nagajisの日不定記。
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モルタルを剥がしてネオナイス(塩酸10%洗剤)で残りを溶かし去る作業をすると、濡れている間はきれいに見えるのだが、乾いてくるにつれて白い粉がふいたようになる。最近始めたクエン酸洗浄でもやはり同様。湯につけるとすぐには溶けないがブラシで軽くこすると溶ける(取れる)。
モルタルのかけらが残っているところはその周囲に顕著に出てくる。その白い結晶を250倍のハンディ顕微鏡で眺めると残っているモルタルとほとんど同じような形で析出していることがわかる。違うのは色だけ。モルタルに含まれるカルシウム成分が溶けてカルシウムイオンになり、水と一緒に煉瓦に吸収され、それが乾燥とともに表に出てきて二酸化炭素に触れて炭酸カルシウムか何かになっているのだろうと思う。これは以前読んだ『煉瓦の風化物に就て』でいうところの数年後に析出するやつと同じものと思う。
煉瓦が水を吸う性質がある以上、またモルタルを酸で溶かそうとする以上、どうしてもカルシウムイオンが発生するし吸い込まれる。酸で洗浄する前に十分に水に浸して吸水させておくべきなのかも知れない。この手の風化物は確かに、川の底から回収したような煉瓦では経験しない。地上に転がっているモルタルの付着した煉瓦を清掃する時に出てくる。
これを落とすには薄い酸性の薬品(酢を薄めたやつとか)で洗うといいとどこかで読んだ気がする。レンガ建築が盛んだった頃にはこの風化物に悩まされる建物が多かったようだ。確かにあまり見目宜しくない。しかし乾いた状態に酸をぶっかければまたカルシウムイオンが溶け込んで元の木阿弥になってしまいそうである。
さっきやっと納得のいく理由がわかった。下駄は両手にはめるのだ。そして長手を左右から挟み、左手の下駄の上に立てるようにすくう。そのすくう動作を右手の下駄で補助しようとすると、下駄の横腹、あるいはその縁の角で長手を押す形になりやすい。あるいは角でえぐるような押し方になってしまうこともあったろう。それが正確なV字の溝でなく「レ」の字のような断面になっている理由。縁からの距離は下駄の板の厚さに近い。あるいは筋の位置で支えれば必要最小限の力で支えられるのではないか(感覚的に)。
左手の下駄に取ったときには長手を下にして立っている。そこから右手の下駄で平を受け、左の下駄で反対側の平に持ち直し、取り板に戻せば長手で立った状態になる。この下駄に印がきざまれていれば両側に打刻されることになる。持ち直す時にあたふたするときれいな刻印にはならない。持ち直せば二重三重の打刻になってしまう。
江別の『れんがと女』にある、解説仕切れていないあの手順がこれではないか。左の下駄の歯が削れやすいというようなことも書いてあったはず。それは左手の下駄を持ち上げた素地の下に滑り込ませるようにするためで、その動作の時に取り板と歯が擦るからだ。
ごく稀に長手に打刻されているものも、わざとそこへ打ったのではないのだろう。すくって取る時に勢い余ってそこへ乗ってしまうこともあり得る。下駄の中央に刻印が造り付けてあれば、して下駄が平と同じか一回り大きいくらいであれば、長手を挟む時に中央の刻印が長手につくことはないはず。長手に取る時に勢い余って粘土が真ん中へんに飛んでしまえば。しかしそうすると両方に同じ刻印が刻んであったことになるな、裏表で全く同じ刻印だとすれば、刻印は片方だけで、持ち直すか反対に回ってはさみ直したことになる。ああそれは、型枠に入っている状態の時に打てばいいのか。下駄のときに打つんではなくて。
考え続けるって大事だね。