nagajisの日不定記。
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昨日書いたことを反芻していて、なあんだ、気風はDQNネームとしてしかと伝わってるじゃないか、と気がついた。普段DQNネームには違和感しか感じていない。この二項背反的得すどういうことか。単に文章として前例があるか否か、大樹か雑草かで日和ってるだけじゃんか、ととって反省した。
DQNネームがDQNネームたると感じる所以はその言葉の背後が虚ろだからだとは思っている。新一と書いてコナンと読むのでも月と書いてライトと読むようなやつでもいい、そう名前を付けて子に何を望むのか、みたいなところ、語感と字面だけ善さげなものを持ってきて実が伴わないところ、一過性の浮かれた気分を8八十年背負わせることになることに対する責任感の欠損に世の一部は違和を覚えているはず。それと遊字典の当て字と実はそう遠くない。さて、こいつはどう消化すればよいものやら。