nagajisの日不定記。
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三月一・二日に渡り、ジャワ海・スラバヤ海に於て日本と米・英・蘭と海戦行われその結果二十三隻軍艦を撃沈したり。
英甲巡 一 駆逐艦 七
米〃 一 駆逐〃 八
蘭乙巡 二 砲〃 一
壕〃〃 二 そうかい艇一
我軍の損はそうかい艇一隻と駆逐艦一の小破のみ。なんと偉大ならんや。
午後に校長査閲あり。予不動の姿勢がよくゆかず。残念なり。此れ文具嚢及び教室の関係なりと思う。
三角の時間は測量をなす。午後は剣術・柔道にして柔道の際は五高の部の生徒十余名来りて我等に稽古をつく。特にその寝技の勝れるを知る。又五高生徒同志の猛練習を見て柔道も元気に或程度に乱暴にならざるべからざるを感じぬ。随運も柔道をなす。今日は勉強気分出ずして残念なり。頗る良好なり。
アホなことばかり書き連ねた前回の翌日、神罰が当たったのか、例のノドの腫れがポークになって悶絶していた。ぼんやりとした不安どころの話ではないのです芥川先生。今し方黄色いレインコートを着た男のレインコートの裾が炭取りに触れてくるりと回りました。
夜になってこれでは先がないと思いMRさんの初校修正を。これは何とか2日中に終えた。追加でいただいた分がとても興味深い。内容もそうだし展開方法も自分じゃ決して思いつかないような方法で勉強になる。そうそう、MRさんのPDFはMRさん謹製でする。
余韻を駆ってTRDBのpdfにかかる。流し込んで荒く配置して図を描いてしたところで力尽きる。何しろ20ページだからな。イラストにリキ入れた割にはちっちゃな扱い。何か琵琶湖疏水の坑口もそんな感じだったな。
翌日は当然出られない。pdf合成してリンクを貼って、それから付録の作成をして。体調も右肩下がりな感じ。今ここで力尽きてもMRさんのと安治川の付録分さえできれば満足かも知らぬ。いやいかん、ヨッキ氏の特濃(序説)が来てるんだ。氏なれへんわ。
最後に旧橋を無理矢理突っ込む。必要最小限の理解を導き出すために地図がもう一枚要ることになるとは思わん刈田。こういうちまちまとした作図で結構時間を取られる。手の抜きようがわからないから律儀にトレースするしかなくかえって方向性がズレてしまったかも知れない。しかし神はディテールにこそ宿るのだから。言葉のディテールには貧乏神が宿るけれど。
いいフレーズを思いつくとそれに固執してしまう。そのフレーズを中心にして文章を組み立てようとするからおかしくなる。
そこでざっくり切り捨ててしまうとTRBDになる。無理矢理構築したツギハギ建屋が廃道を読むだが時おり志免竪坑か安治川隧道建屋みたいな迫力になればいいと思って続けている。時系列の柱があるお陰でとりあえず倒れないのが北摂線描。旧橋は何も考えずに気楽に書けるのでいい(そのかわり知識の検証が大変だけど)。何を言っているのかよくわからない。
いろいろと叫びたいことがあるが相当深い穴を掘らないとダメっぽい。そんな穴を掘っている暇はない。次はどこだ? 目か?耳か?
さらに琵琶湖を突っ込んだ。原稿仕上げてページごとのpdf化まで。起きたらつなげる。
昨晩のNHKラジオ夕刊でaHの先生が出ていた。この先生自身が面白い。以下うろ覚え。
若い頃、ジャズマンの友人と酒を飲んでいて3時間くらい笑いが止まらなかったことがある
→笑い死にしそうなので別の友人に助けを求めようとした
→当時はダイヤル式の電話
→笑いながら電話をかけようとしたので指がダイヤルに入らなかった
さらに笑いが止まらなくなって苦労した、かと思いきや
→自身がいかにつまらない存在であるかを悟った
という(確かそんなニュアンス)。ジャズマンの友人−−と聞くだけでいかにハナモゲラな状況であったかが判るだけにその展開が目に見えるようであった。いい仕事をされている。
何をしても桶屋が儲かる。試してみよう。
地球温暖化
→酸性雨増える
→コンクリ建物大被害
→雨漏り多発
→桶屋が儲かる
強引だと思うだろう。ならば時事ネタで考えてみる。
食品表示偽装問題多発
→内部告発者を保護するための法案可決
→どんどん裏事情が暴露される
→消費者が加工食品を敬遠する
→自家製漬物の復権
→桶屋が儲かる
理論に無駄はない。桶屋から最も遠いところから始めても同様。
宮内庁長官が「御会いになる機会を増やされては」発言
→皇太子殿下、皇居ご訪問
→「皇族もやはり人の子なのだな」意識広まる
→「家族の絆」がブームに
→銭湯大人気
→桶屋が儲かる
慣れてくるとホップ数も減る。
「「テニスの王子様」ついに完結」
→ニューステンプレがたらい回しにされる
→桶屋が儲かる
しまいには
醤油
→桶屋が儲かる
も違和感がなくなる。
資料の件手配。念のため遅めの設定にしておく。どこまでできるかわからないが、一回で終わらないのは確か。今回は斥候みたいなもの。Eneloop山盛り持って行かな。
飯能市キター!畑隧道Pキターッ!
ウシ! 了。牛が終わったんじゃないよ。
首を絞めているのである。
池原に来て難渋している。どう説明したら効果的かを考え過ぎて、時系列を追って説明することもできなくなった。全日本的には大したことはないんだから(いやnagajis的にしか面白くないんだから)さっさと終わらせろ、と思う。
想像→答え→時系列。第一期。第二期。北山川沿い。でも大里隧道。不動峠。おしまい。
風と戦った一日。天気は最高だったんだけど向かい風にやられた。そして肝心の煉瓦工場跡を捕捉できず。それらしい場所はあったのだが証拠となるような痕跡がない。人に尋ねても不明、かつ詳しい方が不在という不運。ま、末吉な日だったということにしておこう。
官営八幡1903防護柵は徹底的にしらべることができた。残念ながらそれ以上古いものはなし。しかし図書いて示せるくらいにはなって、CARNEGIE1897も2本確認。それ自体は大してめづらかなものではないがUNION I.R.J.とILLINOIS STEEL Co. SOUTH WKS x HANKAKU とどれも1897なのは面白い。これに八幡の1903となると購入社が特定できたりするんだろかと思ったが、そも阪鶴と官営鉄道と混じってるんだった。阪鶴の古レールに自分とこのお古を足してってところか。そうそう最新のは八幡の60A 1926だった。それが交換された頃以降に防護柵は作られたことになる。八幡や舶来品はB規格?ゆえ不良在庫化していた古レールなのかもしれない。
寒さよりも自転車で走ることが効いているのかもしれない。BESると降りて歩いているときの違和感が半端ない。
寒いときのはフェルミ縮退と称するべきかも知れぬ。
「終わりの日は近い」系の看板かと思ったらそうではなかった。読み解いていくうちに「入庫」が弄るべからずな貴い言の葉のようにさえ思えてきて、一周も二周も旋回した奇妙なポテンシャルを覚えたことだった。
指先は相変わらず痺れているし足などは椅子に座っているだけでも違和感なので何とも御し難く今日は不貞寝することに決めた。
前回の原稿で明神口橋を見下ろした時に覚えた感情をうまく説明できず宿題とした。あの感覚はとても大事なものだと思い、もっと丁寧に書かなくてはならぬと思いつつそれができなかった故に逃げたわけである。見ず知らずの昔の人の感覚と<全く>同じ感覚を覚えたに違いないという発見。それはいい。それが廃道探索ならではのものであり探索の醍醐味である、文書では決して伝わらない感覚というものを知覚することこそ廃道歩きなのだ、といったようなことを書こうとして断念した。その発見がnagajis史上初といっていいくらいの鮮明なものだったということが原動力となっているが何かがとても不足していた。過去と変わらぬモノを見、同じ<ような>感覚を得ることくらいなら廃道を歩くだけでも構わない。過去の道を、過去の人とほとんど変わらぬ感覚で歩くことはいくらもできる。が廃道は厳密には過去の姿そのものではない。草木が生い茂り道が崩れ落ち雑草が育って姿を変えている。その草生した姿は過去の人は見ていない。線形は変わってないにしても道幅なんかは変わっていそう。故に廃道だけから全く同じ感覚を得ることができぬ。明神口橋は当時とほとんど変わっていない故に同じ感覚を得られたのだと思う。同じ感覚を得ることは楽しいがもしそれを主目的にしてしまうと感じられる機会はひどく限られてしまう。旧県道のような特異な条件下でならなくなるわけで、だとすると廃道の専売特許というわけでもなくなってしまうのだった。そのへんに論の無理がある。
なんなら廃道でなくったっていいわけである。その感覚を知れさえすればいいのなら。美術館で明治の彫刻なり絵画なりに触れたっていい。廃道は余計なお膳立てがない生提示という点が優れているのみ。
昔の人の感覚を再現する。追体験する。追体験という言葉もちょっと合わない気がした。意味的にはそうなるのだろうけど、何というか、没入感が足りない。それそのものになりきってみたい。現在に身を置いておいしいところだけ楽して取ってくる、みたいな感じがある。あの瞬間はそうじゃなかった。過去になり切って、過去の人になり切って見ている自分に気づいてハッとしたのだ。先にいろいろ書いたけれどもそのような没入観は廃道を歩いていたからこそなんだと思う。より近づけるのは間違いない。そこを本当に「廃道でなくてはならない」と思わせるような書きようがあるはずなんだ。それが伝われば、それに則って歩いてくれたら、きっと廃道歩きの本質的面白さに気づいて貰えると思うんだ。悲しいかなその才が足りない。気力も不足している。
理解してもらってどうするの?と思わないでもなかった。本質的に私は誰かを訓導するような物言いはしたくない。そういう器でないことは誰よりもわかっている。だとすると結局、自分がどれだけ面白く思ったかを可能な限りの言葉で言い表して共感を求めるしかない。しかしそれも限界を感じている。ふだんから共感を求めていないものが急に共感共感言い出したって誰もresonantするわけがないだろう。「伝わらない」だろう。結局のところ体のいい身繕いでしかねえ。てなかんじで自分の生き方の根っこにも絡まってくるわけでさ。
共感してもらえなくていいから、とにかく、この場で感じた感覚を余す所なく書きたい。そこから何かが伝わって「旧感覚への没入」の面白さに気づいてくれる人がいれば。「面白さ」という語もなんか違うのだ。それはとっても素敵なことなんだ。知ればきっとものの見方ががらっと変わる、興味を持てることが世の中に溢れかえりあまりの多さに謙虚にならざるを得ないかわり生きるのが少しは楽しくなるというか本質的な生き方ができそうな勢い位のいいことなんだと思うのだ。ああそういうことに気づいた人が宗教家になったり宣教師になったりするんだろうなというような。いまの世の中にはそれが透徹して欠けている。気づいてくれたらもちっと世の中平和になる。きっと。「思いやりの心」は近いけれどやっぱり主客の関係を免れない。その人そのものになり切って感じること。もしかしたらそれが「父母未生以前の自分」なのかも知れぬ。禅的悟りの境地なのかも知れぬ。
_ 十四魔II [件にオスはいないのですか?]