nagajisの日不定記。
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休暇の怠性を抜かんが為五時非常呼集あり。同半に雄建神社前ににて参拝及び生徒の勅諭の合唱あり。日出前冷気を感ずる中に溌剌と響く声、之れ若人の起つ響きならん〔ず〕や。八時五十分より大講堂にて帰校申告、後予は甲体力章を授与されたり。思えば前期は頑張りたり。尚此度も一層頑張らん。勉強は其の手始めとして終日寸陰を惜しみて充分なしたるなり。休憩。午後は南講堂、生徒舎、舎外の掃除あり。又十五時よりは月別身体検査あり。体重が前より愈〃少なるは残念の至なり。夕食後訓育班育班会実施。思うに今日は最全を尽くしたる日なりき。かゝる日は一日終るに臨み非常に愉快なり。
森田訓育部長殿及び横井学校副官殿は集会所焼失の責を負われて左に移転されたり
部長殿は璦琿へ
副官殿は香港捕虜収容所員に
誠に我々に於ても何とも言い得ず亦之に依り一層責任観念を旺盛にせざるべからず。〔一文に朱傍線、欄外「至情正に然らん」〕
〔nagajis:璦琿=あいぐん 黒竜江省北部の旧県〕
漸くにして一週間を終了せり。常に感ずる事は学期の初は時が容易に立たざる事なり。郊外教育二十二部隊(工兵)見学に行く。荒木大尉見習士官当時の居室・工兵材料庫・新兵器・爆破薬見学・爆破演習見学・隠密破壊演・対トーチカ戦演習(強行破壊)を見学す。特に練兵場に於ける演習が得る所大なりき。火焔発射機を始めて見たり。一八・一五帰校。至急準備し雨中露営黒石原に行く、即ち高橋・甲斐及び一年は藤木素士と俊一・藤川・塩田の七名なりき。雨中作業も速に行われ二一・〇〇夕食し二二・〇〇就寝し語る、漏りて気持悪し。裸体にてねる。良好。
※ nagajisではアリマセン
助けられて無事終了。言葉にできない無上の感謝をしつつ寝る。
留守にしている間に資料と仕事ががっつり届いていた。働き詰めに働かないといけない。黒ばむかも知れない。
名物唐揚げの看板。所謂共食いキャラ。君が頑張ってもダメだから。筋張った肉はあんま美味しくないから。
合宿を終え一時帰宅。疲れを癒す間もなくブッ続けで原稿を作成。何とか終えた。そうしてもう帰らなければならぬ。
修了式で涙腺が弛んだのは年のせいだとは思わない。それだけ真剣に、真面目に取り組んだ証だ。目的本位、事実唯真。
今回の台風や地震の影響であちこちで停電した。んでラジオが盛んにスマホ充電できひんとか電子マネーが使えんとかオール電化が不便してると報じている(多分テレビもそうだろうがウチにはそんな文明の利器はないもん。知らん)。停電すれば電気モノは軒並み使えなくなるだろうことは最初から織り込み済みで考えないものなのだろうか。停電したらスマホなんて当てにならないとは考えないものなのだろうか。自分自身さほど便利に使ってはいないからそこから受ける恩恵を感じていないだけかも知れぬが、なければ生き抜けないような生活をしていることに、疑問を感じたりはせんものなのだろうか。
そんなことを考えてしまうのは自分自身がマスコミの役割を誤認しているせいかも知れない。いま起こっている事件を広く報じることがマスコミュニケーションの役割であって、興った出来事について批評を加える事だとかそれに対してどのような対策を取っていくべきかの指針を示すことはその役割ではない。世の中の悪とか不都合とかを糾弾するためにマスコミが報じているわけではない。それを誤ってラジオやテレビが非難しているように捉えてしまうと、世の中非難すべきこと悪事たること比定すべきことばかりになってしまう(そういうものが目新しいこととして取り上げられがちだからな)。そうしてその糾弾なり非難なりを何の咀嚼もせずに呑み込んで他所で吐き出す。口コミとして広がる。糾弾の輪が広がる。そうしてどんどん世の中は生きにくくなる。スマホの充電がどこでもできるような設備投資に国家予算が投じられたりしていくことになる。その前にせなあかんことあるんちゃうの。スマホなくても情報を得られるように電池式ラジオを備えておくとか、鍋で米炊く技術を身につけておくとか、山菜で食いつないでいく術を知るとか。
台風と地震のせいで富田林の逃走犯の話とか日光でフランス人女性が行方不明だとかいうニュースが吹き飛ばされてしまった感がある。それより以前のもっともっと重要な問題が未解決のままであったりするだろう。とかく大きな事件が起こると世の中そればかりという論調になって他事が忘れられてしまいがち。そういう摂理に対して自分はどういう対策法も持たないけれども、世間から3歩も4歩も離れたところにいるとそれが問題だということだけはわかる。さて、どうしたものか。
とりあえず、蕎麦を茹でて食った。
長浜駅の屋根に乗っている煙突。
なんで左右で角度が違うんだろう? と思ったら、
旧長浜駅舎のそれに合わせてあるのだな。
では何で長浜駅の煙突は左右で角度が違うのか・・・。駅舎と並行に作られているのは駅長室の壁の一面に暖炉があった。もう一つの煙突につながる暖炉は部屋の隅にあったような気がする。だったら4部屋の相接する一角に煙突をつけて隅暖炉にすれば煙突一本で済んだんじゃなかろうか。それともあれか、駅長室は特別誂え的な思惑でもあったんだろうか。
旧意匠を引き継ぐのは悪くないと思うけれども、格好だけの真似は正直好きでない。徹底的に同じにして機能まで再現してほしかった気はする。現駅舎の煙突はただ屋根に乗っているだけだ。飾り物だ。
昔の風を採用する、というのは手放しで喜べないところがある。中途半端な模倣もよくないし、完全再現だとしても、では未来の日本人はそれをどうしたらいいかという問題も生じる。200年後300年後。長浜旧駅舎は残り続けるかも知れないが、模倣の現駅舎に残しておく価値はあるか。作られた時代の特徴を、面影を、そこに読み取ることができるか。おそらく「ない」だろう。バブル建築はバブル建築として嘲り笑われているけれども、あと100年もしたら当時の風俗を色濃く残した物件として保存対象になり得るかも知らぬ。そこまで残るような耐用年数のあるものがまずないかも知らんけども。
あるいはそんな先々のことなど考えなくてよいのかも知れない。いま現在に有益でありさえすればよいだけなのかも知れない。近代建築だって未来永劫に残すためにつくったわけではあるまい。その当時の最高の技術を投じ、大事に維持管理されてきたから残っているだけで、朽ちかけたのを無理に残してやる必要もなかろう。人工心臓と点滴で命だけ生きながらえさせられてもな。その姿からいい何かを読み取れるような人は一握りもいず、それだって結局は自分の生を繋ぐために飯の種にしているだけなのばっかりなんだは。
舞鶴赤れんが倉庫群も横浜のも大阪港の住友倉庫も、要するに作られた時代の時代性とか、レトロな雰囲気が物珍しいから保存され利用されているに過ぎない。元は単なる倉庫である。モノを格納する壁と屋根だけである。そこに特異な工夫はない。機械を格納するとか水雷を置くとかいう違いはあったとしても結局はいまのコンクリ波板張りの倉庫建築と役割は変わらぬ。にもかかわらず珍重されているのは時代性でありレトロな感じであって、何も当初の倉庫建築のあり方が知れるからとか明治大正昭和初期の建築技術ガーとかいう問題ではないのだった。数が少なくなったから保護するという特別天然記念物みたような哀れな存在である。そうしてきっと未来永劫形を留められる保証はない。残したところで世間はその皮相の部分を舐め回して悦ぶだけなのである。そういう楽しみ方しか知らない客体も、そんな客を想定して残す/残さないを考える主体も、考えを改めたほうがよろしいかと思う。双方によいだけでなくモノに対しても、モノをこさえて守り伝えてきた人々にとっても、それが残っている地方、ひいては日本という国にとっても、果報であるはずだ。
奈良の大仏殿を鉄骨トラスで補修したのは、そういう意味では偉業であったかも知れない。何でもかんでも当時の技術だけで修復してしまったらアレだ。設計の無理とか瑕疵とかを無理瑕疵のままで保ち続けることは賢いことか。だったら当時最先端の技術で最大限のなし得ることをやって、その記録を記憶させることのほうがよかあないか。寺社仏閣の歴史がまるで江戸末期か幕末頃で更新を終えたようになっているのは不自然だ。それ以降の歴史はどこいった。
先日夙川の堤で採取したこの煉瓦。棒線2本と「・」を組み合わせたような刻印が押されている。
同じものを堺市街の廃屋の境界壁で採取していた。印の形も打刻位置もほぼ同じである。夙川堤採取分は裏側にも打刻されている。
この刻印の形をIllustlatorで再現するのに実はずいぶん苦労した。どう書いても同じようにはならないのだ。こんな単純な形なのに。
軽く清掃して台所に置いてあるので、ここ数日頻繁に目にしている。時折手にとってまじまじと眺めたりもしている。そうして、見れば見るほど絶妙なバランスで配置されているなと思う。
写真をトレースして書いた図がこれ。どの向きが正体なのかわからないので、とりあえずこれを基本形としておこう。左上の「・」はよく観察すると「■」であることがわかる。そうして微妙に傾いている。下辺の横棒と並行にはなっていないようである。以下「■」部と書くことにする。
「■」部はその右側の傾いた線に対してその上下のほぼ中央の高さに配置されている。厳密には中央ではなくその若干下にあるようだ。そして左右は下辺横棒の末端に揃えられている。これも厳密には末端が中心ではないようだ。
斜線と下辺横棒との揃え方も、機械的に揃えられているわけではない。
こうした微妙なズレのせいで、妙に安定感が出ているような気がしてならない。フォントの「日」や「王」の字の空白に微妙に大小があって、そのせいで安定感が醸し出されているのと同じようなものを感じる。
例えば「■」を下辺と並行にして、下辺の端と「■」の端を揃え、「■」と斜線を中央揃えにする等して「揃え」て作ってみるとこうなる。「■」が飛び出しているように見え、そこだけちょっと浮いてしまう。下線と斜線の配置もちょっとうまくない感じ。ここが附き過ぎて「■」の飛び出しを余計に目立たせる気がする。
その点、最初のこの配置は3つのパーツの配置が絶妙に均衡している。「■」と斜線はもう少し下げてもいいかも知れないがやはり下げ過ぎると下線との取り合いが附き過ぎて前掲図みたくなりそうである。
何かのマークのようにも見えるし、無作為に幾何学図形を配したようにも見えるし、しかし決して全くのランダムでもない。何度でも見てバランスの根源を突き詰めたくなる。そんな奇妙なポテンシャルを含有している。
この向きが正体だという証拠はないから、小口前で見たらどうなるかというと、こうなる。この向きで見てもまあそれほど破綻はしないが、「■」部と斜線のカタマリが右に離れすぎているようには思う。しかし縮めたら縮めたで正体に見た時に違和感が出そう。それ以外のバランスも影響しそうである。
もし斜線が水平であったとしたらどうだろうと思い、そういう図も作成してみたが、こうすると「■」の傾きが目につき、また元下辺棒線の斜めとも相まって全体が傾いているように見えてしまう。うむ。よくない。
結局のところ最初のこの形がいちばんしっくり来るようである。こういう向きの記号として押されたもののようにしか思えない。その他「\・/」のように棒線が左右対称である場合なども考えてみたけれども、そういう形というばかりで、これといった面白みは感じられない。微妙に傾いた三者が微妙な感覚で微妙に配置されているところに奇妙なポテンシャルがある。
考えれば考えるほど、何か意味のある配置であるように思え、またずいぶん練り上げられた結果できあがった図形のように思えてならなくなる。刻印はちゃんとした印母で押されたようで、例えば「■」は確かな四角だし、棒線も釘を打ち付けて急ごしらえしたようなやつではない。こういうマークとして作られた印母による印である。実は何か、こういう書き方をする略記法が存在していたりするのかも知れない。この図形が社名頭文字であったりするのかも知れない。
この印の向こうにある意図を完全に読み取れるようになったらと思うが、そんなことはエスパーでも不可能かも知れぬ。作った当の本人はとうの昔に故人になっているはずなので。イタコさんでも霊媒師でも彼を探し出すのは無理に違いない。
愚痴を書いた分で一日休み。数行書き直しただけ。…と書いた所で思い直しルポ 三石 冒頭を書き直す。ここももうちょっと整理したほうがよい気がするが、いまのバラバラな感じも試してみたい気がしている。
旧国道が南に折れて以降の三石市街をもうちょっと書いてあげるべきだと思うがそこまで足を伸ばしてないからな……。駅前通りが閑散としているさまを伝えればそれでいい。
日曜日には仕上げたいと思う一方で歴彩館に申請出したりしている。罰が当たってはじけるべきである。
今回の分量では明らかにルポ部分が力不足なのだけれどこれは謝るしかない。竪坑周りを膨らましたら杢網だしなぁ。
コミミに追記。参考にと思って書いておいたユニチカ記念館に追加ニュースが入ったりしたので。一回目から頑張り過ぎだなと我ながら思う。もっとサクサクでいいと思うんだ。
近くのライフでなぜかゴールデン紫が売っていて。ここしばらくはこればかり使っている。卵ご飯などに使うと特に「ああこの味だ、食べ慣れた醤油だ」と思う。もう何十年も使っていないはずなのに。こちらの醤油だと塩味が強すぎてまったり食べられない。どこか引っかかるものがある。ゴールデン紫はそれがない。
旨いか不味いかという話ではなく、またこれでなければならないというものでもなく、自分の醤油感がこの醤油によって築造されていたのだと改めて気付かされたことが有り難く思える。地方によって醤油の味が違うということに気付かされた、そのベースラインあるいは基準原点としてのゴールデン紫。
地方のひとびとがどんな普段食を食べているのか、なんて普通は考えないものな。小豆島の醤油は特に辛いとか、吉野は辛くて旨味が強い(濃い)とか。大阪の市井ではどうなんだろう。まさかキッコーマンではあるまい。