nagajisの日不定記。
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BCTableを作っていて、うちの近くに「豊島煉瓦株式会社」なるものが計画されていたことを知った。明治30年頃のことだ。『大阪府統計書』明治30年度版に所在地豊能郡豊中村、資本金60,000円、うち21,000円が払い込み済と記載され、それっきり消えてしまう。職工数が載っていないことから実稼働する前に解散してしまったのだろう。そんな会社だからあまり気にしていなかった。
けれども先日、府立図書館へ行って過去の新聞記事を見ていた時、豊島煉瓦の記事が出てきた。読売新聞1897年2月21日の朝刊5ページだ。
○豊島煉瓦株式会社 兵庫県川辺郡尼ケ崎町の大塚茂十郎、中塚彌平、川口半三郎三氏外七名は資本金六万円(二十円株)にて標題の会社を大阪府下豊能郡豊中村大字桜塚に、工場を同郡豊中村大字桜塚字市ヶ谷及び豊島村大字長興寺字紅山に設けんとて此度設立認可願を出したる由
桜塚に会社を置く予定だった、と知って俄然興味が湧いてきた。なんとなれば今住んでいるところが中桜塚だからである。工場に至っては小字名まで記されている。この前知った小字図を使えば、それがどこなのかわかる。まあ、わかったところで実稼働したわけじゃないのだから、何の痕跡もないはずだが。
「大字桜塚字市ヶ谷」は、国道176号線沿いにあるロイヤルホストの辺り。岡町周辺は名前の通り岡のような地形になっているが、その岡の端の辺りに相当する。ちょっと錯綜していて小さな飛び地もあるようだった。「豊島村大字長興寺字紅山」は緑地公園の一角になっている。南西端にある「服部緑地ウォーターランド」の付近がそれで、中ノ池・山の池という二つの池の北畔だ。特に紅山は、小曽根煉瓦(関西煉瓦石会社の前身)があった小曽根村に隣接していて、小曽根煉瓦との関係も伺える。
ちなみにこの付近の旧街道(能勢街道)は地図で水色線で示したところを通っていた。市ヶ谷は街道の西側、紅山は街道から東へ2、3の尾根を離れたところになる。途中には嘉永巳酉(1849)に設置された道標もあって池田道(=能勢街道)と勝尾寺へ向かう道の岐れを示している。勝尾寺道はいまの府道43号。能勢街道は国道173号の前身ということになるが、現在の国道線は昭和9年に開かれた新道だ。
山の池の北岸。向こうに見えるのは大字石蓮寺の集落。左岸が字紅山にあたるが、緑地公園が整備された今日、昔の姿を留めているものはない。またウォーターランドが陸地の大半を選挙していて歩き回れる範囲も限られている。ここに工場を作ろうとしたのはやはり池の底土をアテにしていたからだろうか。
字市ヶ谷。今は南桜塚一丁目になっている。すっかり住宅街になっていて地形を読み取ることも難い。