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2014-12-31 [長年日記]

[独言] 今年も越えてゆく年(伝山頭火)

画像の説明

そばの用意をしなきゃと思った頃、行きつけのスーパーで由布院そばなるものが売られているのを見つけた。とくに知名度があるわけでも田舎を懐かしむわけでもなく買ってみたのだが、そんなに悪くなかったと思う。もうちょっと固く茹でたらもっとよかったんじゃないか。

例によって具だくさん。蕎麦と呼べる代物じゃないかも知れない。拠って来たるところがあるわけじゃない。腹が減っている頃なのでいろいろ入れてしまう。だいいちうちでは温そばを食べなかった。温かい、汁のある蕎麦を食べるのは年越しそばくらいじゃなかっただろうか。あとは夏にざるそばが出たことがあるくらいで、それもごく稀なことだった気がする。理由はわからない。麺類はむしろうどんだった。

そんな感じだから汁の味付けも定石がない。今回はそばについてきたつゆに水と醤油を足した。悪くない味だった。去年は出しじょうゆで適当にやったな。

ふだんエビを食べないくせに海老天を載せてしまったのも「なんとなく」。最後の買い出しに行ったらたまたま売っていた。198円もした。そんなんだったらもっと別のでもよかっただろうにと今更のように思う。かき揚げとかきつねとか、肉そばでもよかっただろうにさ。

普段しないことを何の前触れもなくやってみたり、いつもしていることを急に止めたりしてみると、そんな普段がいかに理由のない、ものだったかがわかる。普段食わない蕎麦をくう。蕎麦にいろいろな野菜を入れてみる。食べない海老を入れてみる。どれもそう悪くはない。悪くないなら普段からやればいいのに。うどんに飽きたら蕎麦でもいいじゃんか。和そばで焼きそば作ってみてもいいじゃないか。瓦そばみたいでうまいかもよ。4玉89円とかの時に買ってきてさあ。でも結局は「普段通り」に戻ってしまうのだ。その普段の根拠のなさを思うでもなく。それに危機感を覚えるほうがどうかしている。普段かあるから非日常が楽しく、発見があるのだ。

今年は鏡餅が買えなかった。毎年買っていた和菓子屋がいつのまにか閉店していたからだ。ていうか3月末にはもう店じまいしてたのな。ふだん利用しない店だから気づかなかった。時代の移り変わりのなかで静かに退場していったその店に自分を重ねる。「まだやってんだ」と思われて通り過ぎられるより、すっかり忘れられたほうがなんぼかすっきりするだろう。


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