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旧道倶樂部録"

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2022-01-04 [長年日記]

[独言] 糞便談

この三が日は自分のうんこについて知見を得る所大であった。

経緯はこうである。元旦の帰りのフェリーで晩飯を食っている時に、誤って差し歯をひとつ飲み込んでしまった。昨年の秋頃に治療した時に作り直してもらった右の犬歯なのだが、治療の直後から少しぐらついていて、12月の頭頃にクシャミをした途端にすぽんと抜けてしまった。さっさと元通りにしてもらえば良かったのだろうが例の原稿に時間を取られてその暇がなかった。そうしてふと思いつき、入れ歯安定剤で留めてみたところ案外何とかなりそうだったので暫くこれで我慢することにした。年明けに一段落してから行けばいいやと。

その犬歯が食事中に抜けて一緒に飲み込んでしまったわけであるが、そうなる前にもう少し前フリがある。行きのフェリーの甲板で、あと少しで宮崎に着くという頃、初めて目にする宮崎の青々とした海岸線を見ながらクシャミをしてしまい、その勢いでまた抜けてしまった。クシャミをすると抜けてしまうと思い出した時にはすでに勢いよくハクションとやってしまっていた。いかん!と思った直後に右手に軽い衝撃。飛んだ犬歯が当たったらしい。慌てて辺りを探してみたが抜けた犬歯は見つからず、跳ねて海に落ちてしまったのだろうという結論に至らざるを得なかった。その諦めた時の切なさといったら言葉に表しようがない。入れ歯安定剤は1日しか持たないので旅先にも持っていっていたのだが此の日は面倒臭がってまだつけていなかった。それを怠ったために紛失してしまったことになるわけで、あの時やっておけばよかったという取り返しのつかない後悔をしなければならなかった。それに加えて一旦は自分の手に当たっていて、海に直接inせずに済んでいたのに---甲板の手すりに手をかけつつクシャミをしたので50cm前方は海なのだ。手に当たっていなければダイレクトにinしていたはずである---、その瞬間までは図らずも自分の失態をカバーし得ていたのに、それが効果を発揮せず結局は海に落ちてしまったらしいという事実を認識せざるを得ないという切なさ。橋の欄干の上でカメラをお手玉してしまい落としてしまったようなものである。

正月早々やっちまったなあ……これから山仮屋ダッシュしなきゃっていう大事な時でもあるのに。そう思いながら踵を返して客室に戻ろうとした時、勢いよく投げ出した右足の先でカラコロと音がした。もしやと思って見てみれば犬歯。どうやら自分の足の甲に落ちて、それに気づかず甲板上を探し回っていたようだ。奇遇と言うべきか阿呆と言うべきか、とても評価に困る一幕を演じてしまい、そのせいで初日の出の昇る瞬間を見逃した。

そんな数奇な犬歯を、その日の晩に飲み込んでしまったわけである。まこと記憶力のない男と見えて晩飯の前に入れ歯安定剤を使うのを怠っていた。そうしてバイキングの最後におでんを食うことにし、餅巾着をもぐもぐごっくんした時に一緒に飲み込んでしまったのである。噛んだ瞬間に熱い汁が迸り出て口の中アッチアッチにならないよう気を使っていて、そのことにばかり気を取られていたため、存外に熱くないことに安心してするすると飲み込んでしまった。飲み込んだあとで犬歯の不在に気づき「しまった」と思う始末である。

甲板で失くした時に比べればショックは小さかった。何となれば犬歯はまだ自分の身体の中にある。意識の届かない不明な場所にあるわけではない。さらに言えば犬歯はもともと自分の身体の中にある。その位置が少し変わっただけだという見方もできる。要するに紛失してしまったわけではないわけである。あとで下から出てくるだろうし。

犬歯が一本足りない口で残りのおでんの大根を食べつつ思う。下から出てくるのは確実としてもどうやって回収したらいいだろう。うちの便所は(というか今どきの便所はどこもそうだろうが)様式便器である。落ちたうんこを分解して中身を漁るためのスペースが乏しい。排出口に溜まった水にダイレクトインしてしまうとその後が面倒だ。そういえばオランダの大便器は日本と構造が違うということをこの間知った。排水口が前方にあってうんこが落下する場所に便器の肌がある。排出したうんこは排出した時の形を保って眼前に展開されるわけである。その仕組に対して信じられないというコメントが多数寄せられていたけれども、排出したうんこを毎回目にすることで自分の健康状態を知ることができると指摘したコメントもあって瞠目したものだった。いまの私はそれにもう一つの擁護コメントを加えることができる。飲み込んでしまった大事なものをうんこの山から探し出す時に便利である。

さらに仕上げにサラダを食べながら考えた。結果、流しのディスポーザー用の水切りネットを利用することを思いついた。あのネットの中に排便してネットごと洗えばいいのではあるまいか。思いついた瞬間はこれ以上合理的な方法はない、さすがはnagajisと賛を惜しまなかったものである。

しかしまあ、いま飲み込んだ犬歯はどれぐらいの時間を経て排出されるのであろうか。いつ水切りネットにうんこすればいいのだろうか。そういえば、食べた食事が消化され便になって出てくるまでどれくらいの時間がかかるものなのか考えたことがない。いろいろな例を思い出しているうち、インドカレーの大辛を食べた日の翌朝の排便が痛かったことを思い出した。未消化の辛味成分が肛門内壁を刺激しての傷みと思われるのだが、それが食事の翌朝ということは、12時間も経てばもううんこに変じていることになる。意外に早いように思われたがどうだろうか。人間の摂取した食品の体内通過時間はそんなものだろうか。これが昨日の晩でなくて良かったな。旅先ことに船上で水切りネットを手に入れられるとは思えない。

そうして2日の朝、無事神戸港に入港し、どこかへ寄り道することもなく自宅へ戻って、真っ先にやったことが水切りネットへの排便だったわけである。そうして実際にやってみて、思っていたほど楽な行為でなかったことを思い知った。まずもって水切りネットを肛門の下にあてがった状態で排便するのが難しい。洋式便座だと特にである。腰を浮かせて水切りネットを臀部に押し付けてやると力むことができないし、かといって便座に座ると手が挟まれて痛い。結局はその傷みを我慢しながら座位で排出するしかなかった。肛門の真下に水切りネットをあてがうのも地味に難しい。この辺だろうと見当をつけてあてがって排便してみると妙な重たさを指先に感じ、ネットの壁に引きずっている感じがする。ちゃんと内側にinしているのかどうか心許なくなる。加えてネットが柔らかいものだからうんこの重さでずんと垂れ下がる。その垂れ下がる感じがやはりネット外への崩出を想起させて、とにかく気が気でないのである。

この時はとりあえず漏らさずすくうことができた。次は洗浄である。うんこの構成物の大半は剥がれ落ちた腸内細胞壁の成れの果てだという知識があったので、シャワーをかければすんなり溶けていくものとばかり思っていたのだが、意外にもなかなか溶解してくれなかった。少しずつ少しずつ表面が洗い流されていく感じだ。40数年間毎日のように排便していて初めて気付かされる事実である。そうしてネットの網目に捉えられた残滓の多さも意外だった。大半は消化し切れなかった野菜類のようで---特にトウモロコシだけが消化されにくいわけではないのだ。レタスやワカメの成れの果てと思しき緑みを帯びた塊が大量に残っていた---、その量の多さにも瞠目させられた。食物繊維を多く含む食品を食べると腸内を掃除してくれると教えられているけれども、てっきりドロドロになったその食品の食物繊維の成分が効果するものだとばかり思っていた。食物繊維を多く含む=完全に消化できない=半塊となって腸内を通過するため腸壁を削り取っていく=この有様なわけなのである。これもまた自分のうんこを濾してみたりなどしなければ一生気づくことがなかっただろう。結局こうした未消化分は全うんこの半分から1/3程度にも達するらしいことを知れた。しかし肝心の犬歯は出て来なかった。残滓の中にトウモロコシの皮が多数含まれていたので昨日分が出て来ているのは確かなのだが、他よりも重く嵩張る形状であるのだからどこかに停滞しているのかも知れない。うんこという粘性流体の力学を思いつつ第一回のうんこ洗いは終了した。

見つかったのは翌日朝の排便中にである。はじめに排出したうんこはいかにもモリモリといった感じの勢いのあるもので、その勢いのせいでネットで捉え損ね、便器水中に転落してしまった。引き続いて出てきたうんこは前のものとは又違う質感。こちらが昨晩(2日晩)の食事の成れの果てらしい。捉えられたそちらには確かに犬歯は入っていなかった。問題は便器内に転落してしまったほうで、その中に入っている可能性が非常に高かった。ここで失敗をすると甲板上のクシャミで失いかけたのと同様の切ない思いをする。慎重を期して手掴みでネットに掬い込んだ。こううんこうんこと考えているとうんこが不可触なものでなくなってくるから不思議なものである。むしろ不当に遠ざけていたことを陳謝したくなってくる。人間誰しも毎日のように排出しているものなのなのに、この世に存在する汚穢の中の汚穢、汚穢の極みのように思われているのは不思議である。確かに臭いし手についた臭いもなかなか取れない。忌避したくなる気はわかる。しかし自分の身体から出たものであり自分の分身とも言い得るうんこである。愛しむ気にはさすがになれないしその必要もないだろうがもう少しきちんと向き合って見るべきというか理解を深めるべきであったと思う。

ともかくそんな鷲掴みしたうんこの中に犬歯は含まれていた(昨日のにも増して溶けにくかったのは餅巾着の成れの果てだったからだろうか。色と臭いが全く違うだけで手触り等も含め餅のようなのである。そんな餅様うんこがそれだけの塊となって出ていたことも目から鱗の新知見であった。もっと消化されるものとばかり思っていたのだが)。見つかった時の安堵は格別なものがあった。甲板で紛失せずに済んだ時の安堵には及ばなかったが。

見つかったのはいいのだが、はて、これ、どうしよう。出てきたからには再装着したい。けれどもうんこから回収したものである。

見つかる前からうすうす感じていたのだけれども、いざその判断をしなければならなくなると、やはり戸惑う。排泄したものをまた口にするのはさすがに気が引ける。こうやって一生懸命うんこ浚いしたのも、再利用したいがためではなく「無くしたものを再び取り戻したい」というところに大きな動機があった。見つかってしまえばそれはひとまず解消される。満足される。

けれども、一連のうんこ考を経てうんこに対する見方がずいぶん変わっている自分にも気付かされている。奇を衒って弄ぶのではなく観察思惟の対象として見たうんこの価値に気づき始めている。自分という生命体を維持するための摂食行為の結果物であって、自分の血肉になれなかった残り滓だとはいうもののやはり自分と強く絆されているものであることに変わりはないのだと、これも奇矯ではなくそう思えるのだった。

とりあえず洗って、洗って、数時間ほどハイターに漬けておくことにした。自分の体内を一巡してきた犬歯は旅の初めの時よりもきれいになっているように見えた。そう書くと馬鹿に詩的だが要は胃酸とハイターのせいだろう。むしろ胃酸でほとんど溶けていないようだったのはホッとした。そうしてその日の晩頃から元の席についている。なかった間に採った食事で歯茎を痛めていたせいで再装着した直後しばらくは痛くて痛くてたまらなかったのだが、いまはそれも収まって何事もなかったかのようになっている。


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