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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1942-03-09 「隼」命名 この日を編集

[陸幼日記]三月九日 月曜日 曇後晴

今日を最後に北生徒舎を捨てゝ南生徒舎に移転したり。わずか数回の往復行程なりしが、なれぬ仕事故に夕に至りて疲出づ。これにてはだめなり。一年は午前・午後かゝりたり。今考うるに、入校後住みなれたる生徒舎をはなれ、再び帰りたき心すれ。正規の自習なりき。六時に非常呼集あり、服装は剣術の服装にして、三年対一・二年の野試合なりき。東は兜山より西は校門外に至る間にて行わる。神風連の連隊奇襲法に依る。朝に鍛え、気持良し。我が戦闘機最新鋭「隼」と命名さる。彼の戦闘開戦以来赫々たる戦果あり。「隼」とは九七戦と云うが如し。

今日の移転により予は、南生徒舎第一自習室第三寝室の西側南より二番となる。寝台学友は門松と脇にして学友は児玉と三原なり。


1943-03-09 この日を編集

[陸幼日記]三月九日 火 曇

近日になく風強かりき。遂に今日を以て二学年の教授部授業も終了したり。午後は二年の最後として訓話。今日は愉快に何事をもなすを得て欣快にたえず。良好なり。


2010-03-09 この日を編集

このやりとりをしながら憲政の常道を説くのはかなり辛いものがある。

ついでに自分ではなくMacさんが昇天した・・・文字描画だけが崩れたという不思議な壊れ方。グラフィックカードの熱暴走か。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ Bee [ヨッキれんのPCも昇天した様だが、、、大丈夫か?ORJ。 ってそれどころじゃぁ無いな。自分のBackupも忘れずに。]

_ nagajis [なに、うちはフリーズしただけですよ。再起動してふっかーつ。]

_ Bee [ヨッキれんもサクッと直ったみたいだし、ある意味つまらん (^^♪ んが、描画が逝くってのは誇りとか貯まってんじゃないすか? ちゃう! ファンとかヒートシンクとか、埃とか溜まってんじゃないっすか?ブ..]


2012-03-09 この日を編集

[独言] つづき

引き続いて麦酒会社・北村化学研究所専用線とやらを探しに行った.持ってった地図にたまたま載ってて,時間が余ったから行ってみようという,イキアタリバッタリズムな探索だ.

大吹橋の北岸あたりにそれらしい?遺構がいくつか.現状ではORJのネタにするほどでもない.遺構だと確定したうえで何かいい写真をみつけてこないと.

画像の説明

引用元は多分S18頃の22区制記念の地図.神崎川の南岸から専用線が始まっているように勘違いしていたがそうではないようだ.渡っているのは無関係な道路,すなわち大吹橋だ.

画像の説明

辺りをうろうろしているうちに軌道臭い小路を発見.家と駐車場が若干張り出してきているが,これを取り除けば化学工場に直結していた姿を思い描ける.反対側はアサヒビールまで直線になる.たぶんこれが専用線跡だろうと思う.

画像の説明

前写真のBOSSの自販機の脇に橋と思われる物体が埋もれている.これは軌道のためのものではないかも知れない.こんな親柱つきの橋である必要はないものな(向こう側のは頭が欠けている).以前ここに川が流れていたのは確かで,神崎川から分岐して真西に流れる小川が地図に描かれている(ケバケバ線).

画像の説明

この橋を渡ってすぐのところで大吹橋を渡ってきた市道に合流.その交差点の少し先,高台に建っている民家の庭先のようなところに跨線橋跡かも知れない遺構があった.いまは民家の一部になっているようだが,親柱とおぼしき白い石が二つ,場違いな顔つきをして鎮座している.法面には切断された鉄筋が顔を覗かせている.T桁らしい跡も見える.

軌道は現道路の場所および高さを通っていたはずで,それを越える陸橋だったんじゃないかと思われるのだが(米軍撮影の航空写真でもこの辺りで道が交差する),それにしては桁が低すぎるかも知れない.冷蔵庫を縦積みした軽トラックだと頭をつっかえるだろうという桁高だ.そもそもこの対面には何もない.道路と同じ高さに事務所が建っているだけだ.

画像の説明

取り付き側.スロープの始点はもっと線路寄りのところにあって,視点の道路とつながっているが,それっきりだ.以前は大吹橋からくる市道がもう少し線路伝いに伸びてこれに直結してた感じ.

画像の説明

さらに進めば国道479号になる(番号あってる?).工場からここまでほぼ直線,この先も直線でアサヒビール門前まで直線.そうしてアサヒの敷地に入り,東海道線に沿って吹田駅の先まで行き,そこで東海道線を直角に渡っていたように描かれている.そんな交差があり得るのかどうかは知らない.

画像の説明
途中で阪急線と交差するが,ここはどうしていたのだろう.阪急線のほうには特になんという跡もない.上は国道の跨線橋,この下にも線路を潜る道路(二車線)があって,辺りは往時を留めていない(アンダーパスが専用線跡とも思えない).

で,北村化学研究所ってなんやねん,と思ったら…….ほう

本日のツッコミ(全6件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ nagajis [取材費が……orz #「不良少年の映画史」辺りに何か書いてあったような気もします]

_ むろーぐっちょーの [いつも楽しく拝見しています。 「山行が」さんで日本の廃道の紹介のページにこの専用線があり吹田近く出身で気になって色々調べましたが・・・ 今回の地図は「ツッコミどころ満載」なぐらい適当な地図ですね・..]

_ nagajis [記事読んで下さいました?]


2014-03-09 この日を編集

[][独言] くそう

今日中に終わらせたると思っていたけれども。あと1/6くらいのところで力尽きた。明日には仕上げる。んで次のを作らないと。

モノが出てこないから展開が単調だなあ。だからといって何かを仕込むほど余裕がないわけでもない。そういう探索だったんだという記録だ。

うむそれよりも問い合わせをどうしよう。したらしたでまた長くなるけど、しないとますます締りがないかも。でもまあ「謎だー」で終わっても連載企画なのだから後日追記したってよいじゃないか。

[] 追記

今回の原稿を書いている最中にハタと気づいたことがあった。今までいくつも峠を越えてきたのに気付かなかった、しかし気づいてみると真理のようなものであるらしく思えるものなのだが、それがうまく表現できなかった。今もモヤモヤしている。無知は罪ならず。拙いのが罪。

生き死にをかけて越えていた峠、そこまで大げさでなくても暮らしていく手段として越えていた峠ほど、さり気なく、粗野でいて、に続く部分。深く考えずに越えていた峠だから、お地蔵様や堀割のような「目を引くもの」が欠けているという説。ないなら記憶に残らず、残らないゆえに振り返り思い出そうとする。思いが懸かる。印象を残さなかったことがかえって峠への誘引剤となる。

峠が目的地でないからか。あくまでも通過点であって、そこを無事越えられれば充分だった。峠で煙草をくゆらしらり立ち小便をしたりしたのは旅人ばかりで、道を使って暮らした人々は必ずしもそうでないだろう。そうそう、家の前の路地を遠く離れた地で思う時のような感じ。旅に疲れた時、天神荘前の細路地が懐かしく思えたような。んで実際に立ち戻ってみても道があるだけで失望する。

思うばかりでなかなか越える機会がないという点では「あれは峠だ」と思う人々と同じ心持ち。ゆえに石垣りんの詩に共感するところがあるのだと思う。行きたくなるのは可哀想な峠だから?Noとは言い切れない。誰も興味を抱かないから思いを懸けてみたくなるのはある。構ってあげようというスタンスではなく、共感をもって、対等なものとして接したくなる。ここがいちばん伝わらない。

越えて、麓から仰ぎ見て初めて実感が沸くものかも知れない。峠に立つことじゃない。越えたという記憶を得るために越える。形態は物見遊山に近いけれど、はてどうか。それと観光地巡りとどう違うのか。違わない、特別なもの、と思っているのは自分だけで。ならば何故特別なのかをわかりやすい言葉で表現してみろってんだ。


2019-03-09 この日を編集

[煉瓦工場] 野幌

『野幌窯業史』を使って工場の継承関係などを確認する。通覧と統計書から組み立てた改廃と大筋で一致していて『窯業史』で一言二言に済まされている沢村工場とか小なんとか工場とかちゃんと拾えていることとか言及されていない工場を2つほど拾ってたりしてほくそ笑みつつ野幌窯業(株)のS14のデータを変なところに放り込んでて永久に噛み合わないところだったのを発見したり江別太煉化石の前身に複数の工場があったらしいことを知ったり佐藤煉瓦に昭和煉瓦を無理矢理くっつけていたり(西野幌と字野幌は違うんじゃボケー)馬場崎工場布川工場の前後の継承関係も把握できてなかったりといった誤りを多々見つけたりもして結局は4割くらい修正する必要があった。特に佐藤煉瓦はS11に報国窯業になったと考えたほうが辻褄が合う。ただし同じ頃違う場所に佐藤氏所有の昭和煉瓦工場が存在するのは謎のまま。昭和煉瓦(株)の前駆体なのかそうでないのかよくわからない。昭和煉瓦(株)があるうちに佐藤氏の名前が煉瓦製造業者として別置されたりしておるし。館脇+岩田=野幌煉瓦(株)はうすうす感じていたらしく並べ置いていたのは褒めちゃろう。S14データを間違えてさえいなければきちんと嵌ってたはず。

ともかく野幌は密集しすぎていて難しい。通覧では大正頃まで番地がでてこず字●●としてあってなおかつそれが誤字たり略されたりしておるのでどの地域にあった工場なのか判断するのも難しい。そのへんを略図や出典もつけて解説してくられている『窯業史』はまこと有り難い存在である。自分の仕事の低精度もよくわかつた。

本当は表整理などすぐ終わるものと鷹をくくっていたのだがみっちり5時間かかった。『窯業史』の後半に目を通す暇もなし。


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