nagajisの日不定記。
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小学校の遠足で近くの山に登った時、山頂で宝探しゲームをやったのを思い出した。高学年だったか先生だったかが先に登ってクジを隠しておき、それを探し出すという、たわいもない遊びだ。しかしそのクジで当たるものが結構いいものだったような記憶がある。
よーいスタートで一斉に探索開始。石の下だとかベンチの隙間だとかに隠されているのが見つかるうちはまだよかった。誰かが枯れ木の中に隠されているのを見つけてからが修羅場。寄ってたかってそこら中の木の皮を剥がしだし、丸裸にしてしまった。
それを見て「人の欲は怖い」と思った。欲しいものの為ならなんでもする。後先の事など考えもしないで(だいいちそんな奥深くに隠せるはずがないだろう。丸太の端っこならともかく)。そうして跡はとっ散らかしたまま。案の定宝探しゲームはその一回きりしか行われなかった。
この出来事が、「自分さえ良ければ」とか「集団心理」とかを忌避するようになったきっかけかも知れない、とふと思った。
人がやってるんだから自分も。
google日本語入力が少し軽くなった気がする。キー配列が変わってて少し焦った。
Yahoo!のニュースヘッドラインの
「川内原発の補正申請提出 九電」
という文字列のなかに
正露丸
という言葉が含まれているように空目して、
正露丸がどうした?
と5秒ほど見つめてしまった。
末期かもしれない。
「正」は含まれている。九≒丸としてやってもいい。露はどこから持ってきた。電に雨冠が含まれていて、それで露を連想したとしてもだ、順序がまったくばらばらではないか。