nagajisの日不定記。
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運動班運動は剣術にて初めは教習試合なりしが後試合あり。此の際特に攻撃精神の大なる者が必ず勝つと信ず。われには回数を多くして剣術に熟達するにあり。攻撃精神あれば剣術を行うを好む故益〃其の奥に近づき自信を生ずるものなり。
今日も雨なるも寒からず。午後より霽れて夏らしくなれり。銃の格納をなし、ついで校長訓話「人格・学科・術科共に勝れたる人物にならざるべからず。之が今の所少し」と。就中我は学科に一段の努力を要す。現在の状況にありて我は我はすたなりと妙に自覚したるが如し。又周より左様なる眼にて見られ何となく此の気分強く我ながら残念なり。語学なり。語学を十分やり然して余裕を生じたればしめたもの。必ず前記は復せるものなるを感ず。又授業時間の利用活動不充分なり。今までの悪弊を除かん。
室内にて軍装検査あり。午後衛生講話・体重測定・訓話「前期を観て、運動班会ありて近頃になく愉快なりき。良好。
◎反省
一、体操を特に良く実施し鉄棒の効果大なりき。
二、学術科なく内務一般に乱れたり。時間厳守は学年として悪いと思う。これなればこそ一年が真似たるか。
三、身体も極めて良好なるも眼悪く眠を感じ消極的なりき。
〔nagajis:佐賀弁に「すたぼー:放蕩者」とある。「すた」はこれに類似する不人格者を表すことばか〕
ひゃあ、3ページになってしまった。230KBの半分がテキスト。旧橋は曲線法のコピーがクシャクシャニナッテタ・・・どうするか・・・どこまでもダメな回になってしまいそうな予感。
やはりアーティクルは鬼門だったか。でも多分鬼門の上楼甍の裏にこそ天の邪鬼は住むめり。画面比率に合わせて2パターン作るべし。で、おれがあべし。
アーティクルで画面が遷移する時に連続的にスクロールするようになればなあ。一瞬で切り替わるから余計な混乱を来すのだ。3Dオブジェクトの埋め込みよりそっちを先にやってくれ>Adobe。ってすでになってたりしたらヤだな。8.1出てます。
実はtaiheiさんが中国地方の明治隧道projectを進めて下さっている。tunnel webのtaiheiさんだから内容は保証済みだ。全部は無理でも半分は次号に間に合わすべく(nagajisが)奮闘中。いただいたWordドキュメントで完全に組んで下さっているのでそれをイキにしないと勿体無いよなあ、ということで新たに版を起こさず.doc→PS→Distillerしてみたのだが、何故かシステムにあるはずのフォントが埋め込めず。一つひとつの文字を画像にしてくれやがる>MacのWord98。どないなっとんねん。
いやいや、taiheiさんのほうでpdf化して下さるっていうんだから何もしなくていいのか。一応、今後の寄稿も視野に入れて、実験。結果としては
でレイアウトそのままのpdfを作ることができた。だからWordでかっつり作り込んでいただいても大丈夫、と。あとはWordのバージョン間の再現性だけだなあ...これが最大の案件ですが。(taiheiさんのは全くズレなかったのはちと驚いた)
...というかWindowsのWordを買えよって話か>ヲレ。で、PDFcreateにかけると。いや最近のは直接pdfにできるんだっけか(でも2kじゃ動かんだろうな)
ヨッキ氏の所に送っておいたCDの販売が山行が通販部で始まってます。せっつくとヨッキれんサイン入りCDが定価+120円で購入できるぞ!少なくともthe-orj経由で購入するよりヤニ臭くないぞ!急げ諸氏諸嬢!(注:勝手なこと言ってますスミマセン)
ヨッキ氏の所での販売は新規層の開拓?に期待するのだけれど、それに任せて何もしない訳にもいかないよな。何かいいアイデアはないものか。
それよりも、真っ当な価値upができないか。+αの分に半ば期待して売っている現状はあんまりいいものじゃない。何か付加価値をつけて810円なり何なりで売れないものか。500円だと言った口で、いや違うな、打ち込んだこの手で何を書くかという話だが。「それは情報の価値が限りなく低くなっていくこの社会の中で編集をして食って行こうとする者の葛藤なのさ」。今なら鐘が坂の煉瓦のカケラがつきます!とか佐和山で水没したCDです!とか、全然嬉しくないアイデアなら幾らでも出てくるんだが。我ながら商売センスが皆無だと思う。
ちなみに9月から郵便局の民営化で振り込み手数料が120円になるとのこと。ということはthe-orj.orgで買って振り込むのと通販部で買うのと同じになるのよね。
何度か名前が出て来たことで察せられることと思うが、小生は筒井康隆の小説が好きだ。高校の頃にそのドタバタ・スプラクティックさに魅せられて読み始め、殆んど全ての作品をーーーえっと文庫本の古本でーーー集めて読んだ。今となっては「中隊長」以降の文体に多分に影響されていると思うがそう思うのはnagajisの勝手であり氏に失礼な話かも知らぬ。
酷くこんがらがった内容を硬い文体のままですらすら読ませる氏の力量に魅せられるが、それを真似たところで足元にも及ばないし何よりオリジナリティがない。硬い文章で酷くこんがらがった内容をこんがらがったまま提示する自分に「コレハオレノカキカタナンダ」と開きなおってみてもそれは開きなおりでしかなく、困ったものだとつくづく思う。そこに柳田國男の影響まで受けているものだから始末に負えない。まるで駄目文章の見本みたようなものではないか。
そういう自分の書き方をどう命名したら良かろうかと思案した結果、
凝古文
というワードを思い付いた。いかにもガチガチの古くさい文章だというのが伝わりそうな気がする。読みはぎょうこぶんでもぎこぶんでもいい。自分にそのワードが相応しいかどうかは別としてワードそのものに奇妙なポテンシャルを感じた昨今。
東北辺は災難続きですね・・・どうかみなさま御無事でありますように。
スタバのマイタンブラーに萌絵を貼るのが流行りらしい。自分はスタバで寛げるほどブリジョワジーでないのでそんな動きも知らないし関係もないが、画像が余ってるので作ってみた。
ダム湖を望むヨッキれん氏。あ、肖像権許諾受けてないので怒られたら消します。
それぞれpdf形式。ダウンロード→原寸プリントアウト→切る→使う。使い方はわかんないので各自調べてね。と、誰かが喜んで使ってくれるかも思っているnagajisが痛い痛ンブラー。こんなんで旨いコーヒーが飲めるかッ。
それに風景写真はたぶんタンブラーに向かない。
するってえと何かい?おれが類似?
どとうのいっしゅうかん、おわる。通常運転に戻る。戻りたい。戻らないと27,000wから進んでいない。(写真はイメージです。記事内容と関係はありません)
しかし何から手をつけてよいやら解らぬ。県教育委員会にTELしたところからか、百年年表を浚って県土木課が先だったか。その前に寝たいが。
追伸:単に賭けに勝ったというだけ。廃道の神様はnagajisのようなハミ子を救ったりしない。生かさず殺さずでいびり倒すための「殺さず」であろうと思う。こんな奴助けたって品が下がるだけだし。ねえ。
林土管煉瓦のことをすっかり忘れていた。あの刻印のある煉瓦が存在する可能性もあるということだ。今日見たあのひしゃげた大阪窯業が林土管煉瓦ェ…だったりしたのかも知れぬ。また今度、KINIASの幹事会の時にでも行ってみるか。大正区はもうちょっと念入りに調べたほうがいい。んなことはなかった。大阪窯業だった。けど大正区三軒家や泉尾一丁目の辺りにはそこそこ高頻度に戦前煉瓦がある。ここは昔からの居住地だし(南に行けば行くほど新田・埋立地が増え新しい住宅街になる)。TALUI.GO.や明治丹治も見られたから、西九条並かそれ以上に煉瓦刻印が豊富な一帯であるようだ。そういや松本煉瓦も大正区だったよなー。
しかし『工場通覧』T9には津守煉瓦で載ってるのな。やはり正式な名前ではないのだろう。林氏がやってた土管・煉瓦の工場、津守にあった煉瓦工場というだけで。他所の個人工場もきっと同じ。株式とか合資とかじゃない限りそれほど名前には拘らなかったカンジがする。
昨日の最大の収穫は朝日窯業。大正6〜9の3年間しか存在しなかった会社。豊中市の紀要に載ってた拓本、『大日本商工録』の社章とも一致する。
大阪パンションに使われていた「ヲ」の刻印は大阪窯業ではなくバンレンのに違いない。とすると大阪窯業マークにヲとあるものもバンレンカンレンなのかもシレン。OEM。
我が国最初の近代的な紡績工場として産声たあげた大阪紡績。いまの大正区三軒家浜にあった。大阪工業界でもいち早く発電機を導入し、煌々と灯る電灯のもと24時間体制で操業したという。回り回っていまの東洋紡が所有し、太平洋戦争で空襲を受け焼失した。跡地は三軒家浜公園になり、その一角にその歴史を伝える小さな石碑があるだけになっている。
この工場には関西煉瓦会社の煉瓦が使われていたらしい。東洋紡社史編纂室に「大阪紡績使用煉瓦」として所蔵されているものがあるとか。しかし大阪紡績の操業開始は明治19年で、明治21年に明石郡垂水村ノ内山田村に興った関西煉瓦会社が煉瓦を供給したとは考えにくい。とはいえ大阪紡績は数度に渡って増改築を繰り返したというから、その時に持ち込まれた可能性はあるし、明治19年に一瞬だけ存在した小曽根の関西煉瓦会社が関わっていた可能性もなきにしもあらず。
現地で刻印煉瓦が見つかれば、そのへんのことを考える資料になるんだが……そんな僥倖はないだろうな。戦後68年、煉瓦工場廃業からも116年が経過した。縦横無尽に伸びていた堀川がすっかり埋め立てられ高潮対策で一面数m嵩上げされたという大正区に、戦後間もなくの屑煉瓦が残っているわけがねえ。
などと思っていたら、あった。三軒家公園から約200m離れたところにある民家のプランターに敷かれていた。公園向かいの空き地の屑煉瓦のなかにもなかったH.J.△B.C.だ。驚かないわけがない。
家の方にこれこれこういうを説明すると、快く譲って下さったうえに「ご苦労様やねえ」と労っていただけたりもした。nagajisがこういう時に発生させるRDFは結構な効果があるらしい。大切に使おうと思う&研究用にと言ったからには研究に使おうと思う。
転石なので小口や長手が観察できるのが有難い。側面は今日の機械成形煉瓦にそっくりなつるつるさを呈している。プレス成形であることの証左だ。しかし西九条で見たものより明らかに薄い。測ってみると220mm×115mm×60mmで、70mmを裕に超えていた西九条煉瓦とはロットが異なるらしい(これくらいの厚さじゃないと焼けないんじゃないか?)。おもに裏面の凹みの深さが違うようだ。この煉瓦にも凹みはあるがごく浅い。
煉瓦の焼き色も若干違う印象がある。西九条や十三のは黄土色に橙を2割ほど混ぜたような明るい色だった。これはいかにも赤煉瓦という焼き色をしている。
左上が焦げているのは空襲の被害によるものだろうか。件の家の方も「空襲ではこの辺一帯が焼けた」と言っておられた。そんな歴史を乗り越えて116年間ずっと煉瓦をやってる煉瓦である。それだけでも偉いと思う。
イゲタ醤油の煉瓦蔵、元はなんだろう? というところを探ろうとした軌跡。ちゃんと「製氷会社」って書いとるやんけ。節穴め>nagajis。それにしてもわざわざnagajisと書いてあるのにいちいちカナに直す人って何を考えてるんだろう。嫌がらせ? 名前を入力するのも汚らわしい? アルファベットの入力方法わからない? いずれにしてもnagajis並みに哀れな人だなあ。
工場通覧 大正10年11月
織物業
株式会社勝村商店 京終工場
蚊帳生地、白木綿、厚木綿
奈良市南京終町
株式会社勝村商店
大正8年2月
職工男11/女47
動力 他1/20馬力
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/931905/185
この巻には大日本製氷の記載がない。もちろん他の製氷会社もなし。井上本店は北京終なので住所も違う。
奈良染織株式会社
奈良県南京終町
明治44年1月
綿蚊帳生地
藤井代重郎
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027282/124
藤村商店京終工場
奈良県奈良市京終町
大正7年2月
蚊帳生地
藤村直治郎
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027282/125
ここかから奈良市京終町とだけ記載されるようになる。そうして創業年が違うというお約束。もうちょっときっちり校正してほしかった>日刊工業新聞社
@染色精錬漂白及整理業
勝村商店京終工場
奈良県奈良市京終町
大正7年2月
蚊帳生地
勝村直治郎
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027282/208
染色の項目にも出現。
大日本製氷奈良京終工場
奈良県奈良市北京終町
昭和3年9月
武久良造
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027282/565
京終で製氷工場というとこれしかないのだけど……昭和3年9月創業ということになっている。製氷工場以前は別の工場だった?
そもそもあれか、紡績関係の工場だったとは限らないのだよな。通覧全部見通さないと。しかし倉庫業だったりしたら載ってねえな。
「Pokémon GO」が日本でも解禁になり、案の定な騒ぎなので、便乗して「Jisüo GO」とか考えてニヤニヤしている。意味もわからずウムラウトをつけてある辺りにパチもん臭がプンプンするのがまずいい。阿久さんて牛。
・屋外のどこかにジスオがいる。
・生きづらい行きづらいところにはレアなジスオがいる。廃道の終点とか廃隧道の奥とか。
・見つけたら石を投げて倒す。
・倒したら草が生える。
ただそれだけのゲームである。ジスオだから捕まえても仕様がない。養う金なぞ無い。倒すことによってポイントが溜まったりするような特典はつけないほうがいいな。ジスオ狩り代行とか商売が起こりそうで気に食わない。
そうしてレアなジスオスッポトは電波圏外という嫌がらせをする。GPS座標に紐付けすりゃいいだけなんだから原理的には可能だろ。
「Bríck GO」でもいいぞ。
・屋外のどこかに刻印煉瓦がある。
・レアなやつだったら拾う。そうでなかったら記録する。
・1外出につき5個が限界。
・たくさん集めて自慢する。
いやそれ、スマホ必要ないから。近づいたら振動するとかだったら便利かも知らんが。
書いたものを通して自己の思想とか、その言葉が大げさに過ぎるなら「考え」でも別段構わないけれど、を表明するために書いてるのであって、それが共感を得られるか、はまた別の話なんではないか。認められることを望んで書いたものが認められたところでそれは自己正当化の謀略が成功しただけちゃうんか。例えばの話、自分の経験を題材にして人間の醜さを深く掘り下げてものしたところで「あるある」と認められたとしたら、自分の醜さが意外と誰にもある普遍的な醜さだと認められたことになって、自分は少し救われるかも知れぬ。が、そのために書いてるんだったら何だかなあだ。こういう人間を認めてよという認知の押し付け。エンターテインメントとして描いた極悪な人間像が人気を博せば「ワルでいいんだ」ってなる。その繰り返しがワルを実在させる。筒井御大がいってた「虚構が現実を侵略する」ってのはそういうことなんじゃなかろうか。
自分は自分を善き人間とは思っていないので他人にもそう認めてもらいたくはない。自分の思想はどうでもよい。ただ発掘してきた事実とか第三者の生き様とかは伝承しておきたいと思う。そこに自分の思想が混じって絡まってくる(取捨選択した時点でそうだし書くという行為の本質からして自己の思想から離れることはできないに違いない)故におかしくなるのだ。それがわかっていながら切り分けられないところにnagajisの救いようのなさの根源がある。自己を否定しながら書き続けて何のために。疲れて眠るためか。それもマタハリだなあ。
阿久さんて悠
でも全然構わないのだった。
アブサンをキュー
とか。だんだん山号寺号みたいになってきたな。清子さん水前寺。
パチモン:「パチッとモンスター」の略。モンスターを描いた駒で行なう将棋に似たゲーム。あるいはジップロックの袋で捕獲するゲーム。不思議と叩き潰すというのが浮かんでこないのは根が小心者だからだろう。潰したら可哀想やん。片付けが大変やん。体液とか粘液とか。
なんとはなしにラジオで聴き始めて最後まで聴き通してしまった。映像に気を取られることがなかった分いろいろなことを考えさせられて良かったと思う。
入場行進。205もの国と地域の解説は聞き飽きることがなかった。意外。初めて名を聞くような国も多かったし難民団のオリンピックチームがあることも初めて知った。国ごとに趣向を凝らした衣装だったようなのも楽しそうで、観客がいないので行進する人たちは寂しいだろうと思っていただけに救われた思いがした。
いろいろな小芝居があったようなのだけれどもさすがに解説だけではイメージし切れなかった。それぞれの脈絡もいまいちわからず。別々の何かが展開されていて、それがきれいそうだとか悲痛そうだとか想像されたばかりだ。冒頭のアスリートの挫折と復活は今回のオリンピックらしくてよいと感じたけれど。
こういうのはあとで動画でも見直すようなものでもないだろうし(何かを感じたとしてもリアルタイムで見た感想にはとうてい及ばないだろうし変質もしていそうである)、あって然るべきのような気もするし別になくてもいいんじゃないかと思ったりもする。それでも直前までグダグダしていた割にきちんと何かをしてくれたことは感謝のような気持ちを覚えた。
一番心を動かされたのは橋本聖子会長のスピーチだった。じっくり噛み締めながら聞いていると、この厳しい環境の中、無理をしてでも開催しなければならなかった理由がよくわかった気がする。世界中のあらゆる人種のあらゆる階級のあらゆる人間にとって、心を寄せひとつのことに集中できる何か、ってスポーツくらいしかないのですな。紛争をしている国々も、政治的に虐げたり虐げられたりしている国同士も、それとば別の「スポーツ」という舞台で平等に競い合い得る。中国からだけでなく香港からもチームを組んで競い合おうとしている。すばらしいことだと思う。そのことを自身オリンピアンであった橋本氏が語り、開会に漕ぎ着けられたことへの感謝を重ねていく声を聞いていると、オリンピックはスポーツマンの祭典なんだというごく基本的なことが身に沁みて理解できたように思った。
こんな状況下での無観客の開催となり、経済効果とか何とかが全く期待できない状況になったけれども、それはかえって本来的なオリンピックの意義の純度を高めることになったかも知れない。人間の能力の限界を追求し、同じ人間としてこんなすごいことができる人がいるんだと教えてくれるアスリートの、その戦いの場を提供し、最善のパフォーマンスをしてもらうことが、開催国の義務というものだろう。途中で投げ出したり止めてしまったりせずにここまでやってくることができたのはいち国民として誇らしいというかほっとしているというかな心境。そうしてその責任の大部分を背負って牽引してきた氏の言葉だからこそ共感を覚え「ご苦労さまでした」と言いたくなるのだ。
考えてみれば、スポーツほど多くの人が心を寄せ得るものはないかも知れない。ゲームもアニメも(多くの人の心を掴んでいるとはいっても)その影響の範囲を全人類にまで押し拡げることはできまい。「どれだけ早く走れるか」「どれだけ高く飛べるか」「どこまで精密に身体をコントロールできるか」みたいなことはどんな人間にもよくわかる指標だし、それに向かって挑戦してみることもできる。超人的にできる人=メダリストに対して覚える経緯も素直な純粋なものになりやすい。妬みやそねみではなく純に「すごいね!」「よくやった!」と思える。こういう気持ちになれる機会は、年を取れば取るほど減っていくものだ。
ゲーム音楽のアレンジオーケストラで入場行進だったけれども、任天堂ゲームがハブられているとかドラクエなんて日本ローカルな人気だとか何とかでいちゃもんをつけている層もあるそうだ。どうでもいいと思う。ドラクエのオープニング曲は、たとえゲームを知らなくても、何か壮大なことが起こりそうだという予感を感じられるいい曲だと思う。行進にもぴったりなリズムだし。なまじドラクエのオープニングだと知っているから余計な批評の気を起こすのであって、知らない諸外国の人々には普通のマーチ曲のように聴けたんじゃあるまいか。自分なんかは最初のそれがわかったのとFFの勝利のテーマのアレンジがわかった程度で、残り17のゲームなどわからなかったが、行進曲として不相応なところは感じられなかった。
あと任天堂はリオの閉会式で主役級の活躍をしてるからな、まるで日本代表企業かのような活躍ぶり。他に道を譲ってもよかろうもん。あの安倍さんが出てきた引き継ぎ小芝居は素晴らしかったと思う。たぶん全世界に伝わったはず。ああいうのを開会式にも期待していた時期もあったけれども……まあ最悪な状況下で落ちに落ちた底のところから仕切り直しているのだから多くは望まない。皆さんよくここまで持ち直してくれたね、と思う。
自分がこれだけ苦労|我慢しているのだから他の人間も同様の苦労|我慢をしてほしい、というかしなければならない、そうでなければ気がすまない、という人間が多い。自分という個の見地を基準にして他に何かを強いる人間が多い。主義主張ではなく、より高次の視点からの言説ではさらになく(そういうのは今度は「上から目線」といって反発される)。マスク警察とか自粛警察とかいうものが存在するのはそのせいだと思う。
コロナ対策でレファレンスは一人15分までとお願いされているのに「わざわざ2時間もかけてきたんだから」としつこく尋ね続ける老人を見かけて嫌な気分になった。自分の都合のみを優先し、自分がこれだけ苦労しているのだからと我を通す姿は決して見習いたくなるようなものではない。ああはならないようにしなければと思う。
これは日本人特有の性向なのだろうか。私の観察対象が日本人に限られているせいで「日本人は~」と感じてしまうだけだろうか。諸外国だとどうだろう。東洋では等しくその傾向がある気がする。アメリカは個人の権利として自身の思いを主張し通そうとする傾向がある気がする。ただしその場合受け手も同様に人としての権利を主張し議論を戦わせそうな気もする。感染症対策であることを懇々と説いて納得させようとしそうだ。日本はそこで「規則ですから」を拠り所にしがち。互いに平行線を辿るばかりである---だから公務員と一般市民みたいなステロタイプなイメージができるんだろう---。そこに気づいてなんとかしない限り双方とも不幸になる気がする。
必要なのは餘部駅ができる前後の2点のデータだけなのだが、せっかくなので大正元年から追いかけておいた。まるで鉄道マニアな出納で恥ずかしい気がしたがいずれ必要になるかも知れない。最初は日に4、5本だが昭和に入るともう2本くらい増える。夜行の急行も始まるようだ。これが片道なので上り下りを考慮すると通過可能時間は結構時間は限られてきそうである。その間に約2km歩かなければならない。1時間はかからないが30分では足りないくらいかな。