nagajisの日不定記。
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・・・という寒い冗談を言いたかっただけです.だけなんです...
先日偶々見つけた『ぱらいそ』.大川の沿岸にたった一箇所だけ残る干潟だ.干潟といってもヘドロと瓦礫くらいしかないのだが,そんな瓦礫に私は用がある.なぜか多量に煉瓦が混じっていて,刻印を探し放題なのだ.
なぜここに多数の煉瓦が転がっているのか,どこから持ち込まれたものなのかよくわからないのだが,ルートはいくつかあるらしい.ひとつはこの護岸.桜ノ宮公園の縁を形成しているもので,瓦礫やらゴミやらを一緒くたにして固めてある.その中に煉瓦が多量に混じっていて、それが大川に洗われた結果累々しているようだ(とはいえこの護岸― ― ― の材料となっている瓦礫 ― ― ― がいつ頃生じたものか謎.煉瓦塊に混じってプラ製のボールペンやらビニール紐やらも巻き込まれている).この護岸の際に落ちていた煉瓦には大正丹治や後述の「桜+ツ」,貝塚煉瓦さえあったから,もとは結構古いものだろうと思う.
他には環状線淀川橋梁の橋脚から来ているものもあるようだ.大阪鉄道の作ったものも関西鉄道のものも橋台だけが残っているが,、河川敷や川中に建てられていたはずの橋脚は取り壊されており、その煉瓦が幾分か混じっているようだ.現に芝山で見たのと全く同じ「R」刻印をここで採取した。大阪鉄道由来の煉瓦であることは間違いない(関西鉄道橋台に見られる「◯」は未発見).
市街地近を流れるということで,生活ゴミとして投げ捨てられていものが打ち上げられたというのもあるだろう.戦災,高潮,河川道備,さまざまな機会で沿岸が改変されている。その時の瓦礫が時大川に放り込まれ、を経て打ち寄せられた・・・のかも知れぬ.煉瓦を動かすくらいの流量があり得るかどうかはわからない。むしろ奥深くに沈んでいきそうではあるけれどもな.
ここで初めてお目にかかった刻印もある.例えばこれ. 水張りが未だなのでちょっとアレだが、山型に火の文字が添えられた,径1.5cmほどの小さな刻印だ.小口に押されているというのも(大阪では)なかなかお目にかからない.そうして心当たりもない。山は一山ではなく二山のようなのだが、若干欠けていることもあり再現できなかった。
真田山陸軍墓地の框に使われている「桜+四」に通じるものがある。堺で見た桜+クス+漢数字よりも近似度が高い(堺のは縁に切れ込みがないしなー)。
裏には×形のカキメが施されている.なぜかはわからないがこの干潟で見られる煉瓦にはカキメ入りが多い.陸上に転がっていた貝塚煉瓦の断片も,護岸の前の砂に埋もれていた大正丹治にもカキメがあった.ある時期にはそんな煉瓦が流行したのかも知れぬ.大正丹治にあるということはずいぶん時期が絞り込まれる。
送信者 関西地方煉瓦刻印 |
漢数字のみの刻印は市街地で数例目にしたことがあったけれども,このいそには何故か集中的に見られ,「五」「二九」「三十」「三六」「四六」を発見した.思っていた以上にバリエーション豊富だ.仮にこれが作業者の識別符丁だったとすると,煉瓦成形役だけでも46人はいたことになる.土練りとか窯焚きとか事務方とか合わせたら100人以上にはなっただろう.そこまで大きな会社は数えるほどしかない.そういう方向から突き詰めていくことも可能かも知れない.
なおこの刻印,線刻のようにも見えるけれども,全く同じ筆跡の「三六」を2個見つけたので,やはり字母による刻印であるようだ.奈良駅転車台で見つかった「四」も阪大中之島キャンパス跡瓦礫の「四」もここで見られた「四六」の「四」もみな同じ書体だ.
あ,四六除けとくの忘れてた…….そのうちまたヘドロまみれになって行方不明になるのだろうな……。