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2023-12-14 [長年日記]

[きたく][橋梁][煉瓦] (推)上十三川橋梁橋台遺構

画像の説明 画像の説明

道具は忘れるわ手袋片方なくすわ目当ての井筒は見つからないわ後輪の空気が空っぽになっているわ遺構の写真がまともに撮れてないわでまことにわけがわからない。我ながら生き急いでいると思う。別に12/14 0:50の-9cmを狙わなくても+50cmくらいで十分露出する。GoogleMaps航空写真参照。

読みは正しかったのだがなぜ3インチ肉厚異形ばかり転がっているのかわからない。上淀川橋梁の橋脚を改築したときの瓦礫を転がしてあるのか。

ちがうわ、上十三川橋梁はそれはそれで複線化されとんねん。鐵道作業局年報 明治30年度の時点で桁架設を残すのみになっていた。その後になって新淀川開削されて改めて上淀川橋梁を複線で新設したわけだから、肉厚異形はM29~32頃の上十三川橋梁複線化の際のやつ。

上十三川橋梁区間吹田大阪間の複線化M32完了、上淀川橋梁完工M34.8.by日本鉄道史 https://dl.ndl.go.jp/pid/2127166/1/102

樋口橋梁は下り線方に延伸した節があるので上十三川橋梁も上流側に複線化しているかも知れない。上流側に新井筒を作った例はないわけではない(天竜川橋梁とか)。

柴島干潟は2004年に造成。この場所を掘削した土砂を海老江に運んで海老江干潟を造成している。オリジナル井筒の煉瓦が見つかるとすればこっちか。。。https://www.kkr.mlit.go.jp/yodogawa/activity/environment/nb3uba00000007yw-att/higata.pdf

あー、なんか生き急ぎ過ぎだ。


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