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旧道倶樂部録"

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2025-10-25 [長年日記]

[アジ歴] 鐘ヶ坂

http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20180301&

須永綽 M15以降は鳥取県

https://www.digital.archives.go.jp/img/2498509

https://www.digital.archives.go.jp/img.pdf/2446872

土木費補助の件 はじめ拒否、M16に特別許可 土木費下げ渡しの廃止と絡み

https://dl.ndl.go.jp/pid/13059223/1/221

兵庫県会誌 第一巻 M21年度に鐘ヶ坂隧道ほか県道路線数線修繕、工事費不足によりM22に継続、ちゃんと計画立てろよと添申

https://dl.ndl.go.jp/pid/765803/1/105

M44多気郡誌 隧道中に水滴落ちるので数年前に亜鉛板を張りその下に煉瓦を畳んで滴水を防ぐ

https://dl.ndl.go.jp/pid/12670549/1/77?keyword=%E9%90%98%E3%83%B6%E5%9D%82%E9%9A%A7%E9%81%93

目で見る三田・丹波の100年 : 三田市・多紀郡・氷上郡 S9頃の柏原口 補修なし

[帰宅][きたく]

画像の説明 画像の説明

29年分を取り返してきた。あのときは多分、果てしなく続く廃道に危険を感じて途中で引き返し、西瓶割峠のほうを超えたのだ。それで正解だったのだろうか? 行っておけばもっと早くに担ぎ藪漕ぎの無駄なことを思い知っていたかも知れず、少しはまっとうな人間になれていたかもしれぬ。当時はそれより鐘ヶ坂隧道に出会ったことのほうが衝撃的で重要であった。その影響のほうが大きいかもしれぬ。

鐘ヶ坂も、行けば行くほど新しい発見があってうれしいが、対厚比法では太刀打ちできない複雑さであることがわかってナンダカナァである。丹波口はモジュラーだとしても西口はなんなんだ。二寸三分厚に二寸目地で3インチなんてまるで山陽形だが長さがぜんぜん違う。そのくせ丹波口でも石の厚さは多分1尺なんだぜ。2-1/4インチ厚なせいでモルタル詰め込んで誤魔化している。なぜに東西で煉瓦が違うのか。そして瓦礫に中央区間の2.2寸だけでなく2-1/4インチらしきものも混じっている謎。ハンマーを持っていかなかったので何も出来ず終いになったのが残念である。ハンマー携えてその確認のためだけに再訪してもよい。

佐仲峠を降りてきたところで東のコンビニに向かったのは間違いだった。そのまま西へ出て176沿いのコンビニに行っておけば19時半からナイトランしたりせずに済んだだろうに。しかしそんな無駄足を踏んだ上でエクストラもこなせるくらいには体調がよくなっていることが何よりもうれしい。絶望の底のヘロヘロ行ではなく確固とした自由意志に基づく夜行の敢行。そのお蔭で鐘ヶ坂も深掘りできたわけだし。

こういう旅があと何度できるだろう。毎回そんなことを思い、忘れた頃にまたする。その繰り返しで人生が果てるに違いない。後ろ向きの発想ではなくひとつの覚悟として覚え書く。


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