nagajisの日不定記。
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代数の考査は悪くはなかったと思う。自習中はまじめに自習をし、酒保へ行かざりき。酒保へは行かぬと決心した故なり。然し能率は上がらざりき。未だ勉強の方法不十分なりと思う
十時頃に至りて雨を見る。以後陰気なる時なりき。
日曜の剣術。三年生は六泊七日の予定を以て七時出発伊勢に向う。往復共別府―神戸間は船なりとぞ。雨降り来れども、前日の約束に依り、伊藤と一年佐々木と共に佐々木曹長殿宅を訪問す。約十時十分頃より二時間半に亘り〔御〕邪魔になる。十三時半より十六時半まで洗濯其の他清潔整頓をなす。愉快なる晴々しき清き日なりき。
〔欄外朱:将校生徒の本分を体し堂々と勉強すべし〕
二十四日 久留米市
二十五日 太宰府付近一帯
二十六日 佐世保海兵団
二十七日 長崎三菱造船所
二十八日 佐賀市・耶馬溪
二十九日 行軍、久大線経にて帰校
昨年の是に比し歩くこと多く背嚢にて肩も之に慣れ鍛錬するところ大なりき。歴史を顧み近代科学にふれ、絶景にふれ幼年学校最後の現地訓練を遺憾なく終了し、其の目的を達したり。
隧道データベースで、「大分」で検索にヒットするのに「大分県」でヒットしないものが多いのに気づいた。あれ、おかしいなあ・・・調べてみるとフルフレーズ入れると当たらないような感じ。
調べてみるとデータベースに渡す用に危険な文字をエスケープする関数にバグがあって、奇数文字を変換すると末尾に余計なスペースが入ってしまうことがあるらしい。ずいぶん前から指摘されてたみたいなので、その筋では有名なんだろうな。
出力をtrimして渡すように変更。ちゃんと検索できるようになった。
昨日リストは修正したが、原稿のほうはまだ途中。個々のカテゴリの傾向?について触れると長くなりそうだがそうしないと体裁がとれないな。とはいえnagajisの狭い狭い見識のなかで知っている範囲のことしか書けないが。
文中に「加賀山事業所」というのが出てくるので加賀山軌道と改めておく。大きすぎてはみ出るけど堪忍。
「近畿の山と谷」を読むとだいたいこんな感じになる。本は昭和7年に初版、16年に新版が出ていて(手元にあるのは新版)、該当軌道はこの頃稼動していたものと思われる。軌道の出自や来歴に関する情報は全くない。
記述は三滝の奥から川伝いに登ったもので、まず滝の上流に「架線場」と「目下休止中のベニヤ板工場」が現れ、その後1時間あまり朽ちた木馬道が続くとある。この辺りは探索する時間がないだろう(帰りに時間があれば)。そのあと鳴滝脇を登ってトロ道に出ている。
鳴滝の脇に加賀山事業所。ハンシ山北鞍部を東に下ったところとあるのでこのへんか。木梶川左岸の軌道は破線で記載されているが、末端=隧道がどこなのかは現地で確認する必要あり。ネットの山行記録では埋没陥没?とある。
木梶川右岸分は未知領域。仮に900mラインを通っていて、問い合わせの通り「三滝右岸まで続いている」のが正しいのであれば予想線1のような道筋。「近畿の山と谷」図と、本文中の「青田川分水嶺付近まで伸びている」という話が合っていれば予想線2のように枝川の奥へ入っていくことになる。
探索は高見峠旧道と木原林道の分岐に集合、林道を歩いて現地へ(約1h)。まず左岸側の軌道を歩き、隧道現状と西側架線場を探す。その後木梶川右岸の軌道を辿る。場合によってはそこから川に下って(実線道林道に出られるか?)戻る。と。あと、できたら杉谷で聞き込みしたいな。これは前乗り込みの有無で決めーる。参加希望の方はnagajisまでー。
東海道自動車旅行記録。第一回豊橋にて。
桜町付近ヨリ約3里「愛知4685」(一富士タクシー町有)ノ貸自動車ノ為メ故意ニ行手ヲ押ヘラル、斯ノ如キ不道徳者ヲ日本ニ於テ見ルハ悲シ、注意スベキ事ナリト語リ合フ
当事者は大いに反省すること。
こういうものを見て「顔だ」と認識してしまうのは人間共通の性であるらしい。人間でないnagajisは諌めなければならない。そういうことは人間同士でやってくれたまえ。
眠れぬ夜は奇ポテを持て余す。
JR王寺駅にて。それも忘れてならない歴史には違いないがでぃすいずじゃぱーんではない。
修正シールを剥がしてみたくなる気分はわからないでもないが、人の過ちあるいは恥をつつき回しほじくり出さずともよいだろうにとも思う。剥がす前からそれだと気づいて見過ごす程度に留めておくのが大人の対応というものだろう。進入禁止の立看板を無視して隧道に入るか否かみたいなものか。
私? 私はそういう現場を見てニヤニヤし陰で糾弾する卑怯な生き物。人間同士で仲良くするといいよ。
#166と同じ日。確かにそうなのではあるが余りに余りなネーミング。橋それ自身が屎尿を運搬する訳でもあるまいに。
表現のベクトルが指し示すブツは同じ1点であるが、そのgradientは無数にあって、自身のそれと違うものには敏感に反応してしまう。そは多分自身の存在を等閑視されることへの恐れであり自己保身であるだろう。早く「どーでもええやん」と切り捨てられる境地に達したい。そうして屎尿を運搬してほしい。
ところで「あるまいに」と「アルマーニ」って似てるよね。
興味の焦点はそこではなく、むしろそれ以降の回答集なのである。内務省が出した布告や達について、どう解釈したらいいのかわからない他庁や府県庁からあった問い合わせの事例と、その回答をまとめてある。要するに当時の法令の解釈なり適用範囲なりが知れる本である。各県や市町村等のものは近デジにいくつかあるが、省側のは見たことがなかった。実際この書は部外秘だったらしい(第前加巻 巻頭に「官吏にあらざる者をして放観せしむるを禁ず」とある)。
例えばこんな感じ。
〔回答〕地理寮<八年八月七日 東京上等裁判所聞合>
今茲に一条の公路あり両境は各人民の私用地にして其広さ六尺に過ぎず然るに県庁又は邑会の簿記に此道幅九尺と記載す因て三尺の不足は両境の私有地に混同せるを知ると雖何れの地内にあるや其憑拠を得る能わず而して復旧追回以前の道幅に為さんとする時は其処分如何定て貴寮には例規あるべし委細示しあり度
回答<九年一月十五日> 道幅回復の儀に付照会の趣領承右は地押に因て其の質を得る慣例なり
〔明治十七年第一巻/第五章 道路/第十三 総則〕
帳簿に九尺と記録されてる道が実際は六尺だった。両脇の民有地のどっちかに紛れてるらしい。これ、九尺に拡幅したい場合は何に拠ったらいいの?という質問。内務省の返事は「地押見れ」。
内務省の返事はいつもそっけない。無意識にツン属性をつけてしまう。
〔指令〕内務省<十年一月十二日大分県伺>
客年六月第六拾号公布国県道幅員御定相成り随て将来新設の向きは土地の便宜に因り右幅員を保たしむべき御趣旨に有之候所当管内の如きは西隅の僻地にて山[月+永]連亘村落其間に散在し平坦人家稠密車馬輻輳する等著名の区甚稀なり随て路線の国道に入るが如きは当県下より東京へ達する一路線のみ其他県道熊本へ達するは僅に人馬の往復するも鹿児島へ通ずる如きは徒に県道の名称あるのみにして往来尤稀[練?]爾余総て右に類似し地形頗る険悪なり然れども漸次修築の業を起さざれば又開通の時無之依て置県以来百方尽力するも前述の如き地勢なれば莫大の失費を要し労功相償わず况や一時御定則の幅員を保たしめんとせば容易に修治を奏する能わず僅に其業を竣えしむるも旅客車駕の往復稀少にして折角耕地を損潰し巌石を鑿開したる功も無之のみならず過般草を生じ其掃除にだも民力に堪ざる路線も有之旁今般先ず国県道の路線図式を製定し之を以て将来修治の準拠とし差向行客の繁閑を許量し物産交通の多寡を斟酌し仮に適宜の幅員に修鋪し多年物産繁殖運輸興隆の期を俟て御定則の幅員に改修候様施行致度右は兼て御制定の儀有之候得共管内実際の景況に依り相伺候
指令<二月六日>申立の通取計うべし
念のためにいっておくが大分弁は出鱈目である。DjVuはページ指定でリンクができないのか・・・
そうなんよね・・・場当たり的にCSS設定したから複数日表示させると崩れるんよ。忘れてた。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957533/6
●鉄道省告示第二百二号
宝殿、曽根発煉瓦に対する割引運賃左の通定む
昭和五年七月十九日
鉄道大臣 江木 翼
一、品名 煉瓦
一、発駅 宝殿、曽根
一、着駅 二條
一、扱種別 貸切扱
一、賃率 十級賃率の二割減
一、期間 自昭和五年七月十九日 至昭和五年十二月三十一日
一、記事 十級賃率に依り本特定区間通計二,五〇〇噸以上託送したるものに対し貨物運輸帳表並収入払戻取扱手続に依り既収運賃と本賃率に依る運賃との差額を払戻すものとす
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2944677/5
広島県賀茂郡三津村に於ては嘗て煉瓦を製造し来りしが昨年五月依頼漸く衰頽せしを以て去る一月より内外用達会社に於て之を引受け同社の出張所を設け其規模を大にし職工を選み目下盛に良品製造に着手せり(以下略)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956071/3
○商工省告示第十二号
政府に於て購入し又は政府の注文する工事に使用する普通煉瓦は左の規格に依る但し已むことを得ざる事由ある場合はこの限在らず
大正十四年九月十八日
商工大臣 片岡直温
外務大臣 男爵 幣原喜重郎
内務大臣 若槻礼次郎
大蔵大臣 浜口雄幸
陸軍大臣 宇垣一成
海軍大臣 財部彪
司法大臣 江木 翼
文部大臣 岡田良平
農林大臣 早速整爾
逓信大臣 安達謙蔵
鉄道大臣 仙石貢
普通煉瓦
第一条 本規格は粘土を主要原料として焼成したる普通煉瓦に適用す
第二条 標準寸法は次の通りとす
長 210mm
幅 100mm
厚 60mm
公差は長及幅に於て±3%厚に於て±4%とす
第三条 品等は次の4種に之を区分す
1.上焼一等
2.上焼二等
3.並焼一等
4.並焼二等
上焼は焼度良好にして之を打てば金属性の清音を発し吸水率14%以下、耐圧力150㎏/cm2以上を有するもの
並焼は焼度普通にして吸水率18%以下、耐圧力100㎏/cm2以上を有するもの
一等は形状良好にして割れ又は疵極めて少きもの
二等は形状普通にして大なる割れ又は疵なきもの
第四条 受渡に付特に前条の吸水率及耐圧力の検定を行う旨の協定ありたるときは次の試験法に依りて之を行う
1.試料は特に協定なき限り煉瓦5000個又は其の端数毎に各種試験に付各5個を取り試験成績は5個の平均値を以て表すものとす
2.吸水率試験法
煉瓦を空気浴槽に入れ槽内の温度を130℃に保ち5℃以上の差異なき様注意しつつ乾燥し2時間毎に煉瓦を取出て熱きまま秤量し其の重量に差異なきに至らば之を乾燥煉瓦の重量とし次に煉瓦が常温に冷却するを待ちて深さ1cmの淡水中に24時刊平に浸し更に24時間煉瓦の上面上3cmの淡水中に浸したる後之を取出して湿布にて手早く其の表面を拭い直に秤量して得たる結果を飽水煉瓦の重量とし次式に依り吸水率を算出す
但しg未満は秤量せず
吸水率=(飽水煉瓦の重量-乾燥煉瓦の重量)/乾燥煉瓦の重量 ×100
3.耐圧力試験法
煉瓦を長手の中央にて半分に横断し其の切断小口を互に反対に向け積み重ね此の間を純「ポルトランド・セメント・モルタル」の薄層にて接合し尚上下受厚面を並行ならしむる為純「ポルトランド・セメント・モルタル」を薄く塗布し約7日間湿気ある槽内に置き該「モルタル」を固結せしめ常温にて乾燥したる後耐圧試験を行い崩壊したるときの荷重を検し次式に依り耐圧力を算出す
耐圧力kg/cm2=崩壊したる時の荷重/受圧面の平均面積
商況
●煉瓦業の昨今 大阪窯業岸和田、貝塚煉瓦製造所等に由て組織せる煉瓦業組合全体の年産額は約一億万円内外にして東は名古屋西は山陰九州等を重なる販路区域とせる外朝鮮青泥窪等への輸出も尠からざりしが開戦以来公私土木工事の休止を受けて価格下落に傾き東京形煉瓦一千個大阪渡にて七円まで低落するの已むなきに至り同業は甚不況の状態に陥りつつありしに俄然客月末に至り砲兵工廠大阪瓦斯会社其他の方面に要する注文一時に現われ其数は計七千余万個の多きに達し其納期は何れも来年三月中なるを以て[ここ]に供給の不足を生じ為に価格は一躍二円高を呼ぶの好況となりたり元来関西地方に於て使用する煉瓦は其形状区区(まちまち)にして一定せず随って各製造所共に常に多数の製品を存するなく毎時注文を俟て初て製造に着手するものなり是れ今回の如く価格の騰貴を促したる原因なれば将来は其形状を一定するの必要あり是れ単に価格の騰貴を防ぐのみならず急遽の需要にも応じ得るの便ありと云う(大阪朝日)
折角の休みだというのに原稿を書いて過ごす。本当は鳴門方面へ行こうかと考えていたのだが準備が整わなかった。全くなかったわけではない。モノは家にあるのだが取り揃えられていなかったのだ。夜中の10時頃帰宅して、はてどうするかを考えた時、前の日の晩にバタバタと用意して、睡眠時間を削ってまでして行かなくてもいいかなと思えてきたので、取りやめにした。慌てなくったって橋も煉瓦工場跡も逃げたりはしない。転がっている煉瓦が片付けられてしまう可能性は無きにしもあらずだがだからといって急いでいけば絶対あると約束されているものでもない。特に煉瓦のほうは聞き取りが本仕事になりそうな気がしてきた。福良は福良で、鳴門は鳴門で日を分けたほうがいいかも試練と。
それよりも書くことが溜まっていることが気になった。積み上がった糞の山を少しでも片付けたほうが有意義ではないのかと。糞の山に糞を追加して糞の山々にしなくてもいいだろうと。というわけで一日原稿書きに費やすことにし、日がな一日ポチポチと打って過ごした。はじめは家でやっていたが段々気分が滅入ってきたので気分転換を兼ねて阪急打ちに切り替え、何の用があるでもない梅田に降りてヨドバシカメラへ行ってみたりした。
なぜだかよくわからないが最近とみに突発的に良いキーボードが欲しくなることがある。これまでずっと、ジャンクで200えんで売っているようなキーボードばかり使ってきた。もしくはTF101。Dellの付属キーボードは打鍵の感覚もキーの配置も悪くないとは思うんだけど、なんというかこう、頼りなさが払拭できない。命を削って書いてるんだから(ほらそこ笑えよ)それに見合った託すことのできる道具であってほしい気がしないでもない。少なくとも今家で使っているiBuffaroのは頂けない。これならDellの200円キーボードのほうがよい。
かといってメカニカルガー茶軸ガーREALFORCEガーという柄でもないからなぁ。試し打ちしてみたけれどもピンとくるものがなかった。唯一いいなと思ったのはFUJITSUの何とかというキーボードだったがそれでも¥15kは高い。払えない訳ではなく自分には不相応な高級品だと思う感覚が先に立って必然性を凌駕してしまう。
Dellのメンブレンキーボードにシリコンスプレーをたっぷり吹き付けてスカスカにしたのが今一番しっくり来る。時点でG4のキーボードだがこれに変えたら他の衆が使えなくなるからな。その次がTF101の。どれもフニャラなやつだから、押し下げに力が要るやつに変えるとすぐに疲れてしまうんじゃないかと思う。
てな感じで何も買わずに戻ってきて、また阪急車内で続きを書きつつ、帰宅して少々書いて、寝て、また起きて、レンセイ製菓のケーキをほおばって、また書いて。そんだけ時間をかければ書けるだろという量は書けた。その序にまた取りこぼしがあることに気づく。本気で解明しようと思うなら天辻だけで、もしくは小代も絡めて一日潰すくらいじゃないと。
人のため、と思ってやることほど上手く行かない。上手く行ってもあとで落胆することが多い。思い遣れば思い遣るほど、その思い遣りに見合う何かが得られた気がしなくて、こんなに頑張ったのになぁと、思いたくもないことを思わずにいられなくなる。器が小さいだけか。土倉翁のような境地に早くなってみたいものだ。
だとすれば逆に、徹底的に「自分のため」を追求してみるのも手かも知れず、実際その気分は常に持ち合わせているけれども、マジで自分のことしか考えてないニンゲンをいやというほど見せつけられ、迷惑させられてきたせいで(お前のことだよ>[禁則事項])、そっちに振り切れる気もしない。どっちやねんと己にツッコまずにいられないが、今の立ち位置および取りまく環境が自分には似つかわしいようだからその道をゆくばかりだ。
最初の10年でこの世に本というものがあることを知った。
次の10年は本から学べることがあると知った。
さらに10年、本が人生を変えることがあると知った。
そして10年、必ずしも本が真理であるとは限らないと知る。
次の10年はどうだろう。
↑のスパンはもっと短くあるべきだったなあ。気づくのがいろいろと遅すぎる。10代の頃に本は有意義かつ無価値なものだと気づいていればもうちょっと賢い人生が送れたかも知れない。
s/本/文字/ でもいいな。書かれたこと記録に残っていることが無条件に正しいのだとは限らないのだと、比較的早くに気付かされていたつもりなのだけれど、それを消化して身につけるまで少々かかったんでないかい。
今日一日のどこかの場面で「愛のアフォーダンス」というフレーズを使った一文が思い浮かんだ。「アフォーダンス」の意味を100%理解し普段から使い慣れているわけでは決してなく、生半可な理解で口合いに近いものとして浮かんできたフレーズなのだが、その時は妙にしっくりくる、120%の適語だという確信めいたものがあった。あとで「アフォーダンス」の意味を調べて、まあ大きくは外れてないなと安堵した。それもつかの間、いまそのことを思い出してみると、一体どんな場面の、何の描写に使うつもりであったのか思い出せなくなっている。なんということだろう。
「ナントカも愛のアフォーダンスもナントカ」とか何とかいう一連のフレーズであった気がする。自分の今をとりまく環境の何かであったような気もする。しかし思い出せない。これだけではおよそ意味をなさない「愛のアフォーダンス」という言葉だけが宙ぶらりんになって引っかかっている。何だったのだろう。
対象が愛を感じさせる誘引力を有しているけれどもあくまで可能性としてあるだけで愛が成立したわけじゃないとか何とか、そういう意図だったっけ。そんなんじゃなくて単に愛なんて傍から見ればアホがダンスしてるだけに見えるとかいうのだったりしたら笑うが、いや待て、そんな感じだったかも知れんぞ。もともと口合いだった筈だしなぁ。
あれこれ悩むよりもう一個番号取得したほうが早いんじゃね、という結論に達した。携帯キャリアの仕掛けた陥穽に陥穽だとわかってて堕ちてやるという報復行為である。
しかし号が間違っていると萎える。トミナガさんと呼ばれたみたいな失望。あるいは別の道のことかも知れず。でも考えたら別に永冨姓に拘りがあるわけでも維持しなければならない矜持もないのだから失望はお門違いなのではないか>nagajis。
あっ、インタビューのとき自称nagajisって答えるべきだったと今更気がついた。
野又峠の記事は足を怪我して鬱屈していた時のものだから自分自身もう一度読んでみようとは思わない。道の素性もしっかり掴めたわけじゃなかったはず。自分自身にとって黒っぽい記念碑であるという以外、何者の価値もない記事である。そして定期的に「オランダ釣り」の検索が引っかかる謎なぶろグである。けらけら。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807778/59
ほおらやっぱりそうだ。この頃から存在しないと大正昭和にラッシュが起こるわけがねえ!
M25-26 北辰社 M21創業になってるが北泊
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807780/67
しかしM29には消滅してかわりに那賀郡に興る
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807783/74
M37(@M36)には消滅。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807789/77
M39にはほ生糸や木綿など糸偏工業ばかりになる。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807791/68
ううむ。うーむー。
太鼓はらったった。機械破壊運動はらっだいと。名前が違うから認めないとか認めないからな。
解説フォーマットは略決まったけれども書き直さなければならないことが多く一筋縄ではいかないことに気付き始めている。まあ6ヶ月先の話だ、急ぐ必要はあるまい。
煉瓦にばかりかまけていると思われるのも癪なので数日前からすでに原稿を書いていることを主張しようと思ったのだけれども結局煉瓦の話なのであって釈明にも糞にもならないのだった。くそ。
大田切以北はM19代に竣工。以南はM20代。坂口新田、大田切、郷田切がM21代(M19末着工)。ゆえに以南の資材を建設中の線路で運ぶことはできない。碓氷峠越えで運び込んだものがかなりある。
豊野~三才間などはM21。大田切以北と違う煉瓦なのはわかる。直江津から運び込んだものと碓氷峠越えのものと?大田切の煉瓦が高い位置にありすぎてはっきり見れなかったのが難。あの風化の仕方は大田切ゆえなのか、それとも普通なのか。多くの暗渠がC巻増しで長手を観察できなかったのもつらい。逆に表面が剥離しやすい煉瓦だったからC巻補修がされているのかも知れないが。どこかで一つだけ見たヴォールトの見れる暗渠の煉瓦確認のこと。
市古工場の煉瓦は郷田切の建設時や坂口新田の仕上げの頃(ポータルを構築している頃)に持ち込まれたか。その余りが黒姫駅に。
それらと千曲川橋梁のは同じか別か。
_ てっく [あの写真を撮るために行ったようなもんですw]
_ マフ巻 [俺は撮り損ないました・・・。]