nagajisの日不定記。
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無駄に長いな・・・。
良くない例。そういえば広橋でも畑に入り込んで撮ってたな。何かあってのことだったんだろうか。
こういうのを見るにつけ、いい構図・いい写真に素直な気持ちで向き合えなくなる。違法とかどうとかいうことより、そうでもしなければ見れない構図だということを隠して「さあどうだ!」と見せられている悔しさというか、生の目では捉えることのできない切り取りをいかにも現実感たっぷりで見せつけられる詐偽感というか。上の梅だってズームで切り取ったマクロな現実であり目でこのように見れるわけではない。写真はいつも卑怯である。
寝屋川に架かるこの橋.この辺でよく見られる戦後架設の合成桁のようなシェイプをしているが…
よく見たらリベットが使われていて「?」と思った.高欄形状も古臭い凝りがあった.リベットのPGでこの薄さっていうのは(仮令それが戦後架設であっても)グッとくるものがある.あの形式の魁だろうか? そう思って何枚か写真を撮っておいた.
いま調べてみたら,「新」のつかない鴫野橋は1931年架設という.ということは昭和6年製ということになる.意外.盲点.こんなところにこんな時期のこんな橋があろうとは.実は構造も特殊なものがあるのかも知れない.
鴫野は都計の対象外.ただしその北の蒲生橋は第三次都計事業対象になっていた.鴫野橋があったから蒲生橋が対象になったのだろう(都計事業以外で一切架けられなかったわけではない.腐朽したとか急遽必要になったとかいう橋は都計事業とは関係なしに架け替えられている).寝屋川改修もあるにはあるが,あれって河口周辺の一部分だけだったはず.鴫野橋はJR京橋駅よりも東にある.
その上流にある新喜多橋.新しい喜多橋,ではなくて「しぎたばし」という.かまぼこを超扁平にしたようなorガントリークレーン梁のようなシルエットの合成桁で,寝屋川平野川にはこの形式の橋ばかり架かっている.無問題児で無個性で,そこにあることすら忘れられてしまうような橋よりは,鴫野橋のような「!」がある橋のほうがいい.他所者的にはね.
昨日散歩をしている時に咲き始めの桜の枝がひとつ落ちていたのを拾ってきた.一輪挿しに挿しておいたら順調に満開になり,部屋の中でささやかな花見ができている.桜の生命力はすごいと思う.
親桜は今日の雨で散ってしまったかも知れない.それでもいいかなと思う.今年も弁当を拡げて酒を飲んでという嘘花見とは無縁でいられる.約束を破ることなくちゃんと咲いてくれる桜を見ることができればそれでいい.
前日の記事の写真の続きですが,千歳橋というのは接続部の道路からの連続するラインといい非常に美しいですねぇ。色もいい。実にいい絵です。こんな私は変態でしょうかw?<br><br>どこにあっても邪魔ものの電柱が入ってしまっていますが(私は山間の高圧鉄塔は好きですが,街の電柱と電線が嫌いですw),壁の絵も子供の姿もいいですね。今度大阪に行ったら10mmの超広角でぐぐっと撮ってみたいもんです。
千歳橋は埋立地のはしっこをつないで架かっているので、いろんな角度から撮れていいですね。頑張れば電信柱なしの構図も行けるはずです。
>写真はいつも卑怯<br><br>裏返せば感性が入り込める隙があるがゆえに芸術にもなれるのでしょうねぇ...<br><br>一方で,旅行ガイドなどで巧みに撮られた風景写真と実風景とのギャップに落胆する人も多いのでしょう。それはそれでいいのだと思いますし,生の目とて必ずしも真実を観ている訳ではないのですから,それらのことをわかっていればどの手段でものを観てもいいんでしょうね,きっと。