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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2007-01-03 無題 この日を編集

「日本の廃道」バックナンバーCDをお送りします

日本の廃道 編集部
代表 nagajis(永冨 謙)

 拝啓

 新春の候、皆様におかれましてはますますご清栄のことお慶び申し上げます。

 さて、この度は「日本の廃道」バックナンバーCDをご注文いただき、ええと、誠に有難く、心よりお礼申し上げます。こんな感じかな。創刊から約1年間の奇跡、もとい軌跡をさらに手直しして、うるさいなあ、手が滑ったんじゃじゃないか黙って見てなさい、ええと、手直しして収録した編集部の自信作であります。手直しっていうのはちょっとアレだな。加筆修正のうえ再収録した決定版、うん、web上で発行する度に訂正を続けてきたORJの「底本」とも言うべきスーパーウルトラグレートマキシムストロングな1枚なのであります。はははノってきたノってきた。うるさいな。いいんだってば、これくらい賑やかじゃないと祭りっぽさが出ないだろ。このCDが貴家の家宝になりましたならば編集部一同にとってこの上無き喜びに存じ奉ります。と。うん、我ながら名文だガハハハハ。

 さて、代金のことを書かなきゃいけねえんだよなあ。苦手なんだよなあこういう催促ものって。自分ができてないこと、他人に要求するんだからなあ。つきましては、ええとつきましては同封の振込み用紙にて代金をお支払いいただきたく。えっ、金額書かれてないっておい本当かよ。言ったじゃないかちゃんと\500-って印刷してもらえって。このウスラトンチキめ。ええい全く、話がややこしくなるじゃないか。お支払いいただきたく存じますが、少々故障が生じまして、振込み金額の欄が空白のままとなっております。受付が印刷してもらい損ねたって書かないだけありがたく思えよ。大変お手数ではありますが、貴下お手づから金額をご記入いただき、振込んで……。振込んでいただきますよう。……。お願い申し上げます。定価は1枚につき送料税込み500円となって。…………。なっておりますがしかし、それ以上の金額を振込んで下さっても結構でございま。うるさい。お前がしくじったからだ。少しくらい余計に貰ったっていいじゃないか。上乗せしていただいた額は編集作業に係る雑費はもちろんのこと、各地の廃道調査探索費用に充てられ。うるさい。うるさいな。遊ぶための金じゃねえんだ。いや本当だってば。その目は疑ってるだろ。こっちだって3人/月*1年以上の人手がかかってるんだから。お前?お前なんぞハナから勘定に入れてないわ。わわわ止せってわかったから。やめる、やめるから、ナタは止せ。1枚につき送料税込500円となっております。同封の振込用紙にてお振り込みください。……ったく何でおれが受付ごときに左右されなきゃ。いや何も言ってない、言ってません。言ってませんったら。

 ……振替口座の番号も書いとくか。おれみたいに用紙無くしちゃったって言い出すやつもいるだろうしな。

口座名:「日本の廃道」編集委員会。いつ見ても締まりのねえ名前だなあおい。
口座番号:はおお廃道な埴輪ハロー♪と。00810-7-82086。いけねえ廃道じゃなかった旧道だ、00910-7-82086。ったく紛らわしい番号呉れやがってチキショウ。絶対8のほうがいいよな。お前もそう思うよな。何だその鼻で笑いは。ケッ、覚えてろよ。旧道の埴輪がハローだからな。廃道だと草で背丈が隠れてしまうだろうからな。

 もしくは、郵便貯金にも当編集部の口座がございます。番号は。おい受付、口座番号何番だっけ。14100-61842201。1だな。7じゃないな。14100-61842201でございます。ネットバンクをお使いの方は振込手数料が無料ですので。明日からお前の口座は編集部のもんだからな。ヤフオクなんかに使うなよ。言ったじゃないかこの間。こちらをご利用くださいませ。それよりこっちの覚え方考えたのかよ。え。イシイのハンバーグ2個。何だよハンバーグって。0のことか。そんな覚え方があるかコンチキショウ。じゃあ下は何か、森の巨人が「大きくなれよ」か。お前なんか128cmで結構だ。ハンバーグどころか晩飯全部抜きだからな。

 ふう。あとは締めくくりの一言を書けば。今後とも「日本の廃道」に一層のご支援、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。但し受付のことは無視して下さって結構です。と。はははざまあみろうぉい何をするうわやめrqあwせdrftgyふじこ

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ 家猫 [ファ!ファ!ファ!…… 「山行が」から覗いたら、こっちでも楽しませてくれちゃって、ナンチャッテ! 昨日、送金しました。]

_ 44 [やった!オーダしました。ごゆるりと。 楽しみにしてます。 500円からでお願いね...でいいのでは。 >ナタは止せ。 これが切れないんだ、イタイの何のって...(しみじみとシュールだなあ) ちな..]

_ 家猫 [山中で職質するような熱心な警察官が居るのなら、 日本の将来も安心です(鈴はお忘れなく)]


2009-01-03 大山崎山荘 この日を編集

[] 大山崎山荘“S洞”

画像の説明昨年暮れにその存在を知った、nagajis内通称“S洞”へ行ってきた。こいつはレアだぜ! というのが写真でわかっていただけるだろうか。言うまでもなくTRDB直行物件である。

本名を琅〓洞(ろうかんどう)という。大山崎山荘の入口の門を兼ねた隧道で、昭和初期竣工(登録有形文化財)。建造物と隧道の境界線上にあるが無理矢理隧道ということにしておこう。地味にいろいろな細工がされていて見飽きることがなかった。

そうして大山崎山荘美術館へは行かなかったという暴挙。


画像の説明やっぱり独自拡張文字は表示されん罠。上の「カン」が消えてしまったのでゲタにしといた。なおNagazillaで見るとこうなっている。故にS洞。

[独言] どうでもいい写真

画像の説明途中で見かけた看板の「車」の文字。活版印刷の活字かと思った。

※初期の活版印刷の活字はインクが乗り過ぎて汚れるのを防ぐためにこのような切り込みを入れていた(そうだ)。

[独言] project UTSUBO#2

昨日作ったものは全く役立たず。設計からやり直さなければならない。そのうえ袋にカラビナ風スナップ×2をつける策を思い付き、やってみたところ90点の出来という。旧ヒップバッグが泣いてるぜ。

[廃道巡] 企画案2up

とりあえずpdf化してみる。これはまだORJ行きにはならない。あくまでもTさんのネタ選択のときの参考として。

親玉のほうがまだできてないんだ・・・一点集中か駆け足で巡るか、今だに悩んでいる。早く片付けないとヨッキ氏TUKA氏が怒るにちまいない。明日が勝負。

[独言] どくげん

ピエロが真顔になったら負けなのよ>nagajis


2010-01-03 この日を編集

[廃道本] 1up

写真取り込みはまたあとで。図まで入らないかもな

[廃道本] 0.3up0.8up

詰まっている。勢いで書き始めてしまったのがいけない。後回しにするか・・・

とかいいつつちょこちょこ書いてたらできつつある。あとは〆付近と熟成。

[独言] 毒言

転送量80GB超とかどんだけ。そりゃ落ちるわ。自分で営業妨害するな>nagajis

[奇妙なポテンシャル] #142

画像の説明よくありがちなイラストではあるがじっくり考えてみるとおかしい。これでは子供の内面の投射が痴漢ということにならないか。

[廃道本] 3つ目がすすまん

もう頭が飽和してきたぞ。いかんぞ。気分転換しにいくぞ。

[独言] げほごほ

慣例に従ってハイミナールとかデキセドリンとか欲しくなる。飲んだことはないが。

[廃道本] 1up

ピロリロリロン。何とか形になった。Tさんに補足情報いただけるといいが、どうだろう。

本日のツッコミ(全6件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ 渡辺(仮) [もう4日経ちますが・あけましておめでとうございますぅっ、まさに「昔の名前で出ています」とはこのことですな>ORJ BEST#1 結局時化続きで写真が撮れない、、TT]

_ nagajis [そうでしたね・・・まあ、圭子の鼻は夜開くということで(何(違]

_ nagajis [ふと思いついて追記。灰になーる、というのもありかも知れません>こけさん]


2011-01-03 この日を編集

[D] 初夢

第一幕。事故か何かで落してしまった自分の指を食べてしまう。骨がなくフランクフルトソーセージほども太さがあったような気がするが指だという意識がある。断じてあれではない。生ではなかったな。蒸し焼きか何かで調理してあった。豚肉の脂っぽさを抜いたような味でやや塩気があった。ロングサラミを茹でて脂分を抜いたような感じか。うまくはないが食わないと勿体無いし、これは自分のだ、食わねば飢えて死ぬと思って我慢して食べた。

第二幕。旅先でラジオ番組の公開収録らしいのに参加している。観客席の後ろのほうに座っている。前の席の老夫婦がクイズに回答したか何かで饅頭のようなものをゲットする。後ろにいた自分にもおすそわけして下さった。赤福を白あんで作って蒸し固めたような姿形、および味(実際に蒸すと固まるかは知らない)。それがきっかけで老夫婦と仲良くなる。

収録が終わり、客が引け、ステージが撤去されるとそこは隧道前だった。戦後の2車線隧道をコンクリートで密閉したような姿。左車線側に1車線分の開口部(扉付き)があって「坑内左側通行」と書かれた看板が掲げてある。トンネル工事が進められているのかも知れない。しかし窓から覗き込むとすぐ向こうで道路が交差していた。道路はトタン屋根で覆われていて明るい。どうもこの坑門工だけが残っていて、奥にある工場の通用門がわりに使われているような感じだ。こっちから見ると地山があって、そんなふうには見えないのだが。

老夫婦は自動車で車中泊しながら旅をしていて、今日はここで泊まろうと思うが一緒にどうか、という話になる。隧道前の広場は広い。車を転回させたら数台は停められるだろうから、それもいいだろうと思う。ここで急に自分も車があることになっている。あ、おれ、車運転できないんだけど。どうやって回したらいいんだろう。

そのほかにもガタイのいい先生にいびられるシーンがあったような気がする。それが第一幕に繋がったんだったか。

[独言] リハビリ

画像の説明松葉杖を一本だけ携えて服部天神まで歩いてみた。9割方は杖なしで歩いたが、やはりまだ早すぎたようだ。足首が若干痺れている。右側面の筋がビリビリだ。

歩き方を忘れている。ふくらはぎの筋肉が落ちているのと、親指に力をかけられないことが効いて、膝がカクカクする。今までずっと左足でバランスを取っていたのもあるかも知れない。風呂上りに片足立ちで全身を拭けるくらいに器用になったが、それと歩くときの体重移動は些かの関係もないだろう。

左足のつま先に右足の踵を継ぐような小さな歩幅でひょこりひょこりと歩いていくといいようだ、ということはすぐにわかったのだが、そのうちもどかしくなって大股になる。そうするとひょこ、ひょこという感じになる。重心が左右にぶれてますます負荷が痛い。ともかくゆっくり歩くことだ。あと、周りを見て歩くほうが痛みを忘れられる。いつのまにかふつうのタイミングで歩けている。けれどもそのうち痛みがひどくなって、足元に目を落してでしか歩けなくなる。

[奇妙なポテンシャル] #211

画像の説明以前よりゆっくり歩いているせいか、いろんなことに気づく。かつ歯科があって葛飾かと思ったり、こんな張り紙がしてあったり。洒落だろうか。「貴女」もカンで始まる読みがあるのかも知れない。

なぜ女性対象?とも思ったが、建物の表に回って納得した。女性向けのブティックだったのだ。

しかし待てよ。ブティック横の自販機のゴミ箱に対する張り紙だからといって女性限定である必要はないよな。ふつうに道路に面してるんだし。と今また思い直している。

追記:理解し間違えていた。三つの独立した文ではなく、「カン以外捨てない貴女」を監視しているのか。これはなかなか高いポテンシャルがある。ペットボトルとか家庭ごみを捨てれば監視されないのか。社会の目が見ています、安全運転ありがとうの類の意味で「監視」かも知れぬ。いずれにしても私は何をしたらいいのかわからない。

[独言] リハビリ続き

休み休み歩いて約1時間で神社に着いた(はず。時間はあまり見てない)。1日に来てもうお礼参りかと思わないでもないが、行きたい場所がここしか思い浮かばなかったのだから仕方ない。感謝をして、もう少し良くなりますようにと願ってきた。

帰りはさすがにきつかったので電車で帰ることにした。社殿の脇を通って裏手から出た。社殿の隣に絵馬掛け場がある。さすがに足関係が多かった。「歩けるようにしてください」という悲痛な叫びのようなのもある。それに比べたらまだ幸せなほうなのかも知れない。良くなりますように>絵馬の方

画像の説明服部駅。上り線のホームに楠が生えていることで有名。これも確か足の神様だったように思う。阪急が開業した時から伐らずに残してあるもののはず。

[] 路線認定、区域の決定及び供用開始等の取扱について(昭和29年11月17日道路局長通達)

http://www.pref.mie.jp/PDF2/KENKOHO/S29/T-S291216-07648.pdf

起こしたものの使わないかも知れない・・・

4 二以上の都道府県の区域にわたる都道府県道の路線の認定、変更又は廃止について

 路線認定の意義にかんがみ、道路が一本ならば路線もまた一本であって、二以上の都道府県の区域にわたる都道府県道の路線を認定する際、各都道府県知事がその統轄する都道府県の区域内の部分について認定した路線は、別々の路線と考えることはできず、知事は一つの路線の一部(各県内の部分)を認定するものと解すべきである。(中略)  この場合注意すべきは、このような路線の一部認定は、路線認定のために必要な行為の一部に過ぎず、直ちに路線認定の効力を生じないことである。例えば、AB両県にわたる道路については、A県知事がA県の区域内について道路の部分を認定しても、その部分の道路が都道府県道となることはできず、B県においても路線の部分の認定があって、はじめて路線が認定されたことになり、都道府県道が成立し得るわけである。従つて、二以上の都道府県にわたる都道府県道の路線認定に当たつては、関係知事において打合せの上、認定期日を一致させるよう措置すべきである。(後略)」

本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ nagajis [今年もよろしくお願いします。階段の昇り降りはまだ不安なんです・・・。 上下は無視して、前か後ろだけ見て行くことにします<変わらない]

_ The Kate [あけましておめでとうございます。 あまりご無理をなさらぬよう、じっくりゆっくりご養生ください。]

_ nagajis [今年もよろしくお願いします。。。 そうですね・・・昨日はちょっと無理をしすぎました。]


2012-01-03 この日を編集

[戦前特許] 第78類,第79類

http://core.the-orj.org/cgi-bin/oldpatentwiki/wiki.cgi?page=FrontPage

うむ.こうすると処理したのとしてないのと区別つかんな.テンプレから新ページ起こすほうがいいんかもしれん(そうするとリンクが生成されて区別できる).

暇にあかせて第86類・構築一般もやってみる.特許の範囲は結局明細のベタ打になってしまう.咀嚼して書いても変わらん気がするし.

凡例を読んで,特許明細(T/Sのsuffixがつかないもの)と特許公報(suffixがつくもの)とが対になっていることや,罫線に意味があることを知った.そりゃそういうのが必要だよな.最初によんどけと.しかしIPDLで検索すると特許公報しか蓄積されてなくてどちらの番号でも同じものが出てくるようになっているようだ.

[独言] 石鹸臭紛々

昨年暮れから石鹸の香りの芳香剤を置いている.悪くない香りで,出かけて帰ってくるとその効果の程に驚くのだが,部屋に籠りきりだときつく感じられて鼻がゴソゴソになってしまう.我儘である.

いろいろしなきゃいかんことが溜まってきたな.[げ]とか名刺とか報告書とか献本第二弾とか.周辺の面倒くさいところを少しずつ片付けてはいるが本体工まで届かない.明日からがっつり片付ける.片付けるったら片付ける.

[ToDo] 大阪市立大学

最寄りの図書館の紹介状が必要.めんどうだ.日本道路技術協會

[橋梁] 田島治身

という名前に反応してググったら城峰橋の設計者だつた.橋の小天才! nagajis脳は案外劣化してないらしくて驚いた.しかし「鉄筋コンクリート無斜材トラス」ってどういうこっちゃねん.

[独言] うむ

なんかやりたいことがワキワキ湧いてきたぞ.でも寝たら忘れそうだ.


2013-01-03 この日を編集

[近代デジタルライブラリー][] 指定府県道と郡道

指定府県道、県道について稍参考になる一文を発見。愛知県の事例。「 愛知県史. 第4巻」 第五章・土木と交通/第四節・道路より。

(第二項 県道)

 右の如き認定標準に基いて編入された県道の中にも交通上の価値に於いてかなりの差異があり、又郡道の県道編入により一層その懸隔が大となり、監督の寛厳を要することとなったので、大正九年三月内務省令第六号道路法第五二条但書の規程が公布され、指定府県道の制が採られるに至った。その標準は(一)府県庁所在地より隣接府県庁所在地に達するもの、(二)府県内指定枢要地(市又は二千以上集団戸数を有する地区)よりこれと密接の関係を有する指定枢要地・指定港湾(大正十一年内務省訓令第六号第二条に規定するもの)又は枢要な停車場に達するもの、(四)国道又は以上の各号の一に該当する府県道より分岐し、数個の枢要地を連結する重要な幹線にして、指定枢要地・指定港湾又は枢要な鉄道停車場に達するものの四項である。かくて同十五年九月内務省訓令第八三二号により一号即ち名古屋市より岐阜県土岐郡多治見町に達する道路経過地を初めとして、全二十一号に亘る県道が指定されている。( p.972)

ありゃ、これは一般論的な話だったな。いまいち。

第三項 郡市町村道

 郡道・市道・町村道と明確に区別せられたのは、大正八年公布の道路法に於てであり、それ迄は総称して里道と言っていたのである。明治三十四年八月に至り、訓令第三七号道路築造規程を発布し、市町村に於いて道路新築又は改築の許可を申請せんとするときは、実測平面図(三千分の一)、実測縦断図(高さ二百分の一、横三千分の一)、隧道図(二十五分の一乃至二十分の一、工事設計書・計画書及び構造説明書を添附すべき事を通達している。続いて同三十七年二月訓令第七号により郡町村に於いて車道の目的を以て道路を新築改築せんとする時は、その路面の幅員(側溝等を除く)は郡費負担の道路に在っては九尺以上、町村費負担の道路に於いては七尺以上とすべき事を定めている。然し町村制及び郡制の実施により従来地方税規則中に単に区町村費とのみあって郡費の記載なく、従って郡費支弁にかかる道路を如何にすべきかの疑義を生じた結果、同四十五年二月土木・地方両局長は知事の指定により町村費より郡費に移す事の差支えない事を回答している。それにも拘わらず、その後も各府県に於ける郡費支弁里道指定に関して取扱方法に区々なるものがあったのに鑑み、大正七年二月内務省発土第一一号を以て重ねて右の趣旨を各府県に通達した。而もその際国道・仮定県道に属しない郡役所所在地より隣接郡市役所所在地、管轄内町村役場所在地、管轄内枢要の地区・港津・鉄道停車場に達する路線、郡内枢要の地区・港津及び鉄道停車場よりこれと密接の関係を有する枢要の地区・港津及び鉄道停車場に達する路線及び数町村を連絡する幹線にして、その沿線と密接の関係ある枢要の築・港津・鉄道停車場に達する路線に就いて調査すべき事を附言している。かくて本県も同年五月に土第一〇一九号を以て郡費支弁の道路を指定せんとする時は右の標準により調査し、地形図及び路線調書を具して県の認可を求むべき事を通牒した。(p.975-976)

ここでいう訓令は愛知県訓令であるらしく、独自の規定(道路築造規程)で郡費弁里道が制度化されたということらしい。それが内務省の追認を受けたのが明治45年と。んで大正7に再度文書化。

田中好の library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/12-01-0205.pdfも参照のこと。明治32年郡制が始まり法人としての郡が道路を運営することが許された結果、郡費支弁里道と府県費支弁里道が併存することになったとある。が、府県が郡を管轄するという関係上、府県が郡道の制度なり規格なりを定めておかないといけなくて、それをやったところとそうでないところがあるらしく見える。


2015-01-03 この日を編集

[ph.] 夕暮れ・駅構内

画像の説明

[奇妙なポテンシャル] 別に構わないのではないだろうか

画像の説明

人んちの前にするよりは。

と、とぼけてみせたけれども、「これを書いた本人の自宅」の前であることは容易に理解できる。怒りに任せて書いたせいで 主客がごっちゃになっていること、自らに引きつけて考え過ぎていることが読み取れる。張り紙を書く時はもっと落ち着いて書かなければならないという他山の石である。

[奇妙なポテンシャル] 生ゴミの立ち位置

画像の説明

公共の場たる公園に荒ゴミを捨てるのは人倫に悖る行為だろう。それは認める。警察が不法投棄を禁じるのもまあわかる。検挙のために隠しカメラを設置するのだって税金の有効利用の範疇だろう。公共の福祉に資する出費には違いない。そういう共感ドリブンの理解と歩み寄りを拒絶する「生ゴミ」の一言。これがすべてをダメにしている。「生ゴミ」がどの語にどのように係るのかわからない。

様々なケースが考えられる。

  1. 隠しカメラが生ゴミを監視している
    →公園に荒ゴミを捨てるなという前文がないがしろだ。生ごみじゃなくて荒ゴミが問題だったんじゃないのか?
  2. 生ゴミに擬した隠しカメラを設置している
    →なおさら不審。荒ゴミを捨ててはいけない公園に生ゴミが置かれている状況は違和感ないものなのだろうか?
  3. 荒ゴミを捨てる人間を生ゴミ扱いしている
    →いくらなんでもひどい言い草。国家権力の横暴だ。権力お濫用だ。
  4. 隠しカメラと生ごみが作動中
    →生ごみが作動するというシチュエーションが想像できない。蠢いてるとか醸してるとか? 嫌過ぎる

どう考えても助詞がひとつ足りない。そのせいで説得力を失っている。もったいない看板である。

[煉瓦刻印] 雲中学校外壁

送信者 関西地方煉瓦刻印

送信者 関西地方煉瓦刻印
大正3年に増築された際作られたという煉瓦壁。仔細に見ていくと岸和田煉瓦の刻印が見つかる。いずれも長手・小口に垂直な方向を向いていて、「×」というよりも「+」である。ついでにいうとこの壁の煉瓦は煉瓦裏溝が顕著。縁から数センチも入り込んだところについているうえ、面積の広い側のほうが少し凹んだようになっているものもある。昨年末に想定した方法ではこうはならない。むしろ溝外側を余してがっつり挟んだため潰れてしまったかのようだ。

件の推定はすべての煉瓦工場にあてはまるものではないだろうと思う。判子で刻印を押したところもあっただろうし、片側にしか押さなかったところもあるはず。筋のついていない手抜き煉瓦ももちろん多い。「乾燥を早めるために縦に立てていたところでは」件の手順で筋がつき得て、そういう中に返し板に刻印を作りつけて手間を省いていたところがあったという話。返し板に刻印を作りつけていないほうがひっくり返し易い。そうやってひっくり返して(裏返して)刻印打ったほうが、返し損なって不格好な二度打ちになるのは避けられる。けれどもそれだと板2枚に刻印字母も持たないといけない。腕二本ではまどろっこしい(だから日本煉瓦製造では指輪型の刻印があった。叩き板の柄に作りつけたり)。

粘土の硬さ緩さが関係してるのかなあ。関東では関東ローム層を使った。「煉瓦女工」では固い土に泣かされた話が出てくる。播煉のIさんは抜いた煉瓦が型崩れしない程度に緩かったといっていた。緩い粘土なら叩く必要はない。固ければ返す時に筋もつかない。粘っこい土だから筋がついた>関西地方独特の傷になったという想像。

[煉瓦刻印] 讃岐煉瓦@神戸市中央区熊内町周辺

送信者 関西地方煉瓦刻印

送信者 関西地方煉瓦刻印
熊内町の周辺ではなぜか讃岐煉瓦をたくさん見た。上写真の刻印はやや小ぶりで、松葉菱の中に数字の「3」がある。このフォーマットはT4竣工広島県物産陳列館(原爆ドーム)に使われている。これ以外にも松葉菱のみ、松葉菱に添印のあるものがあり。後者は既採取のマルトクマークよりも小型の印。家の敷地内だったため仔細は確認できなかった。

[煉瓦刻印] 「ハ」と「山」と「×」と松葉菱@春日野道商店街空き地

送信者 関西地方煉瓦刻印

春日野道のアーケードに隣る空き地にて。そうなんだこれなんだ、別所の播陽煉瓦工場近くで目撃した「ハ」は。

同じ基礎に「+」。そして転石に「山」。播陽と山陽は併存した時期がある(T7~T14)ので同時に持ち込まれたものと推定したい。ついでに岸煉が「+」なのはT3の雲中学壁との脈絡が嗅ぎ取れる。考え過ぎかな。

本格的に神戸を歩くべきかも知れない。震災で生じた空き地や転石に煉瓦がある可能性がある。どうも阪急線以北の、神戸の坂が急に立ち上がる辺りの建込み地帯に多くありそげな感じ。そういう住宅地には煉瓦を敷いた溝もあったりする(熊内橋通にもあり)。山手通もそうだった。

[煉瓦刻印] 三本線@神戸市街地

送信者 関西地方煉瓦刻印

一瞬「ハ」かと思った。離れている三本線。大型。旗塚通と神若通の間を通る幹線道の植え込みに転がっていた。こんな大きな幹線道の脇に?と驚くようなところにあって、これもまた神戸クエストの必要性を悟らすのに充分。

[煉瓦刻印] 大正煉瓦・手成形・大

送信者 関西地方煉瓦刻印

伊川谷の鄙びた農村にて。上下逆さまのまま撮った。

付近には大阪窯業の煉瓦、および煉瓦を腰壁に使った小屋があった。大阪窯業は小屋とは無縁かも知れない。その小屋の前に転がっていた煉瓦は無刻印だった。

煉瓦とは縁のなさそうな古い一角だったのに、意外とたくさん煉瓦が入り込んでいた。それだけ普及した建築素材だったということか。コンクリートを節約するための埋め草として。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ やいとちゃん [雲中小学校のレンガ塀を上がった4本目の道は、私が小学生の頃一面にレンガを敷き詰めた道で、近所のものはレンガ道と言っていました。 今は残念ながらアスファルト舗装になっていますが、屈曲した風情のある道..]

_ nagajis [これはよい情報をありがとうございました。神戸市外にはそんな煉瓦小道がいくつもあったみたいですね。下山手8丁目とか。。。]


2019-01-03 この日を編集

[独言][煉瓦工場] Excel整理畢んぬ

畢んぬ、ということにしないといつまでたってもおわらないだろ。

https://drive.google.com/file/d/1yQYRkEdn8SP8B0ro40ytfoPdvRzZ9THE/view?usp=sharing

とかいいながら全国諸会社役員録を見たりしているのはもうだめかもわからんね。ここから月末まではもう、触る暇なんてない。

[煉瓦刻印] 最近接の煉瓦刻印「5」

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今日は気晴らしに出かけるつもりでいたのだが、出かける前にコーヒーを買いに階下に降りたとき、ふとマンションの裏側にある細い通路に入ってみたらーーーなんでそんなところに入る気になったのかよくわからない。風の吹き回しがおかしかったと言いたいところだが生憎今日は無風であったーーー、大家さんが作ってはる花壇があり、これがあった。

なんということだ。普段生活している部屋、寝て置きてこれ書いている座席から測っても直線距離にして10mも離れていない位置に、府下では殆ど見られないとか抜かしていた英数字刻印の煉瓦があったとは。そうしてそれに10年以上気付かずにいたとは。おそるべし。おそるべし豊中市。おそるべしnagajisの間抜け。

この他にも「6」と、ここいらでは比較的よく見る「/」が一つ。これ以上の再近接はもうあり得ない。部屋にはたくさんあるけれどそれは人為的な持ち込みなのだし(いわば二次転用物であって煉瓦分布のプロットには利用できぬ)。あとは体内から不意に摘出されるとかいう僥倖を望む以外にない。

そういやおみくじは「失せ物 出る 近い所」とあった。早速当たったようである。この場合はもともと失せてもいないものなのであるが。

[独言][煉瓦] 煉瓦転石の生まれる瞬間を目撃した

その後尼崎に行き、JR駅から阪神駅にかけてと阪神駅南の寺町の周辺を歩き回った。以前JR駅北の潮町のあたりを歩いた時に煉瓦転石を多く見たものだから、尼崎には煉瓦が多いはずと踏んでいたのだけれども、その予想通りに多数の煉瓦を検出した。尼崎くらいの工業都市規模、大阪・神戸といった商業中心からの離れ具合い、開発の停滞具合いはまさに煉瓦転石の条件を満たすようである。実際尼崎には一昔前の長屋が数多くある。現代風の建売住宅の家並みの裏に隠されるようにして古長屋が佇み時を重ねている。そういう土地に私は用がある。

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そんな住宅地の一角で、今まさに煉瓦転石が生じようとしている場面に出会った。並びの住宅のひとつが解体され、地面が掘り起こされている最中で、建物基礎に使われていた煉瓦がこのように掘り返され山積みにされていた。こういうのが軒下の花壇縁石だったり植木鉢受けだったり無為に転がるやつだったりになるのだ。建物は木造でも基礎や水回りや溝なんかに煉瓦が使われていることが多い。そういう一昔前の建物が壊された時、今みたように施工管理が煩くなかった時代には「これちょーだい」「ピアノ売ってちょーだい」で貰われていくのが多かったのだろうと想像する。あるいは無言でくすねられていくものもあっただろうーーー「くすねる」なんて言い方が悪いかも知らんな、不用品を有効活用する「もったいない精神」の自然な発露である。そのお陰でいまの私が半世紀以上前の煉瓦を手にして観察することができる。

ちょっとだけ触らせてもらったが岸和田煉瓦の手成形のようだった。これだけたくさん見えているのに刻印があるのは1つだけ。岸和田煉瓦は5個に1個くらいの割合で打刻したそうだから(それは遅くても戦後以降のことと思う)、その通りの状況といえる。

尼崎では三本線刻印やKnシリーズをいくつか検出。機械成形の岸煉や、手成形の大阪窯業・大正丹治なども見られた。大阪と兵庫の煉瓦刻印が見境なく検出されるのはさすが両地域の端境地域といったところ。それから、予期せず尼信記念館を再訪し、岸和田煉瓦らしい細十字刻印を検出したり、これも以前来た時に目にしたはずの善通寺の煉瓦壁に堺煉瓦刻印を認めたりもした。阪神の変電所も行き合わせたっけ。どれも訪問予定ではなかった(尼信記念館に至っては伊丹にあると勘違いしてた)のに辿り着いたうえ刻印まで探し出してしまう自分を自分自身どうかしていると思う。

[ph.] 時計長屋

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こんな長屋にも出会った。壁掛け時計が無数に掛けられた長屋。正しい時間を指しているものがひとつとしてないのは魔除けのためである。正しい時間をわからなくして魔のつけこむ気を殺ぐという作戦なのだ。イタリア・シチリー地方の秋祭りでも同じことをすると聞いたことがある。その日だけ街中の時計をデタラメにして悪魔を惑わすわけである。ハロウィンの夜にビッグ・ベンが停められるのも同じ理由から。うん。

[独言] 三本線刻印

今日見たものは二つとも状態がよく、陰茎をもとい印形をじっくり観察することができた。どちらも線の付け根が重なっていて、特に線のひとつが各線の交点を上書きする形で押されているように見える。幅のある三本の線の寄せ集め(中心に三角形の空隙ができる)ではない。この形の「印」を押したのではなく、棒線を120°回転させて3回押したのかも知れぬ。もしそうだったら随分な手間だったろう。2つの印影を採拓して比べてみたいところである。写真で見る限りは似ているようだけれども、線×3だったら角度が変わったりしていそうだ。


2020-01-03 この日を編集

https://archive.org/details/scientific-american-1875-09-11/page/n9


2021-01-03 この日を編集

[D] 1/2

司馬遼太郎の運転する車に乗って移動する夢。夜遅くでありヘッドライトで照らされている前方数メートルの範囲しか見えない。何故か助手席に乗っている。否何故司馬さんと深夜のドライブなのかわかっていない。自分も特に緊張したりしていないが滅多にない貴重な体験、分不相応なことだとは思っている。

司馬さんの運転はびっくりするほど荒く、真っ暗でしかも地道だというのに意に介さず飛ばしまくる。路面がどんどん荒れてきて、というか道路の真ん中にジャンプ台かと思うような凸まで出現するのにスピートを落とさない司馬さん。案の定丸テーブルのごとくな凸に乗り上げて2、3秒も空を飛んだりする。

やがて道は住宅地に入り込み、というか家の裏庭のようなところに突っ込んでしまう。そのまま行けば幅1mもない家と家の隙間になりそうで、いくら運転のできない自分でも危険だとわかる。「司馬さんだめだ、そっちは通れない」ようやく止まった車から降りて通れそうなところを探す私。その裏庭から民家の前を通って玄関門に出る通路がかろうじて行けそうだった。といっても歩道のような道であり、両側は菜園になっていて、そのままでは通り抜けられないのは必至だ。

後ろに乗っていたスタッフが降りてきて民家と交渉し始め、やにわに車が通れるほどへと道普請が始まる(そういう無茶が罷り通るのはさすが大作家だからかと思ったりした)。その間司馬さんと私は民家の縁側のようなところで休ませてもらうことになった。

家には5歳くらいの女の子がいて、紙芝居のようなもので遊んでいる。紙芝居を見せてくれているのではなく芝居絵を見ながら自分で語って楽しんでいる様子。ふいにクイズになった。この紙芝居にタイトルをつけろという。見れば表紙の一枚はタイトル部分が○○○。 ○といったような伏せ字になっている(一文字の下半分が伏せ○になっていたりもする)。

そのクイズに挑戦する司馬さん。答えはさすが文豪というようなものだった気がするが、女の子はそれをにべもなく否定しダメ出しした。「そんなんじゃだめよぉ。もっと内容がすとれーとにわかるようなたいとるにしなきゃ」。そんな批評に司馬さん苦笑いーーーいや心から笑っているようにも見えたっけ。私も釣られて吹き出してしまう。そういう思いを司馬作品のタイトルに思ったことがないわけではなかったからだ(「坂の上の雲」とか)。


なんとでも解釈ができそうな内容だが結局はいろいろな場面の寄せ集めな気もする。何かの暗喩ということもないだろう。

突っ込んでいった住宅地の密集具合や通り抜けようとした庭の辺りはその昔に見た夢の何処かの場面に似ている気がする(夢の中でもそれを思った。夢で見たことのある場所みたいだと)。現実には煉瓦を探してほっつき歩いた細路地に似ているが、庭から脇のドブ空間に入っていくような場面もあり、さすがにそこまで入り込んだことはない。進んでいった末に行き止まりになり呻吟するというのは以前の夢で同じものを経験している。あれも確か、出口に建っていた家にあがって何やら一場面あったと記憶する。


2022-01-03 この日を編集

兵庫県の県道が三省訓令の前後でどう変わったか、を見なければならなかったのだ。故にT2末の県道路線だけでは足りぬ。頑張ってM45末も作成した。 お陰でいろいろなことがわかったが、肝心のことがいまいちである。

大河を挟んで両岸に県道が設定されているような場所は1本削減されている。但東町エリアの府県をまたぐ県道がかなり削減されている。但馬は出石や但東以外は余り変わらない。三坂が削減されただけだ。

名称上でだけ重用されているのはM45以前からそう。考えてみればそりゃそうだな、至鳥取県県道が鳥取県内まで伸びていたわけではない。

T2では停車場路線をかなり伸ばして無理やり停車場を終点とする手が散見される。その他港に達するものとか。

国道54号の北条~姫路間がいまいちすっきりしない。国道認定以前の姫路~北条間県道はM35時点では豊富から入っていたのに、M37表ではより北から真東へ向かうルートが国道54号線になって、県道は姫路~北条間が切り詰められている(国道54号との重用はない)。而して姫路側54号区間は以前は県道でなかったはずなんだ。

あと神戸駅周辺や姫路城周辺の正確な道の取り回しがはっきりせず。西国街道筋を追うべきなのか、そうでないのかもはっきりしない。

GoogleMapsは時々ちゃんと保存されていないことがあって糞。整頓し終えた!と思ったらそれが全然保存されてなくて2時間分くらいの作業が無駄になった。エラー出てなかったから安心していたのだが。糞。

区間重用の量はまだちゃんと計れてないが、T2以降のほうが若干少ない気がする。国道54号を挟んで3分割したりして重用しないというような配慮はT2にしか見られぬ。T2三省訓令でもっともとばっちりを受けたのは猪名川町の辺りだろうか。西峠越えのかの路線だけしかなく、東西連絡がまったくなくなっている。

欲を言えばここからT9道路法でどう増えるか見てみたいようにも思うのだが、しんどくてやってらんない。


2023-01-03 この日を編集

[煉瓦] 水無瀬川橋梁

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瓦礫は転じてなかったかわり、12ft円形井筒が露出していた。そこに“ロ”を確認したのはいいのだけれども……掘れば掘るほど謎が深まり始末に負えなくなる。大阪方向かって右の井筒だけ2-1/4インチ厚の異形煉瓦が使われている。残りは全部3インチなのだ。その3インチ厚煉瓦に“ハ”と“ロ”を確認したことでさらなる混迷の時代到来。3インチ厚ならABCあるいはエービーシーあるいはエビシでなければならないのではないか。M20台初頭の東海道線ではもうABCの基礎が出来ていたではないか。そも1本だけ2-1/4インチ厚というのはどういうことだ。2本ならわかるが。

ズボンについたセンダングサ---田舎ではカンジンコといっていた---の数と同じ量のはてなマークをぶら下げたまま帰宅して、あれこれ頭を悩ませた末、やっとわかった。この区間の複線化はM29に完工しているのだ。異形煉瓦の形状を示した鉄工第1749号(課長達)は明治29年8月31日。配置図は明治30年4月22日鉄工第755号(部長達)。故に水無瀬川橋梁の複線化の頃はまだ過渡期だった。初代井筒が2-1/4インチのイロハであって、それを踏襲しかつ3インチ厚を採用して新イロハにて構築した結果。&、現橋は明治42年製の支間長19MのPG桁が乗っている。19M≒62.336ft、たぶん70フィート桁で1スパン。いっぽう竣工時には支間長36ftの桁2本。ということは少なくとも支間長だけで72ftあった。当時は橋台間が10ftくらい広かったわけだ。だから初代橋台の大阪方のみ残し、橋台間を縮める工事がどこかのタイミングで行なわれたはず。複線化と同時であると考えるのが素直かも知らん。でないとイロハが使われている理由が説明できない。

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