nagajisの日不定記。
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なんでこんなことしてるんだろと思いつつ都計事業を学んでいる.以下路線をGoogleMapsに落とし込んだやつ祭り.見出しをクリックすると1/27の路線一覧にとぶ.1/30にはS12時点の残存計画街路一覧.
大正8年に決まった最初の都市設計.主に集覧と大正15年発行『大大阪市街地図』(有芳閣発行)を参考にしたが,この図は平野の辺りが入ってなくて若干心許ない.尻無川木津川の間の埋立地も変化が大きすぎてラインを特定できない.
参考文献:大阪市役所『大阪都市計画並同事業集攬』昭和12(1937),『大大阪市街地図』有芳閣,大正15(1926)
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この頃から春日出橋が織り込まれとったんや!
改築橋梁,路線改修(新築),路線の3本立て.一つ所に入れ込むとマーカー数が多すぎてページが分かれてしまって意味を為さない.KMLでDL→インポートして合わせるとかなんとかするよろし.
大阪市役所『第一次大阪都市計画事業誌』昭和18(1943),大阪市産業部『大阪市地図』昭和18(1943)(だったと思う.おもに橋名確認のために利用)
より大きな地図で 第一次都市計画橋梁実績 新築之部 を表示
同上
より大きな地図で 第一次都市計画橋梁実績 改築之部 を表示
「市区改正設計街路」で作ったGoogleMapsをもとに,昭和2年『大阪都市計画総覧』図で確認しつつラインを落としこんでみたが…最後のほうでワカメになってきた.市区改正設計街路時代の路線(経由地)はざっくり削ったほうがいいのか,残して比較対象にしといたほうがいいのか.その後の変更・削除はどうするのかとか.
メモ:残存計画一覧で路線番号が飛んでるのは二等大路から一等大路へ繰り上げされたやつがあるため.市区改正設計街路にあって更正第一次都市計画事業になってないやつが多々あり,名前すらついていないが(更正第一次都市計画事業から路線名称がつく),『大阪都市計画総覧』図にはきちっと書かれてある.よくわからんちん.
その後の計画でもあがってこないし,それをいつ実施するかの予定も未定(1/30一覧参照).文字通りの残置状態で放っておかれている.最初はやるつもりだったけど不要不急ということで放置された?
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安治川隧道,新淀川新橋などピンポイントに大きな工事があった事業.大阪環状線を意識していたらしく市域周縁部に集中しているのがわかる.橋梁は採歴鋼橋にある源八橋,大浪橋のほか,千鳥橋(たぶん現存),上船津橋,湊橋(架替済),いくつかの未確認橋梁.これについては工事が実施されていれば必要になったろうというだけで保証はない.実施率60%で,実績のまとめではなくS12時点の事業予定を使ってプロットしてるし.
そうして前代未聞の廃道を発見した.今までにはないタイプ.独りでヤバがってティンクルティンクル歌っている.
参考文献:大阪市役所『大阪都市計画並同事業集攬』昭和12(1937),大阪市産業部『大阪市街地図』
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実施率10%ということでほとんど期待していなかったのだが,ここで春日出橋が作られていたらしいことを発見.しかし採歴鋼橋の時点で架け替え中になっているから現存しないのかも知れぬ.
新淀川新橋の経費を振り分けて下部工が作られた都島橋も第三次都計事業の産物.その他にもいくつかあるかも知れないが期待薄だ.
参考文献:大阪市役所『大阪都市計画並同事業集攬』昭和12(1937)
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こうして計画と事業を突き合わせてみるといろいろなことがわかって面白い.必ずしも路線全体を一気に改修したわけじゃないこと(第二次+第三次でつなげようとした森小路大和川線とか)とか,第一次~第三次がよっぽどオーバーラップしてたこととか,何を意図してその路線を改修しようとしたのかとか.時勢の変化に柔軟に対応できるような仕組みだったんだろうが,こんだけスパゲッティだと追っかける方はもちろんやってたほうもワケワカメだったろうとおもう.