nagajisの日不定記。
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むしゃくしゃしてやった。そのせいでデータを拾い間違えた。市場価格は拾わなくて良かったのだ。
卸売価格と市場価格がほとんど一致しているのは煉瓦ならではの現象。大工場がそのまま直売しているようなものだからな。
卸売価格が大正4年にゼロになっているのは生産カルテルを結んで市場に流さなかったためだ確か。そうやって市場にダブついていた煉瓦を片付けて煉瓦価格の調整をしようとしたのだ。実際それで煉瓦の単価はあがったように見えるけれども自然な物価上昇と区別できるものなのかどうか。平均値で割ってみるとかするんだろうか。
大正9年頃の価格暴騰がなんともいえぬ迫力をもっている。生産量のピークもこの頃であったはずなのだが。あれ大正6年だったっけか。
本当は大正12年以降昭和に至るまでがほしかった。しかし大阪商業会議所の統計年報はここまでしか収録されていなかった近デジに。以降大阪商工会議所で調べると昭和3年と10年代のが出て来る。元を取りに行けということか。
こんなん作ってもおれ以外の誰の役にも立たんのだ。自分にだって役立たずになるかも知れぬ。
操業短縮は大正2年秋~3年3月末:http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00060181&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA、大正3年7月~:http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00060192&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA、http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00060191&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA、http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00060188&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
払底はこの減産だ。http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00060226&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
つまるところ減産は一度二度でなく何度も行なわれていて大正4年7月からの減産では一般の卸売販売が停止してた→大戦の影響で諸工業が活況になりそうなので1月までの減産を打ち切って製造に転じたと。