nagajisの日不定記。
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拡大リンクをアーティクルに張り替える作業を中心に。座りっぱなしで腰が痛い。姿勢が悪いのか、骨盤と背骨が垂直になってない感じの痛みがある・・・。ぶう。
縦書き明朝の記事は本文を埋め込みフォントにする。現状と同様。フォントサイズが小さいままだがこれは諦めていただく。でないとnagajisが氏ぬ。
明治隧道@三重県にこっそり追加情報。版下が失われてるものなのでpdf上のみの修正が多い。ついでに新ゴもなくなっているので合わせるのが大変だ。
ずいぶん片付いた。残りは廃道36選のトビラ(バックの説明等書き換え)。バカでかい醍醐林道(版下消失)。愛宕山OFF(アーティクルを写真拡大だけに使う形式へ/そのかわり写真に合判を振る、読み方書き換え)。醍醐が結構問題だが80数ページ/23MBなのでそういうものとして諦めてそのままで行くか。
アーティクルの張り方がずいぶんうまくなった。下に来るべきものを先に貼ること。レイヤーの概念がイラレ等とは正反対で、番号が新しいほう(下にあるほう)が優先される。
深く考えずに独り言的文章を書くと3センテンスにまとまってしまう傾向にある。書くほうも読むほうも楽でいいと思う。しかしそれが連続するととてもまぬけで頭悪く見える。なしか。
A。B。C。(+α)
AとBはたいてい並列関係あるいは因果関係にあるようだ。A而してB。orAまたはB。そうしてCで落としたり明後日のほうへ曲げたりして何か気の利いたことを書いたつもりになっている。というのが見え見えなのだよな。αはそのオチなり意表衝きを重み付けするためだけにあって、決して起承転結にはなっていない。否なり得ない。そうであっては結くんに申し訳が立たない(誰
起承転結序破急を考えて文章を書くことはほとんどない。思うままに書いてあとでぐちゃらぐちゃらと手を入れて文章に仕立て上げている。まとまらない思考をまとまらないまま打ってのちに文章の体裁にしているようなやり方はひどくまどろっこしく不経済だが時おり自分自身思いもよらないワードが出てきて面白くそれが唯一の救いとなっている。要は行き当たりばったりである。よくないことである。
実は3センテンス以上の構造の文章を書けないのではないか。元にかえれば3センテンス程度の思考しかしていないのではないか>nagajis。本気でそう疑っている。長文を書かせると異常に時間がかかるのは実は深く考えていないがゆえにつなぐ思考が出て来なかったり展開が思い付かなかったりしてぐだぐだとクダ巻いているだけであったりするためなのではないのか。nagajisに何かを喋らせるとそれがよくわかる。すぐに話題が尽きて「なるほど」しか言わなくなるからな。
誰に言われた訳でもないがまっくの前に座りっぱなしなのでぶくぶく太ってるなんて思ってもらっちゃ困る。飢えているのだ。疲れているのだ。ブドウ糖をたくさん欲求しているのだ。そのくせなにか書き散らしたくて仕方ないのはなんでだろーか。ORJで頭使うから/使ったからそのぶん娯楽になるような何かを欲しているのか。
書くことが娯楽になるんだったらいいよなあ。いちにちゅじゅうかきほうだいだ。一日中柿砲台。どーん。ぽんぽーん。このアンニュイ感を書き表せたとしても誰の役にも立たないだろうなあ。そう言えば昨年の今ごろも似たような絶望感のなかにあったのではなかったかなあ。ちっとも変わってないよなあ。というか一巡して戻ってきただけなんかなあ。
実際の所ここからが大変。個別版を仕上げたら統合版作成。一度張ったリンクを張り直さなければならない14日〜15日の賽の河原状態を7回もしなければならん。しおりも整理しなきゃ。で、リーフレットデザインつくって、ラベルつくって、おまけ作って考えて。あ、目次も作らなきゃ。今回はページ番号をなくしたから少しは手抜きできるかも知らん。いや、14号まではページ番号制だっけ。面独裁なあ。で、CD内に入れるHTML作って。検証して。そう考えると完成がはるか先、山のあなたの空遠くに思えてしまう。一つずつやってったらいつか終わるだろうがいつまで経ってもそれしかしてない未来しか思い描けず憂鬱だ。その現状を見なければ済むだけの話かも知らぬが。いやいや逆だ、ちゃんとスケジュール切っておけばいいだけの話か。
未来のことをあれこれ言うのは苦手なんだ。言った途端にその言ったことで未来がそっぽを向きそうで。たとえそれがシュレジンガー音頭の猫であったとしても、スカを引かない可能性として、いつまでも自分の掌のなかに握りしめておきたい。