トップ «前の日(01-28) 最新 次の日(01-30)» 追記
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | NDL | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

1942-01-29 この日を編集

[陸幼日記]一月二十九日 木曜日 晴

朝より気分悪く七時に至り遂に胃痙れんとなる。故に就寝し授業に出ず。十時に入室す。以後は寝ねいたり。


1943-01-29 この日を編集

[陸幼日記]一月二十九日 金 晴

遥拝時は全校にて一昨日の如く一番にして先ず此の後行事をなす。一日の計は朝にあり、又朝より気合かゝれば愉快に仕事が出来、然も能率上るを覚えたり。午後は教練・体操・運動班運動にして教練は戦闘各個教練、体操は遊戯なりき。いずれも愉快になす事を得たり。時間厳守につき、之は正しく行うには時計を常に合わす事肝要なり。何となれば時節柄電力減〔朱訂正〕らしある故遅るゝ故なり。今日等初めて十分遅れいたるを、二・三人して知らずに、合わす為に十分づゝ進めし故に十分の誤を生じ入浴よりあわてゝ出でて未だ十分時間ありて落胆した〔せし〕次第なり。異状なし。


2009-01-29 この日を編集

[バックナンバーCD] #2

画像の説明ジャケット試し刷り。たぶんこうなる。ケースが傷だらけの汚いやつなのでアレだが。


2010-01-29 この日を編集

[ORJ][原稿] うーん2

どうも微妙。実験的内容の割にページ数多いしサイズでかいしネタはあれだし。作る苦労も報われない(順に見てけばいいものな)。条件分岐させるならjsでがっつり作らんといかんのが特にしんどい。かといって現状で見てもらうには中途半端だしな。31に帰って勧化用。

知ったかぶりって解説を入れるとか何かすべきか。現状はまさに1/2の雰囲気を再現してるのだけどな。地図なし/机上調査なし/思いつきで向かった探索の再現にはなってる。

そのせいで地図が入れられない。先がわかっていたら迷うことも危うく見落とすこともなく寸也行ったはずで、逆に「なぜそこで迷うよ?」とイミフになる。というかそれじゃただのレポか。頑張ってトリッキーなレポ書きますか。まあそもそもそんなもの誰も必要とはせんしレポでもないけどな。道路に降りてきた場面と浄水場周辺と後半の一本道&erの辺り、工夫しなければならない。

要は写真を消費しようという魂胆なのだった。が枚数増え過ぎて解像度上げられないという自縛。というか・・・「写真で綴る」とかなんとか副題つけて写真並べるだけでよかったんじゃまいか、と今更気づいた。馬鹿。

うまくいけばこの企画で1。あと駒井野を1つは何とか。JIS男で旧橋やりたいが、適当なものが見つからない・・・。質は考えない。同時進行で東熊野10ページ。あ畑忘れてた...orz

[独言] この空は

おれにはもったいない青さだ。

[独言] そうか。

砂糖買わないといかんのだった・・・。


2011-01-29 この日を編集

[独言] 土木局長通牒第333号

なんでこれだけあらへんねん!(以下四文字ワード連呼)

[奇妙なポテンシャル] #220

よくある終末。画像の説明

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ 廃道774号 [最後の1クリックで爆弾、確かによくある。逆にほとんどないのが最初の1クリックで爆弾(一度だけある)。]


2012-01-29 この日を編集

[][都計] 戦前大阪市都市計画事業ダイジェスト

なんでこんなことしてるんだろと思いつつ都計事業を学んでいる.以下路線をGoogleMapsに落とし込んだやつ祭り.見出しをクリックすると1/27の路線一覧にとぶ.1/30にはS12時点の残存計画街路一覧.

[都計] 大阪市区改正設計街路

大正8年に決まった最初の都市設計.主に集覧と大正15年発行『大大阪市街地図』(有芳閣発行)を参考にしたが,この図は平野の辺りが入ってなくて若干心許ない.尻無川木津川の間の埋立地も変化が大きすぎてラインを特定できない. 

参考文献:大阪市役所『大阪都市計画並同事業集攬』昭和12(1937),『大大阪市街地図』有芳閣,大正15(1926)


より大きな地図で 大阪市市区改正設計街路 を表示

この頃から春日出橋が織り込まれとったんや!

[都計] 更正第一次都市計画事業

改築橋梁,路線改修(新築),路線の3本立て.一つ所に入れ込むとマーカー数が多すぎてページが分かれてしまって意味を為さない.KMLでDL→インポートして合わせるとかなんとかするよろし.

新築之部

大阪市役所『第一次大阪都市計画事業誌』昭和18(1943),大阪市産業部『大阪市地図』昭和18(1943)(だったと思う.おもに橋名確認のために利用)
より大きな地図で 第一次都市計画橋梁実績 新築之部 を表示

改築之部

同上
より大きな地図で 第一次都市計画橋梁実績 改築之部 を表示

事業街路之部

「市区改正設計街路」で作ったGoogleMapsをもとに,昭和2年『大阪都市計画総覧』図で確認しつつラインを落としこんでみたが…最後のほうでワカメになってきた.市区改正設計街路時代の路線(経由地)はざっくり削ったほうがいいのか,残して比較対象にしといたほうがいいのか.その後の変更・削除はどうするのかとか.

メモ:残存計画一覧で路線番号が飛んでるのは二等大路から一等大路へ繰り上げされたやつがあるため.市区改正設計街路にあって更正第一次都市計画事業になってないやつが多々あり,名前すらついていないが(更正第一次都市計画事業から路線名称がつく),『大阪都市計画総覧』図にはきちっと書かれてある.よくわからんちん.

その後の計画でもあがってこないし,それをいつ実施するかの予定も未定(1/30一覧参照).文字通りの残置状態で放っておかれている.最初はやるつもりだったけど不要不急ということで放置された?
より大きな地図で 更正第一次都市計画事業 路線 を表示

[都計] 第二次都市計画事業

安治川隧道,新淀川新橋などピンポイントに大きな工事があった事業.大阪環状線を意識していたらしく市域周縁部に集中しているのがわかる.橋梁は採歴鋼橋にある源八橋,大浪橋のほか,千鳥橋(たぶん現存),上船津橋,湊橋(架替済),いくつかの未確認橋梁.これについては工事が実施されていれば必要になったろうというだけで保証はない.実施率60%で,実績のまとめではなくS12時点の事業予定を使ってプロットしてるし.

そうして前代未聞の廃道を発見した.今までにはないタイプ.独りでヤバがってティンクルティンクル歌っている.

参考文献:大阪市役所『大阪都市計画並同事業集攬』昭和12(1937),大阪市産業部『大阪市街地図』
より大きな地図で 第二次大阪都市計画事業 を表示

[都計] 第三次都市計画事業

実施率10%ということでほとんど期待していなかったのだが,ここで春日出橋が作られていたらしいことを発見.しかし採歴鋼橋の時点で架け替え中になっているから現存しないのかも知れぬ.

新淀川新橋の経費を振り分けて下部工が作られた都島橋も第三次都計事業の産物.その他にもいくつかあるかも知れないが期待薄だ.

参考文献:大阪市役所『大阪都市計画並同事業集攬』昭和12(1937)
より大きな地図で 第三次大阪都市計画事業 を表示

こうして計画と事業を突き合わせてみるといろいろなことがわかって面白い.必ずしも路線全体を一気に改修したわけじゃないこと(第二次+第三次でつなげようとした森小路大和川線とか)とか,第一次~第三次がよっぽどオーバーラップしてたこととか,何を意図してその路線を改修しようとしたのかとか.時勢の変化に柔軟に対応できるような仕組みだったんだろうが,こんだけスパゲッティだと追っかける方はもちろんやってたほうもワケワカメだったろうとおもう.


2014-01-29 この日を編集

[煉瓦工場][煉瓦][] 中国・四国煉瓦工場表

goo.gl/NcAOfz

岡山県の煉瓦工場(1)

愛媛県香川県の煉瓦工場

鳥取島根徳島高知の煉瓦工場

山口県の煉瓦工場

広島県の煉瓦工場(1)

広島県の煉瓦工場(2)

岡山県の煉瓦工場(2)

関西地方の煉瓦製造業を知るための補助的位置付けの資料であるにもかかわらずどんだけ時間くっとんねんちう時間をかけて作成した。オレンジ色の丸の数だけEXCELのマスを埋めたんだからそりゃ時間かかるわい。

工場通覧+αしか見ていないので関西版ほど完全ではない。本来なら各県の統計表とかも見て細かく確認せにゃあかんのだけどそこまで手が回らず。&昭和11年以降16年までのが見れてない。なので関西版とは少々異なるフォーマットになっている。●がついている辺りには確かにその工場があった、という目安程度のもの。だから本山陶器組合工場のM10.7.創業とか江田島煉瓦製造所T6.10.創業とかは正直信用しない方がいい。サブマリン的に浮上する大正末~昭和初期の頃にそのような工場が稼働していたことだけを見たほうがいい。

広島県だけは統計書がデータ化されていて楽できたので反映させた。そのお陰で明治期の工場の状況がだいたいわかった。江田島周辺に高田輪窯とか共同輪窯とか興味深い工場がある。継承関係は正しく終えていない。三浦家があっちゃこっちゃ手を出しすぎ。そして戦前戦後に木谷村あたりが大煉瓦産地になっていくのが手に取るようにわかる。そういうのを作りたかったのだよ。

岡山県は普通煉瓦だけだと寂しいので耐火煉瓦を入れてある(そのせいで余計に時間がかかった)。素晴らしい量の耐火煉瓦工場群。戦後に大阪窯業が入ってきて勢力図が塗り替えられる辺りは作ってて面白かった。三石はどちらかというと細く長くなのだな。

山口県は耐火煉瓦に加えて耐酸煉瓦の製造が盛ん。徳島・香川は戦後に突如煉瓦工場が雨後筍立する。こういうところにも地域差が出てて面白い。

次やるとすれば福井・岐阜・愛知・三重辺りということになるのだろうけど(九州の煉瓦はほとんど入ってきていないように思われる。耐火煉瓦も)、愛知が馬鹿みたいに多いうえ鈴鹿関愛発関を越えて入ってきた煉瓦は少ない感じなのでずいぶん先のことになるだろう。関越えて出て行ったのはたくさんあるんだけどそれも大工場に限られてるからなあ大阪窯業とか岸煉とか。

[煉瓦][][煉瓦工場] 関西煉瓦工場表・刻印表

oo.gl/bdQawG

煉瓦刻印表1

煉瓦刻印表2

煉瓦刻印表3

煉瓦刻印表4

煉瓦刻印表5

煉瓦刻印表6

大阪府の煉瓦工場1

大阪府の煉瓦工場2

兵庫県の煉瓦工場

京都府奈良県和歌山県の煉瓦工場

ついでだからこれもあげとくか。誰にも気づかれない場所で数年間公開してた日の当たらない資料。そうして使用上の注意および肝心の推定根拠とか何とかとかは挙げないという非道。廃毒と組み合わせないと本当の意味での役には立たんのだよな。現状では[独自研究]タグべったり。座間亞閑閑駱駝の鼻。


2018-01-29 この日を編集

[きたく] マジ馬路卍

画像の説明 画像の説明

馬路~久木間の現道の橋桁はすべて林鉄時代の桁の流用と思われる。落合橋以外のも全部だ。1つだけチェックし残したがたぶんそう。高橋橋などは2連のIビーム桁の久木方を馬路方に移動させて久木方には新規のPC桁を載せてある。この橋のスキューに合わせた新鋼桁を作って添えるよりもそっちのほうが早いだろ。

Iビームなのに銘版が残っているのは有り難い。横川橋梁製作所大阪工場製・大正14年モノ。かと思うと久木トンネル手前の小橋のように浅いPG桁だったりするのもある(石橋台のほうにIビーム桁、添えたC橋台のほうに浅PG)。元の桁を3/4にちょん切って使ってる。添継板が1/3のところにあるもん。

あと、安田川山線の相名橋も同上。「治山林道の変遷」に写された状態からそのまま残存。

集中探索に参加された皆様には厚く厚く御礼申し上げる、とここの流儀で書くのが申し訳ないくらいに有難く思っておりますですはい。ほんとにもう言い表しようのないくらい。特にOさんには多大なるご迷惑をおかけした。Oさんの大発見に浮かれているからだバカjis。

そうして帰りの車の中で一世一代の閃きをし、電車の中で社章を思いつき、さらに浮かれてスマホを失くす始末である。今夜は震えて眠れ>nagajis。


トップ «前の日(01-28) 最新 次の日(01-30)» 追記