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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-10-20 この日を編集

[陸幼日記]十月二十日 月曜日 晴

独逸語の先日の考査は大体に於て良し、なお一そうの奮発をのぞみいる。青年体操は中学時代に学びし故、今回おぼえるにたやすかりき。此に於て一度忘れし物に於て〔以上朱棒線〕前におぼえいたるものは次におぼえるにたやすきことを感ず〔欄外朱:「然り 故に無駄になることなし〕。随意運動時はいずれの運動班も練習に余念なし。優勝せんが目前の楽ならん。学班会行わる。衛生検査あり。然し我等に関係なし。一昨日東條内閣立つ。陸軍大将に進級、内閣総理大臣・内務大臣・陸軍大臣を兼ぬ。


1942-10-20 この日を編集

[陸幼日記]十月二十日 火 晴

克くヽ考うるに我は陰なる時間は常に机にありて学ぶことを癖としたきものなり。寝室に於ける馬鹿話し亦何の利なし。画家の休憩時間独り影に学ぶ岡木を見て、我もなさんとの心を生じ、十分なりと雖も勉めんことを考えぬ。塵も積もれば山となり、之にありてこそはたして成るものなり。実に、中学時代の陰あれば遊ぶの堕落せる気分は無し。思えばつらき事ならん。此くの如くつらき事を推してなしたればこそ我は之を後人に語りて其の効果大なるを伝たきなり。猛進々々。
雄健神社参拝を人より一歩早くなすは一日の初めに於て人に先んじたる感なして終日快にして能率何事にも上るなりと確心す。現に実行中なり。


1943-10-20 この日を編集

[陸幼日記]十月二十日 水 曇

冬衣袴に着換えたる十五日より急に暑くなりその価値無し。今日は雨もありて寒を増す。西部第二十一部隊見学。野砲兵連隊なるもあれのみにては砲兵になりたしという感も起らず。四噸索〔牽〕引車に乗る。藤田 定中尉殿に大部失礼し十ヶ月振りに今日会えり。色も黒くなられて探すのに苦労したり。特別肝銘したるものも無かりき。ドル教官殿は一泊され見学さる。又故梅田中尉(四九)の弟の方の梅田中尉(五五)が来られて夕食会食す。体躯すぐれ見るからに立派なる方なり。傾日又摂生乱し消化不良にて玄米のかすが便に多し。今や殆ど玄米にて消化不良の欠点あり。良好なり。


2006-10-20 作業報告 この日を編集

[ORJ] 槇木沢up

 これですべてだ。

 リンクが大変だな。明日はお休みかも。。。


2008-10-20 目的と目標は違う この日を編集

[独言] 目的と目標は違う

ちっと調べてみたがそうなんだそうだ。意識したことがなかった。

実はそもそも言葉の定義なんてどうでもいいと思っている。方言に共通語と比肩する、いやむしろ共通語よりも尊い価値があることと同じで、基準は基準としてあるべきだがそれを守らなければならぬ義務は実際のところこれっぽっちもない。「正しい日本語」なるものは自分が恥をかかないために覚えて使い自分の感情を当たり障りなく表明してなあなあのうちに自己をニホンジンのなかへ紛れ込ませようとするためにあるのではないかとつねづね思う。それは言い過ぎかも知れないが恥をかいたり意志伝達に失敗したところで損を被るのは自分である。いくらでも損してやるさ。

畢竟、(゜∀゜)やm9(^Д^)やwを使うのも共通語的な価値が便利だからというそれ一点に尽きる。それで心の襞まで表明できたと思い満足するならそれで充分なのだろう。あるいはわざと用法を間違えて自身を貶めるか、だ。

ということをここで表明しさらに渾沌へと誘う。果たしてnagajisに価値ありや否や。たぶん否。きっと否。そうでないと思っているのはnagajisだけで包囲網はすでに出来上がっているんだろう。

…出発点からかなり遠い所に着地したな。K点越えだ。

[ORJ] 寄稿アリマス

そうして唐突に業務に戻る。ここにまで日本語のnagajis独自拡張を持ち込むつもりはない。念のため。

zwiebelさんから寄稿をいただいた。pdfでの寄稿だし内容も非の打ち所がないので間違いなく次号にはお届けできるだろう。ちょっと欲を出してあれこれしているうちに時間が過ぎてしまった。少々お待ちを。

そういえは北海道の旧廃道ネタというのはまだ取り上げたことがない。個人的にも一度行ったきりで深く知っているとは言い難く(そのくせ廃道本で取り上げざるを得なかったのは内心忸怩たる思いがする)、寄稿も興味深く拝見した。余計な知識がいろいろ増えた今、もう一度北海道へ行ってみたく思う。アンケートでも以前にそういうコメントをいただいていたしな。

[ORJ] 旧橋デザイン変更を目論む

以前に(はるか以前に)TUKA氏に提案されていた旧橋のデザイン変更に今さら取りかかる。理由はない。

「絵巻に見る道路と交通の歴史」土史6P85-91を参考に書き始めてみたが、書き終えたところでドツボにはまってしまった。単純なベクトル線にすると味気ないし、かといってブラシで筆書きっぽくしたらこの部分だけで200kbくらいになってしまう。軽さがウリであるサブ企画にしては贅沢すぎるだろう。一枚画にすると今度は細部が潰れてアラしか残らない。うーむ。没かも試練。それにそもそももっと書き込まないと現状では中途半端にスカスカだ。

大人しくいまのパターンでトラスとか桁とかにしたほうがいいんじゃね。今回作成したのだと、色で変化をつけるということもできない。

なお次回は愛知県城嶺橋を予定している。四条大橋のセセッション風を継承するもの、とは愛知県近代化遺産調査報告書の弁だがあんまりそうには見えない気がする。城嶺橋のほうがはるかに上等な何か別のあるものだ。

[] 地図をコピーする

この道が2重線で描かれている地形図は初めて見た。昭和48年測量の第一版。飯台の図書館にあったものは実線道だったから60年代の修正版だったんだろう。高々35年であんなにズタズタになるものなのか。

舗装や石垣工のなかった昔は毎年春になると雪で破損した山道を補修することが村の最初の共同作業だった。そうやって道を作らなければ暮らしていけなかった。その時代に戻れと言う訳ではないが認識として忘れたくない史実である。

[] エロマンガを買う

なじみの古本屋で初めてエロマンガを買ってみる。これといって理由はないしわざわざここへ書く必要もないのだが取り巻く環境をいろいろとブッ壊してみたくある昨今である。

むしろ一緒に買った高取正男著「日本的思考の原型」のほうが有益であった(店の主人もそう薦めてくれた)。この本のなかに「カッタイ道」のことが出てくる。不治の病(とされていた病気)に冒された者が人目を避けて辿ったというもう一つの四国遍路道である。柳田国男もそんな道があることを書き残している(「山の人生」かその収録巻だったか?)。カッタイ道・カッタ道は「旅と交通の民俗」でも触れられていたが、この本も「日本的思考の原型」もともに宮本常一の「忘れられた日本人」を参照している。結局は2つしか出典がなく、そのどちらも道筋を明確に示してくれるものではない。そういう意味においては儚い幻のような道である。ただ存在したことは間違いないようだ。

今号のTRDBもそうだが、道は決して美談や喜劇憚ばかりで出来上がっているものではない。あかるい一面ばかりを取り上げてことさら美化するのも−−−ブンガク的にはあり得るかも知らぬが−−−つまらない視点だ。かといって厭世感に満ちた記事なんて誰も読みはしないだろうし書く側も息が詰まる。いつまでも自己批判していては先に進めないというのもある。今すぐにはかかれないだろうが記憶に刺さった棘として残しておこう。着手はもう少し資料が揃ってから。

ついでに読評。導入の茶碗の所有権の話はいかにも自然でわかりやすかった。自分の茶碗、自分の箸という意識は明治以前のもので、明治になって西洋から入ってきたもの(おかず皿やフォーク・スプーン等)にはそれがなく、そもそも日本よりも個人主義的である「とされている」西洋には食器の所有者という意識がないという指摘は、ちょっと瞠目した。しかも食器所有の意識は近代化の過程でことさら強調されたものである云々。明治以降に育まれてそれがあたかも古来日本の当然のしきたりのごとくに勘違いしていることが何と多いことよ>nagajis。京都の鍾馗様の由縁もわかってちょっと得した一冊。

念のため断っておくがエロマンガの読評はしない。そこまで思慮のないnagajisではないつもりだ。

[] 部録"移動

旧サーバへ移転。かなりドツボった・・・。他のも移そう、あとで。

移転完了。categoryプラグインを使っている場合はデータフォルダのcategoryやcacheを削除する必要がある。

いろいろ馬鹿馬鹿しくなってきた。頭が痛い。寝たい。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ ツッコミテスト [テスト。]

_ ツッコミテスト [テスト2]

_ ツッコミテスト3 [テスト。]


2011-10-20 この日を編集

[絵葉書] 初三郎矢之川峠

画像の説明漸く一息ついたので記念に一枚。初三郎の描いた矢ノ川峠。

ずいぶん思い切った構図ではっとさせられるが、矢ノ川峠の特徴をうまく捉えてあると思う。峠を知っている人ならどのへんなのかすぐにわかるだろう。ただし右端に描かれた隧道は現実には存在しない。道が南谷を登り上げて尾根筋に到達してからは隧道はないからだ。谷もここまで深くもなかったような気がする。

[絵葉書] 初三郎大杉峡谷

画像の説明ついでにもう一つ。大杉谷峡谷。どの辺りだろうか? 谷沿いはあまり歩いていないのでピンと来ない。もう少し大杉谷らしいシーンがありそうにも思う。

それでも……右端の人の小ささから世界の奥行きが感じられる。そうそう、深遠壮大なこの谷の中では人の存在なんてこれっぽっちなんだよな。

初三郎絵葉書はこれとこの間の鈴鹿峠、あと桑名の七里の渡しがある。桑名はフツーの浮世絵だからパスしておく。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ocoze@三重 [スキャンかたじけない。大台か南アルプス並みの厳しさに誇張されておりますが,旅心を刺激する絵ではありますな。最近,伐採により旧旧道の一部があらわになっております。大杉谷の方は,どこか判りませんが,今..]

_ nagajis [いい意味でも悪い意味でも「人と自然の戦いの跡」ですね>廃道。そのうち自然が勝つだろうから心安く見ていられます。]


2013-10-20 この日を編集

[ORJ][独言] 言えない

言えない…最後に作業したpdfをアップし損ねてたなんて、尻が裂けても言えない……

[独言] ハロウィン

画像の説明帰宅時のひとこま。商店街に向かっている時、近くの公園でハロウィン仮装パーティーが催されているらしく、仮装衣装に身を包んだ子供とすれ違った。公園には先着組がいて衣装の見せ合いっこをしていた。異国の祭りであり商業主義に踊らされる祭りだとしか認識していなかったのだが、それがいつの間にかこんな身近なものになっていて驚くと同時に、「まあ、悪くないな」と思ったりもした。

子供が常ならぬ衣装を纏ってTrick or Treat。考えてみれば日本にも似たような風習はあった。地方によって呼び名は違うが、確か「コトコト」とか「ホトホト」とかいったはず。子供らが神の使いに扮して地域の各戸を巡り、唱えごとをしたり豊作の予言をしたりして、その御礼にモノをもらう。悪魔か神かという違いだけだ。

「カセドリ」もそうだったんじゃね?と思って検索したら、こちらは独身男性2人組だった。子供にしろ青年にしろ、そういう神に成り代わって訪問する行事は数多く存在した。仮装をしなくても、子供が神の憑り代となって神託をする---あくる年の豊作・豊漁であったり、村の住人の悪事を暴いたり---というのも多い。名前はいちいち覚えてない。

もちろん子ども自身が預言をしたり悪事を見抜いたりしていたわけではない。そういうふうに言えと大人らが言い含めていただけだ。子供の口から発せられることに意味があると考えられていたということ。

以前は子供が中心となる祭りが多かった。葵祭の稚児然り。亥の子打ち然り。ハラメンボウを振り回して既婚女性の尻を叩いて回る、みたいな乱暴も許された。時代が下り、回り回って米国版子供行事にその風習が再発露したと考えると、それなりに腑に落ちる。


ハロウィンは子供がやるから許されるのだ。これが大人だったらタイヘンなことになる。なまじっか英語知識があるとなおさら危険。orとandと言い間違えたら

お菓子をやるからいたずらするぞ

だ。変質者以外の何物でもない。

[煉瓦刻印] 松本煉瓦@弁天町

松本煉瓦刻印@弁天町波除5丁目の住宅の舗石。機械成形だと思って見過ごすところだったがたった一つだけ刻印が見えていた。○にMのシルエットがよくわかる、刻印見本のような一瓦。

[煉瓦] 大阪窯業舗装用煉瓦(後期型)

大阪窯業舗装用煉瓦九条の商店街の外れに一個だけ転がっていた。『大阪窯業五十年史』に写真入りで掲げられているやつで、四角柱の平の面?には何の加工も施されていないかわり、小口に大窯マークが入っている。モルタルに塗れていて判別しにくいが。 画像の説明


2014-10-20 この日を編集

画像の説明

擬似立体視ができると思ったらキモいだけだった。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ あきら@大阪 [先生!これアカンやつや!w]

_ nagajis [うん、何度見てもキモい・・・酔いそう。]

_ ゆうさん [地震みたいだ。 立体的に見えなくもない。 でも不安定さが勝ってしまう。]


2019-10-20 この日を編集

[近代デジタルライブラリー] 佐伯順太郎著『土木学』

「建築学講義録」を下敷きにして書いているようで、妙に似た記述が散見される。掲載図もずいぶん似ている。

諸所に誤謬があってにんともかんともである(それを訂正した書き込みもある)。p.91 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846021/54 第78図の下段の煉瓦積みは左端の処理指示がおかしい。七五を二枚継いで積まないとそうはならない。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846021/59 にはモルタルに砂糖を加えると強固になると書いてある。本当だろうか。現在の常識では生コンに砂糖入れると偉いことになるハズなんだが。ただし上記述では「石灰モルタルは二倍近い強度になる」「膠泥モルタルはさほど影響しない」とある。この本のいう石灰モルタルは生石灰に砂と水を混ぜただけのものなので、その場合はたぶん影響ない。「建築学講義録」では生石灰+セメント+砂+水だったはず。

[煉瓦][近代デジタルライブラリー] 坂本雄造「建築学」(新撰百科全書 ; 第11編)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846206/49

煉瓦は長手方向の異同が大きいため、小口積みにすると必ず裏面に凹凸を生じる。これは先の「土木学」なんかでも書かれてある。

[煉瓦][近代デジタルライブラリー] 石橋絢彦「セメント篇」(明33.5)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/847597/181

英国煉瓦石の模型(注:型枠)は通常長九吋半乃至十吋幅四吋四分三乃至五吋厚三吋四分一とし窯焼せば十五分一乃至八分一を収縮するを以て市場売品は長八吋四分三幅四吋四分一厚二吋四分三とす壁の外面に用うるものは長さ九吋四分一幅四吋二分一厚二吋四分三とす

英数字にすると、

型枠:9-1/2~10×4-3/4~5×3-1/4 inch

製品:8-3/4×4-1/4~2-3/4 inch

となる。こういうのもっとほしいなあ、日本のでさ。んでこの数値はA history of English brickworkにもThe architectural dictionary(1853)にも『分析試験報文 第1号』(M28)にもない。困ったことである。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/845747/33

[煉瓦][近代デジタルライブラリー] 金井彦三郎編「材料編」攻玉社工学校土木講義録発行部 明41.7

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/845801/25

手成形 一日約450個 熟練で600個超。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/845801/27

諸外国の煉瓦のサイズ。

英国 8-3/4"×4-3/8"×2-3/4"
蘇格蘭 9-1/2×4-1/2×3-1/2
独逸 9-7/8×4-3/4×2-8/5
墺地利 11-1/2×5-1/2×2-5/8
キュバ 11×5-1/2×2-5/8
南米 12-3/4×6-1/4×2-1/2

蘇格蘭=スコットランド、なんやね。一つ賢くなった。

[煉瓦][近代デジタルライブラリー] 久野末五郎著「実地土木工学」(博文館、工業叢書、明37.1)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/845819/39

上の絡みで過去にURLだけ掲げていたのをテキスト化。

英 8-3/4×4-3/8×2-3/4
蘇 9-1/2×4-1/2×3-1/2
独 9-7/8×4-3/4×2-8/5
墺 11-1/2×5-1/2×2-5/8
米 8-1/4×4×8-1/4

英~墺は金井彦三郎編「材料編」と一致する。キューバ、南米がなくなったかわりにアメリカが入る。発行年からゆうたら逆なんだけど。んでこの数値も分析試験報文の値と違う。

http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20190912&

野呂長四郎『近世建築用材料 上巻』(大正4-5)には煉瓦税の結果8-3/4×4-1/4×2-1/2になったとある。これはThe architectural dictionaryの19th London Stockの数値に一致。結局、日本に入ってきた頃には1/4刻みだったちゅうことでしかないのかも知らん。

[煉瓦][近代デジタルライブラリー] 嵩山堂編輯局 編「近世建築学問答」

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846202/40

我国の煉瓦は大抵7.5×3.5×1.9寸。ってどれにも一致せえへんやん。

[煉瓦] 機械成形@M23-4頃(「建築学講義録」)

器械製の乾法と申すは原土を能く乾して粉となしたる上型に入れ器械にて強く押し固める法にして湿法と申す方は手製の様に湿りある粘土を器械に入れ上より強く押せば器械の縁にある孔より帯の様になりて外へ押出さるるを待ち機械仕掛の刃物にて此帯を入用丈に切るものにして帯の大きさは通例煉瓦石の小口の寸法に出来居る故右様にして切りさるものは取りも直さず素地の煉瓦石なり(『建築学講義録』p.257)

ということで、この頃日本には小口方向に押し出すタイプの成形機械が存在したようである。はて、日本煉瓦製造ではどこのを採用したのだろう。もしかしたら堺煉化石が高田商会経由で買い求めたやつだったりするのだろうか。

小口方向に押し出すタイプだとすれば平と長手が平滑になるわけで、これは表面を見れば確実に判断ができる。断面を見てもよい。しかし小口がザラザラになるとアレだな……と思ったら「刃物にて」切断なんだな。ワイヤーよりかは綺麗に切れるのかも知れぬ。

そしてこの文には続きがある。

其他尚お湿法には種々の仕方ありて摂州舞子の浜なる関西煉瓦会社にて用い居る器械などは至極面白く見る丈の価は十分ある故近所迄参られたらば御一覧あれ

行きたくても行けねえんだよ! 説明してくれよ!!

[煉瓦][資料] 日本煉瓦製造の機械

二 素地成形機 独逸国しりっく、あいぜん氏の発明にして千八百五十七年に特許を受く、爾来数回改良を経て今日に至れり、最初は螺旋羽根の軸心を錘直にせしが今は多く水準と成せり、但し我国に渡来せるは重にしゅめるつ江る氏及ぐろっかー氏の製造に係るものなり(『煉瓦要説』p.3)

シュメルツェル氏のが日本煉瓦製造のやつ。ぐろっかーはグローケ Grokeで大阪窯業のやつ。

明治二十年日本煉瓦製造会社の起るや、始めて独逸しゅめるつ江る氏の製造に係る完全なる「シリック、アイゼン」式素地成形機械を輸入し来り驚くべき速力を以て日々数万個の素地を成形する実例を示せしかば爾来各地の有力なる工場は之に倣うて該機械を装置するもの多く(同 p.9

p.17にはその機械の写真。口金のところはよくわからないが大、切断機のワイヤーの間隔と見比べるとを押し出すやつと思われる。平にギザギザがついて粘着力upっていうのは日本煉瓦製造が言い出しっぺなんだし、やはり平押し出し式なんだろうと思う。 とすると小口押し出し方式は堺煉化石くささが増すわけだ。

Archive.orgで一生懸命ZiegelとかEizenとかSylikとか検索してみたけどヒットしねえんだな。収録は1898年頃のが最も古いらしくち、ょっと届かない。いや、煉瓦要説が出たのが1902なんだからそれでも良かったんか。 んでもやっぱり見つからない。

[煉瓦][] 実用土木便覧. [続]

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/845831/96

探していた資料。原土を1年寝かせて霜にあててよくほぐすのを「日本にては斯くの如き製造法なす処なし」とある。明29,31の書籍。でも後年の書籍でそういうサラシを書いてた気がするな。


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