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2014-05-23 [長年日記]

[] 橋の景観デザインを考える(篠原修・ 鋼橋技術研究会 編・技報堂出版)

橋梁を設計しデザインを考えなくてはいけない人に向けて書かれたもので、技術的にも美意識的にも部外者なnagajisには向けられてない本だったのだが、結構面白かった。のっけに「ダメなデザインの橋」の例がぽんぽん出てきたのがまず意外。こういうのは「いいもの」をもって語るもんだと思ってたのだけれども。本文最後のほうに「ダメなデザインは学ぶところが多い」という指摘があって、どうも鋼橋技術研究会としての方針?のようなものらしい。もちろんダメ出しされた橋は名前が紹介されていない。印南かえる橋とか余計なテラスがついた両国橋(修景後)とかイエローな蔵前橋とか。

書かれてあることにはとても賛同する。景観にマッチするデザインとすることの重要性。橋が景観を主導する場合もあるのだという話。木や石の橋は風土にマッチしているけれども車を渡せる長大橋は作れない。長大橋の欲求を満たすためには鋼やコンクリートを採用しなければらず、しかし人工物ゆえ国土に馴染みにくい。馴染むものを作り慣れていない。かつそういう素材が普及しはじめた頃から経済性が再優先事項となり、デザインは二の次に追いやられて、画一的なものばかり作られた。それでいいのか。コンクリートの自由度を活かせば景観によくあう素敵な橋はできる。鋼橋だって製作技術は向上した。適材適所でよいデザインを。みたいな内容。

読んでいるうち、美しい橋というときの「美しい」の基準ってなんだろうと思うようになった。橋をたくさん見ていると、あ、この橋はいいなあとか、この橋は平凡でつまらないなあ、などと思うことがある。そう思う理由というか、良し悪しの基準はちっとも明確でない。黄金比とかフィボナッチ数列とかの美的要素が潜んでいて、そうと知らずによいと感じているだけなのかも知れないし、構造の醸し出す力強さに惹かれたりもする。単純に力強い橋=よい橋と感じるわけでもないらしい。大浪橋も十三大橋もスケルトンはほとんど一緒のはずなのに、十三大橋のほうが素敵に思える。あるいはゲルバー桁橋でも鉾流橋のような王道のシェイプよりありえないくらいの細さの越中橋のほうがいい。永代橋の超重厚な拱材はその重さをありありと感じられるが、残念ながら私は親しみを感じることはできなかった。なぜだか知らないが渡って楽しくなかった。その点桜宮橋の3ヒンジ目なんかはいつまでも眺めていたくなる。あの一点にぎうぎう力がかかっているのだと想像するのが楽しい。その力のかかりかたが美に思える。豊海橋のカクカクしたのも大好きだ。珍しい形式ということよりも、構造が見て美しいと思う。四角いビルばかりの周囲の景観に溶けこんでいるようにも感じる。

古いからいいものだと思ってはいない(と自分では思っている)。 諸外国の名橋の写真、最近作られたやつなんかは特に、そういう「いい橋」の写真を見せられてハッとすることが多い。伯母谷ループ橋なんかも最近の橋だが素敵じゃないか。斜張橋はあまり好みではないけれども、辻堂の国道バイパスの橋なんかも、渡るとき爽快な感じがしてよいと思う。側面から見たことはないので、あの橋が景観に馴染んでいるかどうかはわからない。

美と感じるか否かは、単に見慣れているか否かであることが多いようだ。橋が架かっている光景が自分にとって初めてのその場の光景であれば(橋がそこに架かっているがアタリマエであれば)すんなり受け入れられる。いま名橋と言われているものだって、それが架かった当初はひどく浮いた存在だったかも知れない。マイヤールのザルギナトーベル橋だって、橋が架かっていない光景を先に見ていたら、橋に違和感を感じ、その場にそぐわないと思っただろう。橋ありの光景しか知らない自分はあの橋以外にあり得ないと思っているけれども。

明治6年に鉄トラスの心斎橋が掛けられた時、それをリアルタイムで見ていた人は橋に対してどういう感想を持っただろうか。流行りモノの最先端として興奮しながら見守ったか、それとも板葺き瓦屋根の商店や川面の木造船とそぐわない妙ちきりんな橋と見ただろうか。難波橋のライオン像や中之島へ降りる階段が「美しいもの」と見られていただろうか。まあ大阪人は流行りモノ大好きだから、たぶん歓迎されただろうけれども、違和を感じた人がいてもおかしくはあるまい。枯山水の庭のような味わいを好んだ人もあるだろう。中之島の周辺はセーヌ川のほとりをイメージして整備されたそうだから、その中にあっては難波橋のデコレーションも必然であったかも知れないが、中之島そのものが市街地の他の場所と比較して異質な空間だったと見れんこともない。見目麗しくても美であるかどうか。

まるでヨーロッパの宮殿のごとくな階段がオフィスビルの谷間にある現状も、異質といえば異質。しかしそれが私にとっての難波橋なので特段違和を感じてない。ならば「ダメな橋」と例示された橋も、そのうち風景に馴染んでくることもあり得るだろう。京都駅前に建つ京都タワーは建設当初ひどい景観論争を巻き起こしたそうだが、京都生まれの若い人で、帰省し、あのタワーを見て「故郷に帰ってきた」と感じる人がいると聞いた。その人にとっては京都の景観を構成する重要な要素の一つだ>京都タワー。なくなったらなくなったで寂しく思う人は他にもいるに違いない。

印南かえる橋なんかは「地域の文化性まで疑われかねない」なんてけちょんけちょんにけなされていたけれども、和歌山県という土地柄のこと、ああまでして話題作りをしなければならない地方の悲哀、への理解があってもいいよなあとは思った。太平洋ベルトの流通圏から外れ、わざわざ行く機会がなければ足を踏み入れることもないような地方県の「人を呼びたい」という思いは、都会人が推して計ることもできぬ位に限界に達している。日本で最初に世界遺産に目をつけて熊野古道を世界遺産に仕立て上げたりしたのも人を呼ぶため観光のためだ。話題作り・客作りのために猫が駅長やったりパンダを6匹も7匹も飼ってみたりイノブタ王国を築いたりしている県だ。カエルの形をした橋くらい大目に見てあげてもいいんじゃないか。ここにいわゆる美しい橋・名橋を架けたとしても、それ目当てに来る人はまずいない。奇異の目に晒されることを望んで奇異なものを作ったわけで、しかもそれが当初の目的を果たしつつあるのだから、大したものだと思う(この間はるるぶ和歌山県版だったかで取り上げられていてびっくりした)。要は奈良県にとってのせんとくんみたいなものだろう。せんとくん自身には何の由緒もないけれども(いや、正確にはあったんだろうけど雲散霧消した)、とりあえずあのキャラクターを見て奈良県のことを思い出すくらいには務めを果たしている。

確かに「技術的にいちばんやっちゃいけない」ことをてんこ盛りした橋で、見ていてひどく心地悪くなるけれども、ここで技術云々というのを抜きにしてみると、どうだろう。私なんかは「こんなんよう作ったなあ」と感心し始めている自分に気づいてしまい、自分自身のことながらびっくりした。橋であんだけ遊んでいると逆に清々する。金の無駄遣い・技術の無駄遣いなのは認めるが、お大尽の座敷遊びや田舎紳士の大盤振る舞いを見るようで---別に自分の懐が痛んだわけじゃないし---そんなのがあってもいいかなと思ったりもする。ほら、世の中には名優もいるけどエガちゃんみたいな傍流芸人いるじゃん。そういう芸人好きな人いるじゃん。例えマジョリティーであったとしても必要としている人が世の中にいるからエガちゃんいるんだよ。そんなエガちゃんみたいな橋なんだよ。と説明しても聞いてはもらえなさそうだ。

ある意味これも技術者と民衆との乖離なのかも知れない。橋は美しくて機能的で地域に馴染むものでなければならない、と技術者は思う。そういうものを作り、未来に残すことが使命だと感じている。一方でふつう人は橋の意匠なんで気にしない。川向こうに渡れれば特に文句はない。加えてなんか面白いものだったり、話のタネになるものがあったらいい。せんとくんとかたま駅長みたいな。

世の中ってそういうものなんだ、とこの年になってようやく気づいた。高尚な理想なんて誰も求めてはいないのだ。目先の利益と喉元の満足が得られればいいのだ。それ以降のことを考えるのは面倒だから誰かにやってもらおう押し付けようとい人が大半であって、それをどうこうするのは山を移すくらいに難しいことだ。と同時に、そんな人々と正反対の方向に頑張っている人々がいて、そのベクトルの合力のほうへ世の中は動いていく。どちらも無駄なことと思って拱いてれば何も進まず何も変わらない。自分の無力を了承し、無駄なことと知ったうえでしたいことをしておればよい。橋梁デザインの説をまとめた有益な本が発行される一方で、変なものをあげつらってpdrる円本で糊口を凌いでいればよい。そんな世の中を端のほうから見ているだけで私はお腹いっぱいだ。

といったようなことをとりとめもなく思いながら読んだ。刺激を受ける本に出会えることは幸せなことだ。


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