nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
たった2,3の物事を抱えただけで追われている気分になっている.いくないことだしょっぱいことだ.
生野牛馬道の件,ダメモトで尋ねた先で意外な回答を得た.そしてその本は目を通したはずなのだが見落としている.やはり「まとめ」に頼るのはよくない,例え先達の成果だとしても.要するに餅は餅屋,植木等はお呼びでなく田島治身は橋の小天才なのだった(意味不明
「各種橋梁の発達並に戦時下の橋梁」はよくまとまった内容だがジャストな答えでなかった.ただ宮原線のコンクリートアーチ(菅追橋)が無筋だと断言されているのを発見.竹筋ではない.繰り返すが竹筋ではない.いつのまにか全部竹筋ということになっていて鼻タレタので明記しておく.竹筋ではない.著者の畑中健三は鉄道寄りの人だったらしく,どちらかというと鉄道橋梁の記述のほうが詳細で日向線綱の瀬橋が別項立てで書かれている.そんな人がそう言っているんだから間違いないだろう.
竹筋に関しては別項が立ててあって,宮城,富山,滋賀で1〜4mほどのスラブで架けた例があること,愛知(大正橋),滋賀で橋脚井筒に採用されたことが書かれてある.滋賀のは河村協の教科書にもある大山橋のはず(それとあと一橋).それ以外の架設例は載っていない.本の出版はS18である.
竹の引っ張り強度は鉄の約半分.弾性係数はコンクリートとほぼ同じ.引っ張りに対する抗力を高めるために鉄筋が使われるのであって,その代用として竹を使うには不安があった.だからせいぜい短い板橋か,橋脚井筒の補強とか,黒門橋みたいな橋欄干だとかに使われた程度だろう(あとプールの底から出てきた例があったな).アーチは引張力がほとんどかからない(はず)ので無筋で良い.事実五新線のアーチからは竹は出て来なかった.
それよりも一緒に求めた「関西の土木100年」のほうが参考になった.都計橋梁をゆくでやってみたかったことが既に書かれてある.自分が考えていたことも間違ってはいなかったようだ.ただ橋梁種を分析するのには時代を考慮する必要があるんじゃないか.もっと言えば堀が活躍し始めた頃から変化しているのではないか.みたいなところの答えは得られず.
その後吹田の中央図書館へ行って社誌とにらめっこる.5年分見るのにこれだけかかったということは全部目を通そうと思ったら過与位詰めしなければならないということだ.次回は自転車で行こう・・・.あと北村科学研究所も調べてこないと.
元はと言えばTRDB修正から始まったのだ.県議会史を読み解いてあれこれ引っ張ってきてようやく昭和初期に至ったところでref.の返事がかかってきた.それで昨日本届いたよの連絡を受けていたことを思い出したのだった.そうだ図書館行こうと思い立ち,出るなら吹田でゲッツしておこうと思い,風呂に入ったところで奈良県からも電話がきた.何かが襲いかかってくる時はかくも集中的なのだ.そうして何も起こらない時は何も起こらない.まるで時間と世界が固着してしまったかのように.傍から影からプギャーAA略するために皆で口裏合わせをして自分を無視して無き者扱いしているかのように.
そうして明日はKINIAS総会.明後日もしなければならないことがあり月曜日はまた奈良県庁だ.またTUKA氏に叱られる.くそっ,議会図書館申し込むの忘れた.