nagajisの日不定記。
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世にも不思議な「橿原道路元標」。そのレゾンデトオルを伝承し、不思議を不思議で無くする役目を負った。
基本的に里程元標の位置を踏襲。設置に際して里程元標調査をし、それをもと一旦ここに置くよと通知、その後郡と町村の言い分を聞いて設置場所を決定した。それに対する反論も受け付けた。そうして大正11年度に36カ村、12年度に30カ村を設置。そのすべてが角丸四角柱なのはそのためだ、だから辰市村は丸頭なのだ、と思ったのだが11年度に設置なら丸頭にしろよ>奈良縣。
元標はほんとに道路の際に置かれた。四ツ辻の角とか。だから車が巻き込んで折ったり拡幅で失われたりした。実際に設置するにあたって現場判断で場所をずらした場合もあるらしい(その訂正願いも出されている)。そうして都跡村ほかは昭和17年に廃止が告示されている。なので存在しないはず。
参陵道に関してはそれほど面白い発見がなかった。県道指定が残っているいくつかは意味があるかも知れないが。
かわりに中橋とかS4ポンプ車とか機雷とかをゲットした。T12竣工のRC桁橋!(多分。『復命書』漁れ)