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2017-08-09 [長年日記]

[煉瓦][] 明治期大阪に於ける煉瓦卸売価格の推移

画像の説明

さらにむしゃくしゃしてやった。大阪大学経済学部近代物価史研究会編「明治期大阪卸売物価資料(4)」からデータを拝借。明治25年から45年までの並型中等煉瓦の卸売価格をプロットしたもので前掲のピンクのにつながる。原典データの出処もほぼ同じ(大阪商業会議所発行の月報とか物価表とか、前日のは同所の統計年報)なので数字の質や精度はそれなりにあっていると思うが

・明治31-44年は1月につき上中下期の卸売価格とその平均値が載っているので平均値のほうをとった

・なぜかM37.12~M38.12は上期のみ掲載で平均値も=上記の価格。

・M43.5の平均値は月報掲載値と上中下の平均値が異なっていて原本が間違っているらしい。上表では上中下期の平均値にした。

明治30年頃にピークがあるのとM30設立の煉瓦工場が多いのが(会社設立して生産に至らんかったやつも多いのが)対応しているのが興味深い。煉瓦造りが金儲けになると知って慌てて参入したものどもである。して供給過多となり煉瓦価格は低迷して会社も減ったとは大阪府誌@M34にも書かれてある通り。

明治40年代のピークは何だろう? 日露戦争の戦後復興にしては少し離れているきがする。でも大正8年にピークがあったのと同じ現象なのかもしれん。起業熱高まる→会社設立→工場建設となると多少タイムラグが生じてよい。M30も日清戦争から数年外れてるんだから賠償金をかんがえたりしたらまあそんなもんか。

それにしても大正9年のピークがでかい。このグラフと前日のグラフは縦軸が二倍近く違うんだと二馬身の老婆心がいう。

足りない奴はすべて市立図書館にある。ブラボー。でも行く時間がない。


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