nagajisの日不定記。
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なんだか胃の調子が悪い。間欠泉のごとくに思い出したようにムグッと来る。そのせいで食欲も沸かない。うんこして直すしかないのか。
この気持ち悪さは胃ではないのかも知れぬ。大腸がぐりゅぐりゅ鳴ったら少しはマシになった気がする。
自分だけに通用する特異な自照を得意気に語る、いわゆる「俺って異端?( フフッ」な発言は嫌われる。それがよくわかっているからよく使うのである。普通であることがどんなに幸せで大変なことかわかってないだろ、なあnagajis。
しかし胃腸炎だとわかったところで飲む薬もないしなあ。葛根湯でも飲んでおくか。
似たようなアレで「世の中についていけない」という愚痴がある。「ブームが嫌い」とか。振り返ってみると、生まれてこのかた乗ったビックウェーブといえばファミコンとネットくらいじゃないだろうか。服装も趣味もマンガも2chも携帯も、剰え社会通念道徳観さえ無関心で通してきた。そういう人間が社会に対して物申すなどちゃんちゃら可笑しいではないか。新しいmovementなんて起こせるわけがないし、仮にそうなったとして、さてそこからどうしようというのか。お山の大将にでもなってみるかい?>nagajis
そうわかっているから、社会の最低辺の隅っこで誰にも理解されない言語でガアガアがなっているだけの現況が、自分には相応しいと思う。そうして誰にも相手にされないまま、綺羅星の燃え残りカスから主星の元素構成を導出したり、祭りの跡に漂う香の薫とか踏み潰されたスイカの皮の数を書き留めて賑わいぶりを想像するような役回りが似合っている。粗大ゴミの日に捨てられたガラクタを拾い集めて再構築して使える何かを作ってみるほうが楽しい。例えそれが自分にしか通用しない面白さであってもだ。
うーむ。発行直前はやめてぇと言いたいところだが、天川村は外せないのだよな。しかも1日で終わるわけがないという。このタイミングで参加募集・泊まり込み調査をするつもりだったのだが、果たしてどうなるか。果たしてどうするか。
つか13日は木曜日じゃん。絡めるの不可能じゃん。といま気づいた。
多分iOSも同様。画像やwebを見ながらその内容をメモすることができない。ビューア・ブラウザとエディタもしくはメモアプリが同じ画面に出せたらどれだけ捗ることか。仕組み的に不可能なんだろうけど。。。
奈良県立図書情報館蔵公文書「架空鉄索道台帳」(http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100289410&tocid=0&page=4&pageseq=4)より。
名称
- 洞川電気索道株式会社
- 願人住所・氏名
- 奈良県下市町 発起人 永田藤兵衛外廿四名
- (現)洞川電気索道株式会社 社長 永田藤兵衛
- 起終点及経過地
- 本 起点 吉野郡天川村大字洞川 終点 吉野郡下市町大字下市
- (廃止)支線 起点 現道停車場 黒滝村笠木駅 終点 吉野郡宗桧村大字西日裏
- 延長線 起点 現道終点 下市町ヨリ 終点 吉野鉄道下市口駅迄
- 経過地 天川村中越、川合、宗桧村勢井、黒滝村笠木、桂原、丹生、長瀬、秋野村□□,□,下市町善城
- 出願年月日
- 本 大正元年十月四日
- 支 大正五年六月十二日
- 延 大正六年三月二十九日
- 資本金
- 弐拾壱万五千円
- (現)弐拾五万円
- 事業目的
- 一般貨物運搬
- 原動力
- 電気
- 延長
- 本 十二哩十三鎖
- 延 七千七百七尺
- 支 二哩八二
- 幅員
- 一分間速力三〇〇尺(本延)一分間二〇〇尺(支)
- □□索條 四分ノ三吋(本延) 二吋八分ノ三(支)
- 許可又は処分年月日
- (本)大正元年十二月二十一日許可
- (支)大正五年七月二十八日許可
- (延)大正六年四月十三日許可
- 備考
- 本 大正三年一月二十五日 工事着手
- 〃 四年二月十一日 検査申請
- 〃 四年二月十一日 全線竣成
- 〃 四年二月十二日 事業開始
- 支 大正五年十月一日 工事着手
- 〃 六年二月十八日 検査申請
- 〃 〃 三月二十日 竣成
- 〃 〃 三月二十二日 開始
- 延 大正六年七月三日 工事着手
- 〃 〃 十一月二十八日 検査申請
- 〃 〃 十二月二十二日 竣成
- 〃 〃 〃 開始許可
- 会社存(立期限?) 三十ヶ年
- 大正元年十月四日
- 架空鉄索道□□(申請?)書提出
- 大正元年十二月十九日
- 発起人追加
- 大正元年十二月二十一日
- 索道架設許可
- 大正弐年一月八日
- 会社成立届出
- 大正弐年四月五日
- 工事着手延期願書提出
- 大正弐年六月十八日
- 索道工事着手認可
- 大正弐年十二月二十七日
- 工事着手認可
- 大正三年十一月十四日
- 認可申請書一部変更許可申請
- 大正四年二月十一日
- 検査申請
- 大正四年二月十二日
- 完成、事業開始
- 支 大正五年六月十二日
- 索道支線架設出願
- 大正五年七月二十八日
- 許可
- 大正六年二月十八日
- 竣成検査申請
- 大正六年三月二十二日
- 事業開始許可
- 延 大正六年三月二十九日
- 延長線架設出願
- 大正四年四月十七日
- 工事認可申請
- 大正四年六月十六日
- 認可
- 大正六年七月五日
- 工事着手
- 大正六年十一月二十八日
- 検査申請
- 大正六年十二月二十一日
- 許可
- 大正八年二月五日
- 軌道敷設出願 起点 吉野郡天川村川合、宗桧村、黒滝村、秋野村ヲ経テ下市町ニ至ル
- 大正八年七月十二日
- 申請書通達
- 大正八年十一月二十一日
- 支線(川股線)廃止
※軌道は大正十年に認可が降りたが一度失効し再提出された。下市〜洞川間は大峯登山電気鉄道と共願になり、同社が成立すれば峯鉄が電索を買収したうえで軌道敷設する計画だった?(天川村史p.283、公文書『大峯電気鉄道一件』を要確認。電索の再申請が通ればそこから買い取る計画だったか。しかし免許が不許可となったため立ち消え)。天川丹生街道の全通は大正3年。索道の優位性は当初から揺らいでいて、早くから軌道への転換を狙っていたようだ。
※虻峠の開通は昭和6年。昭和9年に撤去。
※支線は川股鉱山への連絡線。工事申請は延長線のほうが早いが、それよりも先に川股線のほうが開通している。
吉野郡史料も参照のこと。永田藤兵衛は吉野銀行頭取。
※1/4t積みの玉村式単線索道(玉村工務所架設)。次いで坂下索道(尾鷲索道)、北山索道。
それ胃腸炎です。
nagajisがそんな人並みな病気なわけないじゃないですかやだー。
人並みではなく、氏や自分みたいに、どう見ても悪くなっているだろう食品を平気で食べると、ぶっ込んでくるんですよ>胃腸炎。