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nagajis不定記。
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2013-07-24 [長年日記]

[独言] しまったな

林土管煉瓦のことをすっかり忘れていた。あの刻印のある煉瓦が存在する可能性もあるということだ。今日見たあのひしゃげた大阪窯業が林土管煉瓦ェ…だったりしたのかも知れぬ。また今度、KINIASの幹事会の時にでも行ってみるか。大正区はもうちょっと念入りに調べたほうがいい。んなことはなかった。大阪窯業だった。けど大正区三軒家や泉尾一丁目の辺りにはそこそこ高頻度に戦前煉瓦がある。ここは昔からの居住地だし(南に行けば行くほど新田・埋立地が増え新しい住宅街になる)。TALUI.GO.や明治丹治も見られたから、西九条並かそれ以上に煉瓦刻印が豊富な一帯であるようだ。そういや松本煉瓦も大正区だったよなー。

しかし『工場通覧』T9には津守煉瓦で載ってるのな。やはり正式な名前ではないのだろう。林氏がやってた土管・煉瓦の工場、津守にあった煉瓦工場というだけで。他所の個人工場もきっと同じ。株式とか合資とかじゃない限りそれほど名前には拘らなかったカンジがする。

昨日の最大の収穫は朝日窯業。大正6〜9の3年間しか存在しなかった会社。豊中市の紀要に載ってた拓本、『大日本商工録』の社章とも一致する。

大阪パンションに使われていた「ヲ」の刻印は大阪窯業ではなくバンレンのに違いない。とすると大阪窯業マークにヲとあるものもバンレンカンレンなのかもシレン。OEM。

[煉瓦刻印] nagajisまた実力行使に出る(H.J.△B.C.)

H.J.△B.C.関西煉化石煉瓦刻印

我が国最初の近代的な紡績工場として産声たあげた大阪紡績。いまの大正区三軒家浜にあった。大阪工業界でもいち早く発電機を導入し、煌々と灯る電灯のもと24時間体制で操業したという。回り回っていまの東洋紡が所有し、太平洋戦争で空襲を受け焼失した。跡地は三軒家浜公園になり、その一角にその歴史を伝える小さな石碑があるだけになっている。

この工場には関西煉瓦会社の煉瓦が使われていたらしい。東洋紡社史編纂室に「大阪紡績使用煉瓦」として所蔵されているものがあるとか。しかし大阪紡績の操業開始は明治19年で、明治21年に明石郡垂水村ノ内山田村に興った関西煉瓦会社が煉瓦を供給したとは考えにくい。とはいえ大阪紡績は数度に渡って増改築を繰り返したというから、その時に持ち込まれた可能性はあるし、明治19年に一瞬だけ存在した小曽根の関西煉瓦会社が関わっていた可能性もなきにしもあらず。

現地で刻印煉瓦が見つかれば、そのへんのことを考える資料になるんだが……そんな僥倖はないだろうな。戦後68年、煉瓦工場廃業からも116年が経過した。縦横無尽に伸びていた堀川がすっかり埋め立てられ高潮対策で一面数m嵩上げされたという大正区に、戦後間もなくの屑煉瓦が残っているわけがねえ。 画像の説明

などと思っていたら、あった。三軒家公園から約200m離れたところにある民家のプランターに敷かれていた。公園向かいの空き地の屑煉瓦のなかにもなかったH.J.△B.C.だ。驚かないわけがない。

家の方にこれこれこういうを説明すると、快く譲って下さったうえに「ご苦労様やねえ」と労っていただけたりもした。nagajisがこういう時に発生させるRDFは結構な効果があるらしい。大切に使おうと思う&研究用にと言ったからには研究に使おうと思う。

転石なので小口や長手が観察できるのが有難い。側面は今日の機械成形煉瓦にそっくりなつるつるさを呈している。プレス成形であることの証左だ。しかし西九条で見たものより明らかに薄い。測ってみると220mm×115mm×60mmで、70mmを裕に超えていた西九条煉瓦とはロットが異なるらしい(これくらいの厚さじゃないと焼けないんじゃないか?)。おもに裏面の凹みの深さが違うようだ。この煉瓦にも凹みはあるがごく浅い。

煉瓦の焼き色も若干違う印象がある。西九条や十三のは黄土色に橙を2割ほど混ぜたような明るい色だった。これはいかにも赤煉瓦という焼き色をしている。

左上が焦げているのは空襲の被害によるものだろうか。件の家の方も「空襲ではこの辺一帯が焼けた」と言っておられた。そんな歴史を乗り越えて116年間ずっと煉瓦をやってる煉瓦である。それだけでも偉いと思う。

[近遺調] 工場通覧メモ for 井上本店


イゲタ醤油の煉瓦蔵、元はなんだろう? というところを探ろうとした軌跡。ちゃんと「製氷会社」って書いとるやんけ。節穴め>nagajis。それにしてもわざわざnagajisと書いてあるのにいちいちカナに直す人って何を考えてるんだろう。嫌がらせ? 名前を入力するのも汚らわしい? アルファベットの入力方法わからない? いずれにしてもnagajis並みに哀れな人だなあ。

工場通覧 大正10年11月
織物業
株式会社勝村商店 京終工場
蚊帳生地、白木綿、厚木綿
奈良市南京終町
株式会社勝村商店
大正8年2月
職工男11/女47
動力 他1/20馬力
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/931905/185

この巻には大日本製氷の記載がない。もちろん他の製氷会社もなし。井上本店は北京終なので住所も違う。

全国工場通覧. 昭和4年末現在

奈良染織株式会社
奈良県南京終町
明治44年1月
綿蚊帳生地
藤井代重郎
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027282/124

藤村商店京終工場
奈良県奈良市京終町
大正7年2月
蚊帳生地
藤村直治郎
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027282/125

ここかから奈良市京終町とだけ記載されるようになる。そうして創業年が違うというお約束。もうちょっときっちり校正してほしかった>日刊工業新聞社

@染色精錬漂白及整理業

勝村商店京終工場
奈良県奈良市京終町
大正7年2月
蚊帳生地
勝村直治郎
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027282/208

染色の項目にも出現。

大日本製氷奈良京終工場
奈良県奈良市北京終町
昭和3年9月
武久良造
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027282/565

京終で製氷工場というとこれしかないのだけど……昭和3年9月創業ということになっている。製氷工場以前は別の工場だった?

そもそもあれか、紡績関係の工場だったとは限らないのだよな。通覧全部見通さないと。しかし倉庫業だったりしたら載ってねえな。


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