nagajisの日不定記。
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神社を参拝する際、手水鉢で手を清め、最後に柄杓の柄を洗うのが習わしだが、その起こりは
ナメクジが這い回っててベトベトするから
洗ったのが始まりなのではないかと気付き始めている6月末である。
ここのところ帰りが遅くて19時20時を回ることが多い。そんな時間帯に神社に詣でると、そしてこの湿度ベタベタな梅雨の時期に参詣すると、かなりの確率で柄杓の柄にナメクジが居る。そうと気づかずむんずと掴んでしまうことも多い。雨で軟体動物門腹足綱達がウキウキなうえに水気のあるところだから致し方ないことだろう。それでヌメヌメするところを避け、柄杓の首の辺りを手にして手濯ぎ漱ぐすることになる。最後に柄杓の柄を洗う時に意図的に多めの水を汲んでみたりもしたくなる。次の人がヌメヌメするのも可哀想だからだ。
日本史上最初に柄杓の柄を濯いだ人はナメクジを触って「うわっキモッ」となったんじゃないだろうか。だから二度も三度も手を濯いだ上に柄杓の柄を洗ったりしたのじゃないか。それを傍から見ていた人が「へえそうするのが作法ずらか」となってあの習わしが生まれたのではないか。かなり核心を衝いた考察だと思うのだが如何だろう。そうしてその考察を証明する手立ては我々には与えられていない。残念なことである。