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2013-01-03 [長年日記]

[近代デジタルライブラリー][] 指定府県道と郡道

指定府県道、県道について稍参考になる一文を発見。愛知県の事例。「 愛知県史. 第4巻」 第五章・土木と交通/第四節・道路より。

(第二項 県道)

 右の如き認定標準に基いて編入された県道の中にも交通上の価値に於いてかなりの差異があり、又郡道の県道編入により一層その懸隔が大となり、監督の寛厳を要することとなったので、大正九年三月内務省令第六号道路法第五二条但書の規程が公布され、指定府県道の制が採られるに至った。その標準は(一)府県庁所在地より隣接府県庁所在地に達するもの、(二)府県内指定枢要地(市又は二千以上集団戸数を有する地区)よりこれと密接の関係を有する指定枢要地・指定港湾(大正十一年内務省訓令第六号第二条に規定するもの)又は枢要な停車場に達するもの、(四)国道又は以上の各号の一に該当する府県道より分岐し、数個の枢要地を連結する重要な幹線にして、指定枢要地・指定港湾又は枢要な鉄道停車場に達するものの四項である。かくて同十五年九月内務省訓令第八三二号により一号即ち名古屋市より岐阜県土岐郡多治見町に達する道路経過地を初めとして、全二十一号に亘る県道が指定されている。( p.972)

ありゃ、これは一般論的な話だったな。いまいち。

第三項 郡市町村道

 郡道・市道・町村道と明確に区別せられたのは、大正八年公布の道路法に於てであり、それ迄は総称して里道と言っていたのである。明治三十四年八月に至り、訓令第三七号道路築造規程を発布し、市町村に於いて道路新築又は改築の許可を申請せんとするときは、実測平面図(三千分の一)、実測縦断図(高さ二百分の一、横三千分の一)、隧道図(二十五分の一乃至二十分の一、工事設計書・計画書及び構造説明書を添附すべき事を通達している。続いて同三十七年二月訓令第七号により郡町村に於いて車道の目的を以て道路を新築改築せんとする時は、その路面の幅員(側溝等を除く)は郡費負担の道路に在っては九尺以上、町村費負担の道路に於いては七尺以上とすべき事を定めている。然し町村制及び郡制の実施により従来地方税規則中に単に区町村費とのみあって郡費の記載なく、従って郡費支弁にかかる道路を如何にすべきかの疑義を生じた結果、同四十五年二月土木・地方両局長は知事の指定により町村費より郡費に移す事の差支えない事を回答している。それにも拘わらず、その後も各府県に於ける郡費支弁里道指定に関して取扱方法に区々なるものがあったのに鑑み、大正七年二月内務省発土第一一号を以て重ねて右の趣旨を各府県に通達した。而もその際国道・仮定県道に属しない郡役所所在地より隣接郡市役所所在地、管轄内町村役場所在地、管轄内枢要の地区・港津・鉄道停車場に達する路線、郡内枢要の地区・港津及び鉄道停車場よりこれと密接の関係を有する枢要の地区・港津及び鉄道停車場に達する路線及び数町村を連絡する幹線にして、その沿線と密接の関係ある枢要の築・港津・鉄道停車場に達する路線に就いて調査すべき事を附言している。かくて本県も同年五月に土第一〇一九号を以て郡費支弁の道路を指定せんとする時は右の標準により調査し、地形図及び路線調書を具して県の認可を求むべき事を通牒した。(p.975-976)

ここでいう訓令は愛知県訓令であるらしく、独自の規定(道路築造規程)で郡費弁里道が制度化されたということらしい。それが内務省の追認を受けたのが明治45年と。んで大正7に再度文書化。

田中好の library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/12-01-0205.pdfも参照のこと。明治32年郡制が始まり法人としての郡が道路を運営することが許された結果、郡費支弁里道と府県費支弁里道が併存することになったとある。が、府県が郡を管轄するという関係上、府県が郡道の制度なり規格なりを定めておかないといけなくて、それをやったところとそうでないところがあるらしく見える。


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