nagajisの日不定記。
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自身の思想なり思考なりを、心の襞の奥底まで余す所無く書き尽くすことができたならば、人はものを書くことにこだわったりはしない。書いても書いても書き尽くせない、剰え言葉にしようものなら軽薄に過ぎたり「みたいな」の連続だったりするような、微妙な心理があるからこそ、そしてそれを何とかしてカタチにしてみたいからこそ、人に伝えたいからこそ文を書く。自身では拙いと解り切っている字句麗辞慣用詞を並べ立ててでも書く。
が、悪魔の囁き。そこまでして伝えたいと思うのなぜ? 自らの言い分を認めてほしいから? 自らの存在を知らしめたいから? 1億6000万分の1であることが、そんなに恐いかい?
神の存在よりもむしろ先に、悪魔の居ることを私は確信する。悪人正機の言葉にすがり他力本願を本気で信じる哀れな仏教徒・nagajis。それに気づいてしまう辺りからして未来永劫救われないだろうと思う。知りたいことを知り、書きたいことを書き、生きたいように生きる、でいいじゃないか。もちろん、人のゴキゲンをスパイしつつ嘘臭く生きるのもマタハリだが。
ORJに専念しはじめて、言いたいことをずいぶん書けるようになってきた。絶対的な尺度ではなく初めた当初からの相対的な尺度で。これができるようになったことは無上の感謝。貧しくても、社会的な地位もなくても、こうして書いていられるということに、感謝。そして寝る。