自 南条郡武生町蓬莱
至 同 吾妻
一丁三十二間
今庄停車場線 (南条郡今庄町より今庄停車場に達す)
南条郡今庄町
今庄停車場
一丁二十一間
一丁二十間一間


敦賀停車場線 (敦賀郡敦賀町より敦賀停車場に達す)
敦賀郡敦賀町
敦賀停車場
十四丁四十一間
十丁五十三間二間敦賀神楽線
自 敦賀町大内
至 同 神楽
三丁四十六間
栗野停車場線 (敦賀郡栗野村(金山)より栗野停車場に達す)
敦賀郡栗野町(金山)
栗野停車場
十三丁五十一間
八丁二十間四間国道三十五号線
栗野村金山の一部
五丁二十七間
河原市停車場線 (美方郡耳村(河原市)より河原市停車場に達す)
美方郡耳村(河原市)
河原市停車場
十丁二十三間
二丁三十五間国道三十五号線
自 美方郡耳村河原市
至 同 南西郷村郷市
七丁四十七間
三方停車場線 (三方郡八村(三方)より三方停車場に達す)
美方郡八村(三方)
三方停車場
二十五間
二十五間


小浜停車場線 (遠敷郡小浜町より小浜停車場に達す)
遠敷郡小浜町
小浜停車場
六丁二十四間
六丁十七間七間

志比谷永平寺停車場線線 (永平寺より永平寺停車場に達す)
吉田郡志比谷村(志比)
永平寺停車場
一里二十三丁五十間
二十七丁二間二間福井志比谷線
自 吉田郡志比谷村志比
至 同 京善
三十丁四十六間
勝山停車場線 (大野郡勝山町より勝山停車場に達す)
大野郡勝山町
勝山停車場
九丁三十三間
三丁十八間三丁十五間勝山大野線
自 勝山町長淵
至 同 袋田
三丁
武生新武生停車場線 (南条郡武生町より新武生停車場に達す)
南条郡武生町
新武生停車場
六丁八間
一丁四十一間三丁十五間粟田部武生線
自 武生町蓬莱
至 同大門河原
四丁二十八間
春江森田停車場線 (坂井郡春江村(江留上)より森田停車場に達す)
坂井郡春江村(江留上)
森田停車場
二十二丁三十三間
十八丁四十五間七間国道十二号線
自 吉田郡森田村上森田
至 同下森田
三丁四十一間
神明鯖江線 (今立郡神明村歩兵第三十六連隊より鯖江町に達す)
今立郡神明村歩兵第三十六連隊
同 鯖江町
三十丁二十八間
三丁二十八間国道十二号線
自 今立郡神明村水落
至 同鯖江町
二十七丁
小浜西津線 (遠敷郡小浜町より西津村に達す)
遠敷郡小浜町
同 西津村
小浜町清、滝雲浜村 三十一丁二十八間
二十六丁四十五間二丁三十間小浜停車場線
自 小浜町鹿島
至 同広峰
二丁十三間
小浜港線 (遠敷郡小浜町より小浜港に達す)
遠敷郡小浜町
小浜港
七丁十一間
一丁二十五間小浜停西津線
自 小浜町鹿島
至 同生玉
五丁四十六間
敦賀今津線 (敦賀郡敦賀町より愛発村県界に達す)
敦賀郡敦賀町
同 愛発村県界
四里五丁五十六間
二里三丁三三十一間二十五間国道十二号線
自 敦賀町大内
至 愛発村疋田
二里二丁
福井岩堀線 (福井市より藤島神社に達す)
福井市照手上町
同 岩堀町藤島神社
福井市足羽上町、常盤木町 九丁三十二間
六丁三十間越廼福井線
自 福井市照手上町
至 同 足羽下町
三丁二間
小浜園部線 (小浜町より遠敷郡知三村県界に達す)
小浜町鹿島
遠敷郡三村県界
遠敷郡口名田村 六里二丁三間
五里十五丁三十四間三丁四十四間国道三十五号線小浜町鹿島より今富村和久里に至る十八丁四十五間
三宅停車場今津線 (三宅停車場より遠敷郡熊川村県界に達す)
三宅停車場
遠敷郡熊川村県界
一里二十五丁二十九間
一丁十四間小浜宮津線
自 遠敷郡三宅村井ノ口
至 同熊川村県界
一里三十四丁十五間
小和清水粟田部線 (足羽郡下宇坂村小和清水より今立郡粟田部村に達す)
足羽郡下宇坂村小和清水
今立郡粟田部村
足羽郡上宇坂村、大野郡下味見村、今立郡上池田村、岡本村 八里十八丁五十二間
八里十三丁四十六間五丁六間


山家本郷線線 (大飯郡佐分利村県界より本郷村に達す)
大飯郡佐分利村県界
同 本郷村
四里十五丁
四里十二丁二十間二丁十間高浜周山線
大飯郡佐分利村石山の一部
三十間
東郷福井線 (足羽郡東郷村より福井市に達す)
足羽郡東郷村
福井市照手上町
二里七丁四十九間
二十三丁三間一丁四十六間福井八幡線
自 足羽郡酒生村稲津
福井市照手上町
一里十九丁
東郷朝日線 (足羽郡東郷村より丹生郡朝日村に達す)
足羽郡東郷村
丹生郡朝日村
足羽郡上文殊村、大土呂停車場、丹生郡立待村 四里十六丁三十八間
三里十二丁三十四間二丁三十八間東郷福井線/自東郷村東郷二箇/至同村安原 四丁四十四間
国道十二号線/自足羽郡麻生津村浅水/至今立郡神明村鳥羽中 二十五丁五間
朝日武生線自丹生郡朝日村気比庄/至同郡同村西田中 七丁三十七間
本郷停車場線 (大飯郡本郷村より本郷停車場に達す)
大飯郡本郷村
本郷停車場
六丁十一間
二十三間国道三十五号線
本郷村本郷の一部
五丁四十八間
高浜停車場線 (大飯郡高浜町より高浜停車場に達す)
大飯郡高浜村
高浜停車場
八丁五十二間
四丁五十二間五間国道三十五号線
自 高浜町事代
同 三明
三丁五十五間
河和田鯖江線 (今立郡和田村より鯖江町に達す)
今立郡河和田村
鯖江町
今立郡北中山村、中河村 二里二十四丁
二里一丁四十三間一丁九間鯖江粟田部線
自 今立郡新横江村横越
同 鯖江町
二十一丁八間
鮎川福井線 (丹生郡国見村より福井市に達す)
丹生郡国見村
福井市照手上町
坂井郡鶉村、大安寺村、吉田郡西藤島村、足羽郡東安居村、福井市湊下町、照手上町 七里四丁五十四間
四里二十一丁二十七間二丁三十九間越廼三国線/自丹生郡国見村鮎川/至坂井郡東々村石橋 二里十五丁二十七間
国道十二号線/自福井市錦中町/至同照手上町 一丁二十一間

明治期の道路改修が網羅されてる。明治36年の土木費支出法改正で郡が管理する道路を設けたともある。一覧をつくろうとしたら全部打ち込んだところでエディタが落ちたので萎えた。


2014-11-05 この日を編集

[ph.] 目つきの悪い猫

画像の説明

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [ヒャッハー!とか言って飛び掛かりたくなるな。 目付き云々より、耳欠けてるな。喧嘩したんかいな(´・ω・`)]

_ nagajis [野良だからねぃ。壮絶な切った張ったの世界だとおもうよ。]


2017-11-05 この日を編集

[煉瓦展] 搬入

道路に横断勾配がついていることをいやというほど思い知らされた。

[煉瓦展] 搬入2

途中でダイソーに立ち寄ったので録画を中断している。後半戦。

[煉瓦展] えー来場者カウントするの?

しかも一時間ごとに。恥ずいやん。


2018-11-05 この日を編集

[独言] 不惑なんじゃねえ

不得惑、迷ってる暇も余裕もなくなっただけのことじゃないのか>nagajis。あと面の皮が厚くなったとか諦めがつくようになったとか。

[独言] 工場通覧を取得する

岡町図書館で旧近デジが閲覧できる→旧近デジに収録されている工場通覧を出力したら分厚い本をセルフコピーする緊張感も持ち運ぶ体力も府立図書館への往復運賃&時間も節約できると気付き、そのようにした。図書館の方を酷使してS13〜S45まで一気に取得。そのうえ煉瓦工場の抽出(マーカーひいてテキスト入力しやすくする)ところまでやってしまう。図書館閉館ぎりぎりまで居て、それ以降はガストじゃなくてバーミヤンじゃなくてあれ何だっけ至やんのはみれす、そうそうサイゼリヤだサイゼリヤ、に移って続きをやった。S24版ははじめから煉瓦工場が抜き出されているので困らないがそれ以降はガラス製品とかセメント製造とかブロック工業とかプリゾナとかクリスマス用電球とかアンプルとかアンプールとか注射器とかと混載されているので必要なやつを抜き出さないといけない。「煉瓦」という文字をひたすら拾い続ける6時間。鍛錬のお陰で比較的精度よく拾えたと思ってはいるが掠れた印刷の「燻瓦」や「桟瓦」を「煉瓦」と見分けるのは食いしばる歯がすり減っていく作業である。特にS10年代とS25以降S31頃までの縦書きのやつはしんどい。S33以降は各項目左揃えの簡易表形式なので製造品目欄を縦読みするだけで済む。

そうやってマーカーひいても終わりじゃねえんだ。こんどはこれをテキスト入力せなならん。ま、大阪の赤煉瓦工場とか岡山愛知の耐火煉瓦工場とかに比べたら絶対量は少ないので今までやった分の1/2くらいの労力で済むだろう。行ける行ける。とか考えていたら日本工業羊羹で古典犯に負かされたのだった。そんなに甘くねえんだ>羊羹。

小菅集治監の煉瓦は諸井恒平が会長の煉瓦商会を窓口として販売されていたin大正10年頃。へー、そうなんだ。そういや監獄煉瓦は通覧に出てこないのだな、特に入れておかないと。樺戸とかも。

そんな不毛な作業をぶっ続けでやっていたら世界がどうにかなりそうな気がしてきた。音も立てずにさらさらと瓦解していく世界を無心に記述しているみたいで。そうすることに対する崇高の昂揚。フーコーの振子は古く風向に降伏するのであった。

一応初出のものだけ諸元を書き出すつもりでいたのだけれども頭がクラクラしてくると初出だったか何だったかわからなくなりだったら入力しておいたほうが何かに使えるかも知れぬと思い入力しているやつが山程あって無駄である。これをエクセル表に突っ込んだらセルが膨張して見にくくなること必至。ちと考えなければならん。大正11年以降昭和3年頃までの、工場通覧でカバーできない範囲を補う程度に拾っていってもいいのかも知れぬと思う一方で通覧掲載年でも通覧に未記載の情報があってそれのほうが価値があったりもするものだから結局は前年度テキスト起こさないといけない。マゾヒスティックもいいところだ。


2020-11-05 この日を編集

[煉瓦][独言] 撮影・新聞整理

断面写真を撮る。撮るのに疲れて反映までできず。

のち、新聞コピーを整理する。コピってきただけでめ切れていない重要情報が溜まっていることを思い知り焦る。入江組がガラス製造もしていたとか稲葉組が明治2 年渡航とか(稲葉組は菱橋西詰)、M19貝塚の陶・煉瓦窯が売りに出されているとか同年の道古粂三郎とか。最後のはとくに重要。山岡尹方の製造を援助したあの人。どっかで読んだ名前だと思ったらこれだったのか。ミッシングリンクとまではいかないが推測の糧にはなる。あ・・・山岡関係資料のコピーはどこいった。奥丹波史談会の会報のコピーも見つからぬままだ。

毎日のM21は前半を見ていないのだな・・・M23もみてない。今頃気づいた。そこのほうが面白そうな気もする。

めがしょぼしょぼするよ!!!

両方共あった。安心して眠れる。

貝塚にはM19以前に煉瓦製造所があり、M23に第一煉瓦の分工場ができ、M26に売却。これが貝塚煉瓦になったものと思えるが、M19→M23の間は直には繋がらない。 M20第一煉瓦の直前にM19の道古久米三郎の工場があったのは確実。道古はM34大阪府誌。

何ピースあるのかわからないパズルのピースを拾い集めていて、集めるのだけで疲れ切っている感じ。あるいはひと続きのティーセットを蚤の市を巡って揃えようとしているかのよう。まことに終わりが見えない。終わりがあるようにも思えない。何を求めてこんなことをしているのかわからない。しない自分というのも想像できないのだが。

岡山の玉島煉瓦も×印なのは、しまったぞ、意味があるかも知れない。しかし山陽鉄道の建設には届かない。あと小豆島の七福社とか入れとかないといけないぞ。

青山工場の開業。堀川監獄の煉瓦製造計画。堀川監獄と堺監獄の間で行き来。堺監獄の煉瓦製造人の脱獄。それと煉瓦の囚人利用。

堺煉瓦石の役員。社長井上勝彦、役員に宮崎三郎? 宮崎商店と呉鎮、原口が東京鎮台へ納入(ほんまかいな。アジ歴の原口の記録も夜目)、といったことの関係性。

資料整理の時に引っ張り出した煉瓦製造史。改めて読むと結構ツボをついた的確な記述であることを知る。造幣寮の煉瓦=明石の瓦屋で失敗、砲兵工廠は原口という書き分けはどうなんだろう。他が違う可能性もないではない。いやいや、明石がだめで江川某に焼いてもらってうまくいったんだ>造幣寮。そうして砲兵工廠と鉄道寮は原口なんだ。

M13頃佐藤煉瓦が赤煉瓦白煉瓦を製造。原口も確か赤白作っていた(件の絵の詞書)。

尽きない気力と充分な時間と生きるのに必要な実入りがほしい。目標に何かしら価値があるという保証があれば。なくてもいいか。

思考がばらついていて、何かしては違うことに興味が奪われ、手を出して、また違う興味に移って、何一つものにならない。疲れている。一つに絞っていくのはそれだけでも結構な労力。集中力、と改めて思わないと集中できないのは疲れている証拠。


2023-11-05 この日を編集

[きたく]きたく

画像の説明

うむ。ない。

砂の摩耗について考えるべき。敦賀線工場の煉瓦は山の中にあるだけに砂も摩耗していず石英・長石が非常に角立っている。湖東組の煉瓦も石英・長石系を多く含むが黒灰色の石粒は角が取れて丸い。敦賀線工場の煉瓦再チェックのこと。

工場後の煉瓦は破棄煉瓦だけあって厚さが一定していない。50mmを切るものがあるかと思うと60mm前後まで行っているものも。焼けていない煉瓦ほど厚い傾向にあり、おおよそは2-1/4インチを意図したものとみられるが、その系統とは別個に?薄い煉瓦も存在する。そうしてその薄い煉瓦には溶融や粘土塊の付着が目立った。窯用に使われた他所から持ち込まれたものか。とはいえ胎土はよく似ている気がする。

横山隧道の煉瓦には角の取れた砂粒比較的大が多く含まれる&白斑もある。湖東組のにはここまで多種の石は含まれない。ただ大正期には配合が変わっていた可能性も無きにしもあらず。あの時割った煉瓦の写真、なぜ残してないんだ・・・


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