nagajisの日不定記。
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何を寝惚けていたのか知らないが工場通覧T9版のデータがごっそり抜けていた。確実に工場だと言える貴重なデータだというのになんというぞんざいな扱い。慌ててテキスト化してExcelに放って表に反映させたら五稜郭煉瓦工場とか上毛煉瓦工場とかここでしか出て来ない工場がいつくも見つかって阿の鼻が叫ぶ喚くである。
大阪近傍では明治30年という年に一つの境があって、この頃に登場した数多の煉瓦工場の中から日本煉瓦とか津守煉瓦とか丹後竹村とかが成長していく。全国的にそういう傾向なんだろうと思っていたけれども、それはどうやら早とちりで、せいぜい西日本にしかあてはまらないようだ。関東ではそこまで明確なマジックナンバーではない。むしろ大正6,7,8年の大戦景気の頃に株式の会社がバカスカ生まれて皆死んでいく。大戦バブルを具現化している。関西ではどうだろう?その頃生まれた工場といえば印南郡辺しか思いつかぬ。大阪煉瓦(二代目)とかもそうかしら。
工場通覧T9を作り終えた後で日本全国商工人名録M25が気になってめくり直してみたら日本煉瓦製造の社章が見つかった。そういえばこれ入れてなかったな。他のはどうなんだろ。とか思って調べ直したら大正時代にも出てるのね商工人名録。こいつには社章屋号の記載がある。それでざっくり眺めてみたら大久保煉瓦工場(大久保清吉)の屋号マルキヨを発掘したりした。白石耐火もあったが若干不鮮明。それっぽいのをでっちあげておく。
商工人名録は東日本よりもむしろ西日本で発見があり。愛知の明治煉瓦の社章を拾ったりーーーこれは長くやっていた工場だからどこかで刻印煉瓦が見つかりそうな気がするーーー平坂煉瓦のもっと鮮明なのを見つけたり。大分県の県章みたいなあのマークは「平」の字を意匠化したものなんだななるほどな。明治煉瓦だけ作って反映させておく。
なんだかんだいって東日本も社章屋号がずいぶん溜まった。ただ屋号印はほとんど出て来ない気がする。北海道のマルコメとかヤマダイとかマルキヨとかは聞かないもんな。それが誰も見てないせいなのか本当に使ってなかったのかは判断しかねるが。
サイトー煉瓦のマルサと和歌山の○サは同じものか否か。函館製瓦の|||と加藤春吉商店の|||と岸和田の|||は。敦賀のミツワは石黒煉瓦なのか片山煉瓦なのか。大正期にもなると舟運隆盛でバラス的に積んで運んだのが出て来そうな気もするのであるが、それでもやっぱり潮岬を回って東西に行き来していた姿は想像しにくい。鉄道でひたすら運んでいったという想像も難い。だいいちそんな長距離をガタガタ揺られて運んでいたら角が欠けまくるだろ。いくら薦で巻いていたとしても角打ったら欠けるに違いなく。