nagajisの日不定記。
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中川煉瓦ホフマン窯の天井にあったじゃないか。小口“イ”。
これがこれなんだ。
だから仁保川橋梁の“丙丁+英数字”は中川さんとこで作られたのは間違いない……!!!
ここでようやく、こんなところでようやく、またひとつの謎が解けた。うれしいことだ。
これこそが探していた湖東組製品! と断言したいところだが、湖東線建設時(M22)=湖東組時代の製品なのか、複線化時(M34)=中川煉瓦時代なのかをこれだけで断定することはできない。中川煉瓦のホフマン窯は明治45/大正元年建造だ。どちらでもあり得る。時間軸で見れば後者のほうがあり得るようにも思える。
だがしかし、余った異形煉瓦が工場でも持て余されるくらいに邪魔だったらしいことは勢陽組工場跡の状況が物語っている。池田本町には間違いなく後年製の堺煉瓦の異形煉瓦だとか“E”だとかもあった。その一方で西尾士族生産所製らしい漢数字印もあた。池田本町の瓦礫は新旧の井筒の残骸であることは間違いなく。してM34には堺煉瓦だったり岸和田煉瓦だったりといった大工場が安価で大量供給できるようになっていた。競争入札せねばならなくもあった。複線化時には異形煉瓦を作らなかったのではないか>中川さん。即ち丙丁+英数字を湖東組製品とみてよいのではないか。
ああ、見えないものが見えてくる。僅かな残余物がものをいう。無いものを勝手に見ているだけ、幻聴しているだけでも構わない。理論的にはその可能性が高いというまでよ。