nagajisの日不定記。
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朝は十六度にして日中は二十六度なり。運動会を明日にひかえ、午後は準備及び予行を行う。午後はもっぱら英気を養えと云われしが、違いて、準備は十七時に至る。風呂に入り体のちょうし良きによる明日はさぞ第一等を得ん。夕食後柔道場に集合し運動班会にて決意したり。責任を深く心に感じて戦わんと勇あらざるも必勝せんと。
六時二十分起床。七時三十分集合す。八戸教官殿の温泉並に紅葉に関する話あり。七時五十分雲仙を去り一路島原に、途中又蛇行の路あり。今度は天草全体を眺め見る景なり。はるかに塵の落ちいるが如くなりたり。俵石展望所にては教頭殿の三十分間に亘る御教訓あり。共に橘中佐に対する感を述べられたり。だらヽ下り坂を下り十二時四十五分島原市内島原第三国民学校に着し休憩。船の故障により先発六十名、後発八十名に分れ先発は十四時にて後発は十七時の船にて三住を経て帰校す。我は後発にて二十二時帰校す。⇒菊池電車にも乗りぬ。二十四時の消灯までは取締なる故非常に忙しく入浴するも漸くなりたり今日は別に得る所無かりしが五里近くの行軍は大いに益ありぬ。又取締の指揮法に対し得る所大なりき。天気も良く雲仙に登る客途中にて多く会う。
会社に行こうと思って階下に降りると、いつもの場所にあるはずの自転車がなかった。あれ?どこ留めたっけ? しばらくして昨日コーナンに行ったことを思い出した。
キャリアのネジがなくなってしまったので、出社前にそれを買いに行ったのだ。ついでにいろいろ物色しているうち、そろそろ棚が一杯なのを思い出して、急遽スチールラックを購入。担いで持って帰ったのは覚えている。帰りに雨が降り出して傘がわりにした。スチールラックで傘かいな。お目出度いな。んなことを思いつつ。
で、行きがけに自転車に乗ってって、乗って帰り忘れたのだった。すごい馬鹿。その雨のせいで電車で行ったものだから余計に気がつかなかったのだ。
慌てて取りに行く。相棒を置き去りにしてきてしまったことへの自責の念にさいなまれる、というようなこともない。直観的に「まだそこに残っている」ということがわかるから。(10年乗ってきたんだ、それくらいわかる<なんて偉そうなことを一度言ってみたかった)
確かに自転車はあった。が、サドルと、キャリアにつけていた輪行袋が奪われていた。ついでにタイヤの空気も抜けてシオシオ。状況はヒサンだが不思議と悲しくはならない。あんなボロイもの持って行くとはよほど恵まれない環境のひとなのだろうと思う。タイヤの空気は放置自転車っぽく見せかけるフェイクだろう。
サドルはどうでもよいがシートポストはちょっと惜しい。CONTROLTECHのノーマルサイズ。値段は覚えていない。考えてみれば一度も変えたことがなかった。確か2年の時に買ったから95年のこと。あれ以来、ともに峠に登り、ホハレ峠に立ち、3カ月旅をして軽岡峠を二度越えた。五僧峠の峠道から転落した拍子に思いっきりおれの頭をぶん殴ってくれたこともある。そして今の隧道探索。それらを地味に支えてくれた重要なパーツだ。寡黙なぶんだけ喪われた時に気づかされるその重要さ。
輪行袋は自転車関係では最古参のアイテム(念のために注釈しておくと、自転車を分解してこの袋に入れ、電車や飛行機などに積み込むためのもの)。入部と同時に買わされたオーストリッチのR-420。正確には部推奨の袋があまりに高かったので自分で見繕って買ったのだ。たかが袋に9800えんもするなんて、と憤慨したのを覚えている。しかしこれがなければ自転車旅は始まらない。自転車を遠く離れた場所まで運べる魔法の袋だったし「大阪から来ました!」「ほう大阪から自転車で?そりゃすごいな」といういつもの誤解を生み出す元凶だった。時には枕になり───大きさは手ごろだが硬くてうまく寝つけない───それでもあるほうがマシ───、時には防寒具になり、時には荷物のデポ・バッグになってくれた。穴が開いたのを縫って補修してほつれてまた補修して、ショルダーストラップのフック部分が(留めていたリベットが錆尽くしてふっ飛んだため)壊れてしまったのを平ネジで直した。チャックなどとうの昔にハジけていた。12年か。もうとっくの昔に減価償却済みだ。
ブレーキワイヤーやタイヤみたいな消耗品と違って、こういう機会でないとそうそう買い替え直すこともないであろうパーツたち。それがためにかえって愛着が湧いて、さらに使い続けるはめになる。確かに不満はあった。シートポストはやたら重いし長すぎてシートチューブに収まり切らないし、輪行袋も修復不可能なまでにボロボロだった。しかしそれを失ったいま、本当になくしたものは記憶の重要な1ピースだと悟らされる。心に寒い風が吹き抜ける小さな穴となって、それは未来永劫、塞がることはない。
…というわけで、記憶を盗まれた話。なあに大丈夫、KUWAHARAのフレームさえあれば、ね。
ちうわけで誰かシートポストと輪行袋恵んで下さい(爆
せっかく必須プラグインを見つけたことだし、そもそもReaderの使いこなしを説明するページがないな、このサイト。pdfにこだわるならそういうpdfのtipsは必須だよな。ということで新たなHTMLページを作成する。pdfのtipsを紹介するページだ。
まだMLにも投げていないけど、実際の※Windowsの※画面をキャプチャしてわかりやすく作ったつもり。役立つ度としては結構高いのではないか。
Readerの代替としてはFoxit readerが最有力。日本語化するのにちょっと工夫がいるが。そのかわりフォームやリンクがうまく機能しなかったりして完全に置き換えることはできない。昔のPCを使っていて、Readerが重くて仕方がない方にはおすすめできる。
今回はちょっと面白い形式になる予定。ヨッキ氏が見つけてきた境橋を寄ってたかって品評するという構成だ(ヨッキ氏があの後追加で写真を撮ってきてくれている。感謝!)。
実際にチャットでリアルタイムで品評したのを再構成することになっていて、チャットはすでに終了。ログを加工して叩き台を作るところまで行った。この企画で、謎多き境橋の実態が明らかになるっ!
少しずつ登録して下さる方が増えている。まだまだ少ないけれども、実際に振り込みまで済ませて下さった方もいる。本当にありがたいことだ。この収入がなければ続けられない、肝心要のものだからな・・・皆様よろしくお願いいたします。
前回の考察ではさりげなく「記念すべき21回目である」と書いた。21という数字は決してキリのいい数字ではないことは充分理解しているつもりだが、それでもなおそう書きたくさせる魅力が、21という数字にはあると思う。つまり21という数字そのものに奇妙なポテンシャルを感じるのだ。
何しろ21世紀の21である。20世紀生まれの私にとっては未来の象徴といえる数字である。途中がギュッとくびれたなまめかしい姿のビルが立ち並び、その間を透明なチューブが張り巡らされていて、車とも何とも表現し難い乗り物がヒュンヒュンと行き来する。あるいは全自動文化女中機が各家庭に1つはあり、またボタン一つで製図ができるダン製図機があって、技術者の苦労を減らしたりている。新聞の端を触ればクルッとめくれて読める。そんな未来の象徴たる数字、21。例示がちょっと偏った、いや、かなり偏ったイメージであることは認めるが、「21世紀」という響きにグッと来る、あるいはグッと来た方々は多いのではなかろうか。ね、そこのあなた、そうでしょう。ね。ね。
21という数字はまた、素数の積である。すなわち3×7=21。もちろんその前に2×3=6だとか3×5=15が存在するが、綺麗に2つに割り切れることは論外、5という数字も何だかキリがいいのでパスしたい。あくまでも処理に苦しむ3と7との積であるというところに魅力がある。足して10になる数字を掛けると20「+1」という中途半端になるというのも捨て難い事実だ。
いまもう一つ発見した。21を二進数で表現すると「10101」になるのだ。
10101。何ということだ。
何という対称性。何という神秘。いおいおい。調子に乗って8進数を調べたら25で詰まらなかったが。16進数は皆さんにお任せする。あ、7進数とかは教えてくれないのね>Google。
だからといって記念すべき数字でもないことは確か。目出度いのはあくまでもnagajisの頭だけかも知れない。いやきっとそうに違いない。
最大瞬間風速72位を記録。そんなものなのか。
分量的にいうと、「廃道をゆく」はガイド(廃道紹介記事)が8割近くを占める。ガイドには3パターンほどあって、地図+写真(位置指定)という王道のガイド、簡単な地図とそれとは独立した写真からなる見開き1ページ、それを縮小した形の1ページ記事。例えば地図つきガイドはこんな感じ。写真と地図は離れているが、写真キャプションを順に読んでいけばだいたい流れを掴むことができる。
地図ガイドなしの見開きパターンは写真を大きめに使って。贅沢なダイジェストである。
小ネタというべき1ページものは上記を縮小したもの。
全体として写真を大きめに使い賑やかな感じの誌面である。見て楽しめる本といえるかも知れない。ちなみにキャッチや小見出しは編集Oさんがつけてくださった。このお陰で1冊の統一感が強くなっているはずである。個人的には「トンネル界のシーラカンス!」が地味に気に入っている。
「廃道本」のガイドはAmazonの中身紹介を見ていただくほうがよいだろう。こちらはすべての記事に地図ガイドがつく。写真が小さいかわり点数は多く、微に入り細に入っている。多分、本文を読みながら逐一写真と対比していく読み方には向いていない。
後半のガイドは白黒になってしまうが、これはnagajis担当分なので問題ナシ。その分後半の企画ページにカラーが入るという贅沢。なのにアレという。
「廃道のガイド」(地図+写真+本文の組み合わせ方)というのはORJを作りながらいつも悩む。これがベスト!というやり方がない。htmlのように写真の隣に本文を入れて(写真キャプションの連続として)縦にズラズラ並べてしまうのは(htmlの1パターンというよりも、わかりやすいガイドとしての)一つの解ではあるのだが、記事としての締まりがなく、メリハリもない。それならば割り切って本文と写真とを分けてしまったほうがいい。
他には地図の上に写真とキャプションを載せていくパターンもあるが、これはガイドの進行方向と目の動きとの兼ね合いで必ずしもうまくいくとは限らない(文章は上から下に読んでいくが、必ずしも北→南という探索ばかりで無い。地図を回転させるという手はあるが地形図には使えない)。地図のアキスペースと写真点数、本文分量との兼ね合いが予測しづらく、作るのも大変だ。そのうえ、全体のバランスがうまく取れたとしても「ここを見て!」というポイントを出すのが難しい。かえってごちゃごちゃするというか、目移りするというか。とはいえ、否定的なことばかり書いてしまったが、地図載せパターンは成功すればもっとも面白く、わかりやすいガイドとなる。
今回2冊の廃道本で計らずもすべてのパターンを試すことができた。残念ながらORJでこの通りを再現することはできない。紙媒体だからうまくいくレイアウト、pdfならではのレイアウトというものがあるのさ。といって逃げる。
zwiebelさんからpdf届く。nagajisは何もすることなし! これを初校として編集部に回す。最初に回せって? アレ? 見てなかった?
東紀州はとりあえず「明治県道・熊野街道自転車旅」とか何とか名前をつけてみた。もっと自転車旅っぽい内容にしたくもあるがこの区間にはこれといった見どころなし。
その他旧橋、TUKA氏岩城5をできるところまで上げておく。
構想2年。隧道カレンダーができた。売るかどうかはさておきできた。
表紙。どこかで見たことがあるという方は、正解です。
中身。一年中廃隧道が楽しめます。同じ構図揃えるの大変だったんだから。
いちばんのキモはこれだ。
壁掛け式で作るのであれば天辺にマージンを取るべき。データ配布・印刷方式なら1月2MB以下に落とさないといけない。セブンイレブンのネットプリントじゃ2MBまでしか受け付けてくれないからな。これだけが不便。とりあえずキモ部分が仕上がっているから、ここから卓上にもCDタイプにも変更することは(原理的には)可能也。
Oさんが先日の天野街道サイクリングのレポートをあげて下さっている。こういう感じのにぎやかなサイクリング、いいですよねぇ。
旧峠付近が私有地であることから、その辺りのいきさつを尋ねたところ、ネットでの公開はしないでほしいという話になってしまった。はて、どうするか……。
丁寧に対応して下さり、いつから私有地になったのかも教えて下さった(その年号は峠史のミッシングリンクとしてぴったり収まるものだった。法的にも道徳的にも何ら問題のない“鎖”だ)のだが、その中をゆく道のことを公にすることで人が訪れるようになるかも知れないことに、ためらいを感じておられるようだ。まあ、当然な対応だろう。これまでそういう対応がなかったのが不思議なくらいだ。
どのような形であれネットに載せることになるだろうことは間違いなく、それを隠して問い合わせるのも卑怯だと思い、正直に申し上げたら薮蛇を踏んだ。どうすれば良かったのだろう? これからどうすれば良いのだろう? ずいぶん悩んでいる。
ORJに書いて人がわんさか訪れるようなことはないだろう。特に私が書いたものは数人しか読んでいないから、そこから派生して情報が広がることはないと思う)。その辺りを説明して相手を説得しても仕方ないだろうし、反対を押し切って公開したところで、誰も喜びはしない。以前なら書いて公開することを私の役目だと信じ、書いてまとめて残すことを是としてきたが、昨今それが単なる思い込みでしかなかったことを痛感している。
すでに約50000文字書いた原稿が全ボツになるのは惜しい。方方に出かけて調べた手間が惜しい。そんな思いは確かにあって否定出来ないが、何よりも、この道の歴史が埋もれたままになることが惜しい。明治半ばにひょんなきっかけで県道となり、凋落していった、稀有な生涯を送った道だったことを突き止めたのだ。地誌にも書かれなかった忘れられた歴史を、これ以上ないという位に調べられたのだ。書いて残したいと思う。誰の役に立つかはさておき書いて残したいと思う。そういうものを面白がってもらえないことも承知しながら、書いて残したいと思う。
この葛藤を片付ける方策−−−単なる衒いで終わらせない方策は、たぶん一つしかない。
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2006/draw/masuda/42.htm
では増田淳設計ということになっているけれども、工事画報第12巻第1号(昭和11年1月発行)の「木津川運河可動橋工事に就て」では名前が出てこない。京都帝大高橋教授の指導のもと港湾部が設計を樹てたということになっている。増田が可哀想である。そういう不現が多いのだろうな……。
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/12-01/12-01-2265.pdf
日本初のロール式可動橋。バスキュール形の一種らしいことはわかるんだが、一般図を見ただけではどういう動きをするのかわからん……。
日本統治下の朝鮮に作られた可動橋。明治42年竣工。横からの構図は何度も見たことがあったが、この角度は初めて。橋に載っている人の大きさから規模を測りやすいのもいい。
実は日本で最初にニューマチックケーソンが採用された橋梁。次に採用されるのは大正末年の永代橋でずいぶん飛んでいる。全国で採用されるようになるのもその後のことだ。
戦時中に爆撃を受け可動部が失われた。北朝鮮側のトラスもすでに撤去済みのようだ。
神通川橋梁の図はまたどこかで使おう。地味に「増田順」になっていたのはお笑いだ。
ってなんでそんな大事なメールが不達なんだ・・・!orz
再発行申請の結果調査員証が届いた。ピンクにはならなかったが、わざわざラミネート加工してくださった。おかげで汚くできない汚れてふにゃふにゃになることはなさそうだ。紐も丈夫になったので外れて落とすこともないだろう。ちゃんと対策を考えてくれたようで勝手に有り難がっているnagajisである。写真はまたどこかで。
昭和14年に電力管理法。宇治電が所有していた火力発電所はこの時接収された。水力発電所は保持(弥山・川合は日発の出資も受けて建設)。昭和16年の配電統制令で水力発電所も接収、翌年?に解散。従って16年以降に立てられたものということになる。
自分ではない別の人間視点で演じる夢。 場面は夜。 ステレオタイプな中東の町並み。繁華な通りから裏路地へ2、3入ったところにある、盗賊グループ? 不良仲間? のアジトへ向かっている。密集した家並みの中、ちょっと飛び離れていかにもアブなそうな廃アパートがあり、それが俺たちのアジトだ。この建物だけはアメリカかどこかのスラム街にありそうな感じ。しかし廊下を挟んでドアが向かい合っているアパートが普通なのかどうかは知らない。その建物の一階の、入ってすぐ左の部屋に入る。
薄暗く猥雑な雰囲気の部屋の中にはすでに仲間が集まっている。 叩けば埃が舞い散りそうな古ぼけたソファーにどっかりと座り込み、あるいは部屋の片隅にもたれて立ち、しかし一様に渋い顔をしている仲間の顔が、ランプのほの明かりの中にあって微動だにしない。 それに加えて見慣れない女性が一人。鎖でぐるぐる巻きにされたうえで、部屋の真ん中を走っているガス管か何かのパイプに繋がれている。
この女性、これまたステレオタイプな、いかにもどこぞのお城のお姫様(白人?)というような身なりをしている。生足に鎖がちょっとなまめかしく、淫靡な場面を想像しそうになるのだが、どうやらそういう場面ではないらしい。むしろ「高貴な女性をかっさらってきてみたものの、どう取り扱ったらいいかわからず、持て余している」というような雰囲気。
鎖の女性は、長い間立っていたらしく、尻の置き場?に悩んでいる様子。それを見て、特に下心があったりムラムラを感じたからというわけではないのだが、その女性の椅子になってやろうと思い立った。素面の今なんでそんなことを思い付いたのかさっぱりわからないのだが。高貴な客人を立ちんぼにしたら可哀想だろ、というような軽い考え。ちょうど向こうを向いていたのをいいことに、その後ろに背を向けて座って「さあ、座りなよ」とかなんとか言って、肩に座らせた。感触は全く覚えていない。
その状態で話が続けられる。自分がやってくるまで、仲間とこの女性とで「これからどうするか」を相談?していたようだ。どこかへ逃げなければならないのは確かなようだが、その際この女性をどうするかでケンケンガクガクであるらしい。椅子になったまま自分は、連れてったらいいのにと思うものの、鎖が邪魔でそれができないようでもあるし、そもそも鎖巻きにしたのはうちの仲間であるようでもあり、いまいちよくわからなかった。
やがて皆が悩んでいる理由がわかってきた。妙に馴れ馴れしいのだ。この高貴な女性。「お願いだよぅ、連れてっておくれよぅ」。まるでどこぞの娼婦みたいな媚びへつらい方でそう懇願するのだ。その言葉遣いと身なりとがあまりに乖離していて、怪しいというか、白けるというか・・・。
だんだん、自分がこの女性の人間椅子になっている状況が気に入らなくなってくる(自分で申し出たくせに)。なんでおれ、こんなことしているんだろう。
覚えているのはそこまで。その後続きがあったような気もするし、別の話しに変わってしまったような気がする。アジトにゆく前にももう少し何かあったような。だが何とも思い出せない。同じことを現実世界でやったことはもちろんない。アラビアのローマンスにも興味はない。なんでこんな夢を見たのか、全くもって理解不能。
捜し物はなんですか みつけにくいものですか ポータル上も 周囲の藪も 捜したけれどみつからないのに
這いつくばって這いつくばって水抜き穴の裏に漢数字十八を検出。由良側向かって右の壁の入り口から3ばんめ。nagajisはやればできる子。
出たり入ったりの怒涛の6日間。厚かましく使い込んでやった。言いたいことはいろいろあるが、とりあえず今日の発見をひとつ。
湯浅町重伝建地区にある角長醤油の壁。ただの長手積みかと思いきやそんなことはなく、
こういう形の特殊な異形煉瓦が使われている。図で書けば
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的な断面をしていて、これを1個積むだけで一枚積みの煉瓦壁ができあがる。この断面の幅=長手幅=23cmだったはず。煉瓦厚は62mmくらい。面白いことにまったく手成形の肌をしている。
同じものを山田川対岸の字向島の辺りでも見た。割れてたけど。その断片には刻印は見られず。こいつが川口煉瓦の製品だったら面白いのに。
偶然行き当たった湯浅町道路元標。表を彫り窪めたうえで字を刻んでいるのが面白い。こういう形式の道路元標は初めて見た。
隣に熊野古道の道標もあり、立ち止まって見る人が多いのだろうか、向かいの八百屋のおっちゃんが解説をしてくれた。熊野古道道標より元標に興味がいっちゃう人も今まで何人かいたようである。埋もれている部分まで書いて示してあげた人もいたそうだ。
メールやらハガキやらなにやらたまっちょる。怒涛の返信をせねばならんが届くのはたぶん来週。
Before...
_ 異常につまらない“とと” [おぉ、そのカレンダー欲しいぞっ!!]
_ sin [カレンダーを右に、写真を左に配置したような卓上タイプならば、購入を希望します。 発売すると仮定の上でのお話ですが、できれば実現していただけると嬉しいです。]
_ ヨッキれん [ちょっと失礼。 永冨さんにメールが送れませんよー。 メールサーバーチェックしてみてくださいな。]