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2021-11-18 [長年日記]

[挾物] 詩

少女のように花をつむ
おだやかに晴れた日の午さがり
いつか 遠い昔 そうしたように
れんげに たんぽぽ
甘い香が ただよう
私はしあわせ
みほとけに たてまつる花
心をこめて 少女のように花をつもう
(1967.5.4. M.U.)

誰に見せるでもない、自分のために書かれた日記に書かれてあった詩。本人と、通して読んだ人にだけわかるこの気分、飾り気のないささやかな幸せの謳歌がとても心にしみた。

末っ子はこのお母さんの気質を十二分に受け継いだようで、たいへんすてきな日記を書いている。詩も詩的表現もふんだんで、しかも素直な日記。自分が小6の時にこんな素直な文章を書けただろうかと思う。大人受けするために妙にひねくった、ひねこびた作文しか書けなかったと思う。うまあ書く必要なんてなかったんだということを振り返ってみて強く理解した。もしいま読書感想文とかに悩んでいる子どもがいたらどう伝えよう。「思ったことをそのまま書けばいいんだよ」といったところで、自分のようなヒネ子どもは、その言葉に頷きつつ、でもやっぱりきれいな文章とか感心させる文章とか書かなきゃ(しめいかん)と思うに違いない。同級生の書いたぎこちないくだけた文章をみて、こんなんじゃだめだと思うに違いない。

大人は子どもの文章に何を期待するかって、自分が子どものころに思ったり感じたりしたことを思い出せるような、あるいは凝り固まった大人の頭ではとうてい思いつかないような柔軟な発想を期待している。うまい文章なんてこれっぽちも望んでいない。話の理論的な階段を二、三段すっ飛ばしてしまっていてもいいのだ、そのすっ飛ばした空隙に思いを致した時にあわよくば子供のころの感触を取り戻せるのだ。描写が正確でなくったっていい。ああ!そんな発想があったか!と思わせるようなのに大人は惹かれる。

んでそういう気分を、なんと40年近くも引きずり続けている私なのだ。救いようがないというか、ここまでくればかえってすごいと思ったりしないでもない。


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