nagajisの日不定記。
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六時五十分広幼生徒を見送る。直に食事をせしが寝室掃除なる為、洗面を行わざる為、変りたる気持す。体操にて始て、跳箱使用を行う。跳箱は昔り大すきな用具なり。随意運動時に運動班運動ありてパスケットボール〔傍線〕を為。真に愉快なり。夕食後、班長増森さんが前日の感想を吾々に尋ぬ。今日は大へんいそがしき日なりき。
〔nagajis:昔り、パスケットボール、原文ママ〕
書道は小林教官殿授業「太平洋と日本及日本人」に変更実施されたり。東亜否世界に於ける日本の立場十分良〔了〕解さる。物理・幾何は共に、一時間かゝりて考査あり。午後は体操(海老上り・千米駈歩)あるど海老上りは得意中の得意なりたる故充分なる得たり。続いて十五時より約一時間半に渡りて訓練旅行につきて話あり。朝に部長殿、昼に生徒監殿よりも戦時下の旅行につき御注意あり。
夕食後学年会ありて、広幼に行きたる際の計画をなす。
生監殿は云われたり。三学班は最も勉強せずと。噫思う所あり。此の事に就き、山根は最も努むる。わの苦無にすべからず。益〃三学班の為つとめん。
剣術は愉快なり。午前中は身辺の整理を行い、午後は二時間午睡、誠に休養そのものの休日なりき。十六時頃より雨となり明日が心配なり。良好。
原稿を書くのに飽きたので佐和山隧道の下見に言ってきた。やるときはやるのだ。
上京、もとい状況としては昨年取材で行ったときから変わってない。何故かきれいに草が刈られていたあの状況に毛が生えた程度。これなら隧道前にテントを張って泊まることもできる。前泊乗り込みするか>nagajis
珍しく帰宅は早め。明るいうちに十三駅へ戻ってきた。関西は例のインフルエンザ騒ぎでマスクの在庫がなくなっている。この日マスクをしていない人は数えるほどしかいなかった。nagajisもどこかで買わなければ。まる。
なんとなくテーマ変えてみた。無茶苦茶見づらい(汗
回鍋肉のつもりで作った謎の食事。しかも分量が多すぎ。一人でこんなに食える訳が無いではないかと思いながらいつのまにか空になってしまったのは何故だろう。とりあえず満足。
書かねばならぬことは大仏鉄道でも鹿背山隧道でもなく今朝出がけに招来した奇妙なポテンシャルのはずなのであるがすっかり忘れてしまい微塵も覚えていない。前回同様つまらぬ口合いであったのは間違いないのだが。もやもやを抱えたまま披露でブブー樋籠でびびびびびー疲労で寝る。メールの返事は明日まで待たれたし>皆様。基本的に全然問題無しです。探索は大勢のほうが確実っす。
ぼく3つでちゅ。
パックマンやマリオが3からスタ−トするのは東洋の諺「仏の顔も三度まで」に由来するという。あるいネイピア数e(自然対数の底)2.71828..の近似値であるという説も。
大分県は明治初期の県会史がNDLにあって有り難い。
宇佐郡長洲港より玖珠郡に通する道路改修の件建議、大分より高田港道改築の議
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/784862/271
大野郡宇目郷より佐伯港道の中国道第三十六号線南海部郡上野村字番匠より分岐して佐伯に通する道路の改築建議
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/784862/269
下毛郡柿坂より中津町に至る道路改築の議
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/784862/268
etc.etc.建議一覧はこのへんから。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/784862/246
中津道路(仮称)については明治33年通常会の議事にて可決。建議者は梅木芳太郎、谷直義。
建議案
茲に本県会の決議を以て建議仕候要領は下毛郡柿坂より中津町に至る道路は玖珠下毛日田三郡交通の枢路にして人馬往来の頻繁なる県下多く其比を見ざる要道たり然るに幅面狭隘にして車軌を並べず屈折崎[山+区]にして運輸便を欠けり殊に霖雨数日に亘るか又は窃陰々湿ノ候に及びては路面忽ち小[邸-一]を築き車馬の転覆前後相接し行路壮絶の惨状は実に人をして慄然たらしむるものあり此故に宜敷速に該道路を改築し交通の便を計るは頗る急務の業たるを信ず依て精査の上三十五年度より改築起工相成度此段及建議候也
明治三十三年十二月 日 大分県会議長 水野江文二郎
大分県知事 鈴木定直殿
理由
本建議の旨意は現在の道路は物資運搬の度と其権衡を得ず以て交通の便に供するに足らざるなり之が為め年々幾多の修繕を加うるも常に破壊に属し更に其功を奏するなく地方の交通発達を[サンズイ+且]喪する事鮮少ならず故に相当の改築を加え路幅の拡張をなし交通の便益を達せしめんと欲するに在り
同意多数により可決。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/784862/209
新シリーズ。アジ歴で興味深い文献を発見した。解説はまた今度。
松波さんのところにもあると思うが自分でも。
(第五章 道路/第十三 総則)
〔達〕<九年六月八日 第六十号>
明治六年八月大蔵省より相達候道路の等級を廃し更に別紙の通相定候条右分類等級各管内限詳細取調内務省へ伺出べし
但費用の儀は追て一般布告候迄従前の通心得べし
別紙
国道
一等 東京より各開港場に達するもの
二等 東京より伊勢の宗廟及各府各鎮台に達するもの
三等 東京より各県庁に達するもの及各府各鎮台を拘連するもの
県道
一等 各県を接続し及各鎮台より各分営に達するもの
二等 各府県庁より各支庁に達するもの
三等 著名の区より都府に達し或は其区に往還すべき便宜の海港等に達するもの
里道
一等 彼是の数区を貫通し或は甲区より乙区に達するもの
二等 用水堤防牧畜坑山製造所等のため該区人民の協議に依て別段に設くるもの
三等 神社仏閣及耕耘の為に設くるもの
右の内一道にして各種を兼るものは其類の重きものに従う国道並県道の道幅其土地の景況に拠て各地各殊なるものなれば今遽に之を一定し実地に施行すべからずと言えども予め一般の法則なき時は道路より生ずる百般の事件其準拠を失うの患あり仍て左の定を以て一般の法則と為し且将来新設する所の道路は其土地の便宜により此道幅を保たしむるべし
国道
一等 道幅七間
二等 同 六間
三等 同 五間県道
同 四間乃至五間
里道に至ては要するに該区の利便を達するに在て其関係する所随て小なれば必ず之を一定するを要せず橋梁は即ち路線を互続するものなるを以て道路の種類に随うを至当とす然れども其幅の如きは必ずしも道幅に従うを要せず
〔達〕内務省<九年六月十五日 乙第七十三号>
今般第六十号御達之通道路等級被相達候に付各管内限別紙調整概則及雛形に標準し来る十二月二十五日限図面調整当省へ差出すべし
別紙
図面調整概則
- 第一則
- 此雛形は国道県道の等級に従い其路線の分類を明示せんが為めに仮に府県鎮台其他此分等に関する者を携書する者にて要するに道路分類区画を明瞭ならしむるに在り故に各管内に於ては其路線の断続分合に従い之が分類等級を詳明表記して遺漏なきを要す
但し国道県道を掲るに限り里道に至ては登記するに及ばざる者とす- 第二則
- 凡そ一道にして数種を兼る者は[遼?]く其路線の亘及する所を審にして其類の重き者に従て符号を施す可し
- 第三則
- 東京より路線を起す者の外各鎮台を拘連する者は固より国道第三等部類に属すと雖も鎮台を設置せざる(甲)県より(乙)県なる鎮台に達するに乙県に於て県庁と鎮台と多少の間隔ありて従て其路線を殊にする者は其鎮台に達する線路の部分も斉しく県道第一等の部類たるべし
- 第四則
- 県道第三等著名の区は県庁支庁及鎮台分営を設置する者を除くの外其地たる多量の物産を生ずるか又は否らざるも物産を交通す可き枢要の地位を占むるか其他一般公益に属する製造所等の設けありて従て戸口稠密人民輻輳の地又は船舶の出入多き港等は此部類たる可し
但し右分類に属すべき者は図中に掲げたる符号に従い之を登記す可し且其区の著名を徴す可き実際の景況を別紙に調整し一同差出す可し- 第五則
- 府と県とは接続する線路も県道第一等たる可し
- 第六則
- 国道県道に沿う郡村に限り路線の側に其名を記載す可し
- 第七則
- 宿駅は図中に掲げたる符号に従い登録し併て其名を記載す可し
- 第八則
- 市街は府(県)庁或は支庁の設けある所にして路線の国道若しくは県道に属する者に限り其名を登記す可し
- 第九則
- 橋梁及渡船場は図中の符号に従い登記す可し
- 第十則
- 山河は其位置の概略を模写す可し
- 第十一則
- 里程は宿駅毎に取調路線の傍に記載す可し
- 第十二則
- 各管内限路線の始る所と其終る所には隣県に亘続する路線の方向を指示する為め管内の郡村名を記め従是何県下何郡何町村に接続と記載すべし
- 第十三則
- 伊勢宗廟の線路は僅に一二管内に止まるを以て別に雛形図中には掲示せずと雖も国道第二等の符号を用う可し
- 第十四則
- 図の大小は管内実測図ある者は大凡十万○八千分一の縮図を雛形に準め製す可し但実測図なき府県は成丈取縮めたる見取図を調整し其大なるも美濃紙六枚継以上に登る可からず
但図中市街は実測図の分に限り第八則に準じて一万八千分一の縮図を別紙に調整し一同差出す可し
第14則の縮尺はなんかおかしい気がする。とりあえずママイキ。
出ヲチ上等!で作った記事が役に立ったみたいだ.うん,作ってみるものだな.そうしてまた訂正が。。。 [独言] んでまた
こんなところで手押しポンプを見つけた.今でも販売されているタイプのものらしいけれども,こんな市街地にあって,しかもちゃんと水が出る.びっくりだ.
明治20年9月17日付日新聞の広告.photo/only で済ませられたらずいぶん楽なのだが…… .
「堺煉瓦石会社」という会社は存在したことはなく,堺煉瓦の前駆体というわけでもないらしい.堺煉瓦の直系の祖先は共立煉化石会社で,しかも工場は吾妻橋通二丁目もしくは戎島附洲新田にあった.戎島附洲新田=吾妻橋通二丁目=戎島4・5丁+北波止町であって南附洲新田=大浜とは別物なのだ(南附洲新田にはのちに大阪窯業が越してくる.堺附洲煉瓦は中附洲新田にあった).そうしてこの時期少林寺町東三丁目にも煉瓦工場はなかった.あとで丹治煉瓦の分工場らしきものが興るが(すぐに消えるけど).
そのくせ,このマーク,あと2本足すと堺煉瓦になるんだよな…….
のちに榊原なる人物が このマークで商標登録してる.んで福岡窯業株式会社が使ってる.おそらくこの会社とは無関係.
あ、これってkousenさんが見つけてはった「三ツ矢」なんじゃなかろうか。岸里の。
橋梁を設計しデザインを考えなくてはいけない人に向けて書かれたもので、技術的にも美意識的にも部外者なnagajisには向けられてない本だったのだが、結構面白かった。のっけに「ダメなデザインの橋」の例がぽんぽん出てきたのがまず意外。こういうのは「いいもの」をもって語るもんだと思ってたのだけれども。本文最後のほうに「ダメなデザインは学ぶところが多い」という指摘があって、どうも鋼橋技術研究会としての方針?のようなものらしい。もちろんダメ出しされた橋は名前が紹介されていない。印南かえる橋とか余計なテラスがついた両国橋(修景後)とかイエローな蔵前橋とか。
書かれてあることにはとても賛同する。景観にマッチするデザインとすることの重要性。橋が景観を主導する場合もあるのだという話。木や石の橋は風土にマッチしているけれども車を渡せる長大橋は作れない。長大橋の欲求を満たすためには鋼やコンクリートを採用しなければらず、しかし人工物ゆえ国土に馴染みにくい。馴染むものを作り慣れていない。かつそういう素材が普及しはじめた頃から経済性が再優先事項となり、デザインは二の次に追いやられて、画一的なものばかり作られた。それでいいのか。コンクリートの自由度を活かせば景観によくあう素敵な橋はできる。鋼橋だって製作技術は向上した。適材適所でよいデザインを。みたいな内容。
読んでいるうち、美しい橋というときの「美しい」の基準ってなんだろうと思うようになった。橋をたくさん見ていると、あ、この橋はいいなあとか、この橋は平凡でつまらないなあ、などと思うことがある。そう思う理由というか、良し悪しの基準はちっとも明確でない。黄金比とかフィボナッチ数列とかの美的要素が潜んでいて、そうと知らずによいと感じているだけなのかも知れないし、構造の醸し出す力強さに惹かれたりもする。単純に力強い橋=よい橋と感じるわけでもないらしい。大浪橋も十三大橋もスケルトンはほとんど一緒のはずなのに、十三大橋のほうが素敵に思える。あるいはゲルバー桁橋でも鉾流橋のような王道のシェイプよりありえないくらいの細さの越中橋のほうがいい。永代橋の超重厚な拱材はその重さをありありと感じられるが、残念ながら私は親しみを感じることはできなかった。なぜだか知らないが渡って楽しくなかった。その点桜宮橋の3ヒンジ目なんかはいつまでも眺めていたくなる。あの一点にぎうぎう力がかかっているのだと想像するのが楽しい。その力のかかりかたが美に思える。豊海橋のカクカクしたのも大好きだ。珍しい形式ということよりも、構造が見て美しいと思う。四角いビルばかりの周囲の景観に溶けこんでいるようにも感じる。
古いからいいものだと思ってはいない(と自分では思っている)。 諸外国の名橋の写真、最近作られたやつなんかは特に、そういう「いい橋」の写真を見せられてハッとすることが多い。伯母谷ループ橋なんかも最近の橋だが素敵じゃないか。斜張橋はあまり好みではないけれども、辻堂の国道バイパスの橋なんかも、渡るとき爽快な感じがしてよいと思う。側面から見たことはないので、あの橋が景観に馴染んでいるかどうかはわからない。
美と感じるか否かは、単に見慣れているか否かであることが多いようだ。橋が架かっている光景が自分にとって初めてのその場の光景であれば(橋がそこに架かっているがアタリマエであれば)すんなり受け入れられる。いま名橋と言われているものだって、それが架かった当初はひどく浮いた存在だったかも知れない。マイヤールのザルギナトーベル橋だって、橋が架かっていない光景を先に見ていたら、橋に違和感を感じ、その場にそぐわないと思っただろう。橋ありの光景しか知らない自分はあの橋以外にあり得ないと思っているけれども。
明治6年に鉄トラスの心斎橋が掛けられた時、それをリアルタイムで見ていた人は橋に対してどういう感想を持っただろうか。流行りモノの最先端として興奮しながら見守ったか、それとも板葺き瓦屋根の商店や川面の木造船とそぐわない妙ちきりんな橋と見ただろうか。難波橋のライオン像や中之島へ降りる階段が「美しいもの」と見られていただろうか。まあ大阪人は流行りモノ大好きだから、たぶん歓迎されただろうけれども、違和を感じた人がいてもおかしくはあるまい。枯山水の庭のような味わいを好んだ人もあるだろう。中之島の周辺はセーヌ川のほとりをイメージして整備されたそうだから、その中にあっては難波橋のデコレーションも必然であったかも知れないが、中之島そのものが市街地の他の場所と比較して異質な空間だったと見れんこともない。見目麗しくても美であるかどうか。
まるでヨーロッパの宮殿のごとくな階段がオフィスビルの谷間にある現状も、異質といえば異質。しかしそれが私にとっての難波橋なので特段違和を感じてない。ならば「ダメな橋」と例示された橋も、そのうち風景に馴染んでくることもあり得るだろう。京都駅前に建つ京都タワーは建設当初ひどい景観論争を巻き起こしたそうだが、京都生まれの若い人で、帰省し、あのタワーを見て「故郷に帰ってきた」と感じる人がいると聞いた。その人にとっては京都の景観を構成する重要な要素の一つだ>京都タワー。なくなったらなくなったで寂しく思う人は他にもいるに違いない。
印南かえる橋なんかは「地域の文化性まで疑われかねない」なんてけちょんけちょんにけなされていたけれども、和歌山県という土地柄のこと、ああまでして話題作りをしなければならない地方の悲哀、への理解があってもいいよなあとは思った。太平洋ベルトの流通圏から外れ、わざわざ行く機会がなければ足を踏み入れることもないような地方県の「人を呼びたい」という思いは、都会人が推して計ることもできぬ位に限界に達している。日本で最初に世界遺産に目をつけて熊野古道を世界遺産に仕立て上げたりしたのも人を呼ぶため観光のためだ。話題作り・客作りのために猫が駅長やったりパンダを6匹も7匹も飼ってみたりイノブタ王国を築いたりしている県だ。カエルの形をした橋くらい大目に見てあげてもいいんじゃないか。ここにいわゆる美しい橋・名橋を架けたとしても、それ目当てに来る人はまずいない。奇異の目に晒されることを望んで奇異なものを作ったわけで、しかもそれが当初の目的を果たしつつあるのだから、大したものだと思う(この間はるるぶ和歌山県版だったかで取り上げられていてびっくりした)。要は奈良県にとってのせんとくんみたいなものだろう。せんとくん自身には何の由緒もないけれども(いや、正確にはあったんだろうけど雲散霧消した)、とりあえずあのキャラクターを見て奈良県のことを思い出すくらいには務めを果たしている。
確かに「技術的にいちばんやっちゃいけない」ことをてんこ盛りした橋で、見ていてひどく心地悪くなるけれども、ここで技術云々というのを抜きにしてみると、どうだろう。私なんかは「こんなんよう作ったなあ」と感心し始めている自分に気づいてしまい、自分自身のことながらびっくりした。橋であんだけ遊んでいると逆に清々する。金の無駄遣い・技術の無駄遣いなのは認めるが、お大尽の座敷遊びや田舎紳士の大盤振る舞いを見るようで---別に自分の懐が痛んだわけじゃないし---そんなのがあってもいいかなと思ったりもする。ほら、世の中には名優もいるけどエガちゃんみたいな傍流芸人いるじゃん。そういう芸人好きな人いるじゃん。例えマジョリティーであったとしても必要としている人が世の中にいるからエガちゃんいるんだよ。そんなエガちゃんみたいな橋なんだよ。と説明しても聞いてはもらえなさそうだ。
ある意味これも技術者と民衆との乖離なのかも知れない。橋は美しくて機能的で地域に馴染むものでなければならない、と技術者は思う。そういうものを作り、未来に残すことが使命だと感じている。一方でふつう人は橋の意匠なんで気にしない。川向こうに渡れれば特に文句はない。加えてなんか面白いものだったり、話のタネになるものがあったらいい。せんとくんとかたま駅長みたいな。
世の中ってそういうものなんだ、とこの年になってようやく気づいた。高尚な理想なんて誰も求めてはいないのだ。目先の利益と喉元の満足が得られればいいのだ。それ以降のことを考えるのは面倒だから誰かにやってもらおう押し付けようとい人が大半であって、それをどうこうするのは山を移すくらいに難しいことだ。と同時に、そんな人々と正反対の方向に頑張っている人々がいて、そのベクトルの合力のほうへ世の中は動いていく。どちらも無駄なことと思って拱いてれば何も進まず何も変わらない。自分の無力を了承し、無駄なことと知ったうえでしたいことをしておればよい。橋梁デザインの説をまとめた有益な本が発行される一方で、変なものをあげつらってpdrる円本で糊口を凌いでいればよい。そんな世の中を端のほうから見ているだけで私はお腹いっぱいだ。
といったようなことをとりとめもなく思いながら読んだ。刺激を受ける本に出会えることは幸せなことだ。
ギャートルズかボヨヨン岬かというような書き間違いをしていたので修正した。それはどうでもいいことで、この間から対峙している煉瓦がまさにこんな金属性の清音がする良質の煉瓦である。モルタルを剥がすためにハンマーを振るっているとキンキンやかましくて耳が痛くなってくる。
「金属性」かつ「清音」であるところに稀有性があるようだ。金属音がすることはままある。乾いた音がすることもある。両者組み合わさったキンキンなやつはそうあるものじゃない。叩き過ぎて表面に疵が入るのを心配したり割れてしまうことを怖れたりするような煉瓦のほうが多い。
そういう音がする割に表面は結構小さな罅だらけであったりする。不思議なものである。恐らく胎土が均質で、内部に空洞があったり斑になっていたりはしないのだろう(まだ割ってないので内部はわからない)。しかし実際のところはそこまで硬い煉瓦である必要はなかったと思われ、だからこそ手抜きな煉瓦が当たり前のように転じているのであろう。関西の煉瓦には合理的手抜きがあって、そこにもっとも強く惹かれる。親しみを覚える。
M14-17 敦賀線。柳ヶ瀬隧道は藤田組?その前後前後約8kmを鹿島組ほかが施工。→新道野二煉瓦工場
M29-30(M33.11.開業) 篠ノ井線冠着トンネル。姨捨駅-冠着駅間。大倉粂馬、星野鏡三郎、志坂信太郎。M30大日本窯業協会雑誌に煉瓦工場の記事。ここでは鹿島組となっているが、星野鏡三郎はM30に星野組を立ち上げたという話。んでここに「鐵道工事のある地方には隨所煉瓦工事を設け其需要を充たさん計畫」とある。
M31-32 京都鉄道嵯峨―亀岡間。鹿島組受注、「いろは」の横車に対抗するため三重役の一人・星野を現場へ遣わす。星野はこの時篠ノ井線にかかっていた。京都鉄道自前の?煉瓦工場。
京都鉄道は当初小川資源を技師長として招聘。小川は着工前に退任し建築顧問となる。M29.6.から渡辺秀次郎。M31.6.解任、井上徳治郎着任。
M31~T3 磐越西線(岩越鉄道) 郡山~喜多方は鹿島岩蔵参加。喜多方~新津は星野鏡三郎参加。喜多方以西には久保組工場が複数作られる。佐藤一男「大沼郡会津高田町北村の旭煉瓦工場について」〔会津若松市史研究第8号〕に以下のようにある。
「山都地方では登世島字近田の渡部好太郎所有の山が煉瓦製造に適した粘土とわかり、星野組下の久保組が工場を建築して煉瓦製造を開始した。また、尾登トンネル工事を落札し、近田地内に工場を建てて地元ではこれを西工場と称し前者を東工場と呼んでいた。」本文の旭煉瓦工場は地元資本家による。
M29.5. 中国鉄道、小川資源を招聘して技師長に。M31.12着工、大倉粂馬、菱川吉衛、中井由太郎等。手立隧道、蓑地隧道は大倉土木組の請負。大倉土木は第一・二・四・五工区を担当。M32.1.開業。([日本土木史明治編 中』https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2942276/136。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcersj1892/5/56/5_56_265/_pdf/-char/ja。『大日本窯業協会雑誌』第五巻第五六号に現地工場の話。備前國津高郡宇垣村大字宇垣字原に設立、讃岐地方で職人募集中。うーん、磐越西線は大倉組もいるのだな。
東北本線 板谷トンネル。直轄のはず。『鉄道と煉瓦』に詳細。井上徳次郎が担当!
関西鉄道 加太トンネル。1897(明治30)年11月11日開業。関西煉瓦会社が 関与?
東海道線 静岡へん 村井~
何がテーブルのキーになるのかわからなくなってきた。鹿島組?大倉土木?小川資源?
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1530310/63
帝國鉄道協會會報. 11(6) 小川資源君小傳
軽井沢線。軽井沢に工場。久保組?
いろいろあって心が折れそうだが、結果的には案外よく頑張っていた。よかった。
○Dが撮れていたので黒姫駅ホームの煉瓦の構成は半場川橋梁と同じ傾向だとわかったのは収穫。採刻して比較できなくても、まあ、いいか。それが核心にはならない。
Before...
_ ホルモン焼き [あの・・・、目が痛いんですけど〜。]
_ 謎の自衛官 [一瞬、IEがバグったかとオモタw]
_ nagajis [気分転換したのであとで直します(汗]