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nagajis不定記。
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2011-12-17 [長年日記]

[独言] あるじゃん

大阪市立図書館に。兵庫県立までいかんでよかったばい。

[] 柳田国男全集15・婚姻の話

一冊200えんで叩き売られていたのを保護。うろ覚えでしか覚えてないから重複しないものを探すのに苦労した。多分これはまだ読んでいない。

柳田国男は性的な話題を意図的に避けたと言われるけれども、決してそんなことはないというのが私の持論で、例えばこの集なんかも性民俗史といってよい編を集めてある。妻求めだとか婚姻の事だとか娘組の話だとか。要するに柳田翁は将来の国民のために残して然るべきと考えたもの、当時の問題点の解決になるだろうことを、翁ならではの優しい言葉で(わかりやすいとか読みやすいとかではなく、愛情の篭った言い換えとでもいうべきもので)残しただけだと思っている。人の耳目を集めるだけの下がかった話(笑話とか艶話とか)を相手にしなかったというだけで、わざわざ集めなくとも当時の世間にはそんな話は掃いて捨てるほどもあったのだ。

感銘を受けた一文を引用。

女性を独立不覇ならしめる為には、職業を与えよ財産を分けてやれというのは、私にはどうもへっぽこな議論のように思える。それで購われるような選択の自由等は、行かずに帰るとか、出て来るとか、又はつまらぬ相手を養うとか、どうせそう有難いもので無いことは、社会が今までにもう数多く経験して居る。楽しい婚姻の為の自由ならば、相手にも選択することを予期しなければならぬ。最も正しい選択をする相手を、選択しようとすれば方法は一つしかない。男女が合作しなければ出来ない事業は多かろうが、主要なるものは次の代を明るくすること、人が生涯を傾けてもなお完成し得ざるものを、死後にたしかに完成してくれると思う人を残すことである。誤謬は勿論訂正してもらわねばならぬが、それをも危ぶまずに任せられる者を、作り上げるということは大切な仕事である。国が総括して次の世代の国民を、育成する趣旨も全く同じだから、もっと大きな合同に委ねたらよいと言えるか知らぬが、人間は決してそう粒揃いでない。めいめいの血に伝わる特徴をもり立てて、互いに相補う必要は多いと共に、親というものに与えられた自然の愛情を、利用しないということはうそである。多くの未完成を歎いて居る民族に於て、是が家族組織の新たに考究せられるべき、一番重要な論点であろう。

これだけ引用しても伝わらないのは承知である。

[奇妙なポテンシャル] #266

画像の説明

神社の脇の雑木林に林檎が落ちていた。仏閣だったらテラシュールだったのだが。残念。

最近のお気に入りは林檎シチューである。一口大に切った林檎をシチューに入れただけだが、フルーティーな香りがステキ。鶏手羽か胸肉と入れるといいようだ。あと、煮立ててから一度火を止め、さましてやると柔らかくなる模様。高温のままだと若干歯ごたえが残る。

[独言] 神子畑岩石園

旧山の神社趾から神子畑小学校の裏手を山肌伝いに歩いて行くと,山手のちょっと高いところ石垣の連なりが見えた.向かって左に切れ目があった.はじめはこの石垣が牛馬道だろうかと思っていて,そこへ取り付くべく切れ目に入っていったのだが,そこにあったのは

画像の説明こんなオブジェのある空間だった.いかにも子供のという拙い筆跡,およびイラストが刻まれた塔.微かに苔が侵食して前時代的雰囲気を醸しつつある.ははあ,小学校の卒業記念だなと直感した.いかにもその通り,向こうに回りこんでみれば,「岩石園 昭和39年卒業制作」と彫られた小さな石碑がある.自然石を不可思議な形に刻んで積み上げた石の塔もあった.この学校の卒業生か,その親でなければ知らないだろうという,小さな小さな史跡である.

コンクリートの塔は一人一個のブロックを刻んだものと考えるのが妥当だろう.そう考えてはみたけれども,数から推測される子供の数は,神子畑のかつての賑わいぶり(の伝聞)に比べてあまりにも少ない.昭和39年頃にはもうその程度になってしまっていたのだろうか.

画像の説明刻まれたイラストは,オバQやバカボンのパパ?のような他愛もないものばかりだが,その中に一つ,時代を象徴するようなものがあった.オリンピックマークとスキーのジャンプを描いたものだ.とっさに「日の丸飛行隊」というワードが頭をよぎり,そうだと信じて帰ってきたが,時代に若干の齟齬がある.札幌オリンピックは1972年(昭和47).その前にメダルを得たのは1956年(昭和31)のコンティナダンペッツォの大回転である.この塔だけ製作年度が違うのかも知れない.根元に「神子畑分校」云々と書かれたプレートが埋もれていたのだが,遠慮して掘り返さないで帰ってきてしまった.

冬は雪に閉ざされる但馬の国である.オリンピック,スキー,という組み合わせに寄せた想いは特別なものがあっただろうと思う.例えば今の私達がなでしこJAPANを応援するのとはもう少し違う切実さ,あるいは「希望」と言い換え得るような身近な期待があったろうと思う.そう思うと何だか切なくなってしまった.深く触れずに帰ってきてしまったのもそのせいだ.

神子畑小学校.昭和47年に新井の山口小学校に併合.そして今日は,検索すれば真っ先に廃墟サイトが引っかかってくるような存在.

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
_ ocoze@三重 (2011-12-18 00:44)

ひもじくても拾い食いするんじゃないよぉ〜。

_ nagajis (2011-12-18 02:17)

失敬なッ!(ムシャムシャ


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