nagajisの日不定記。
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唐突だが大阪にお住まいの皆さん、箕面リサイクルセンターってご存知だろうか。箕面のゴミ処分場に隣接していて、廃棄された自転車や家具等々のうち、まだ使えそうなものをここで譲ってくれる。
ここはなかなか面白いところで市民ボランティア(NPO)によって運営されている自転車の修理工房がある。廃棄された自転車をその場で直して持ち帰ったり、自分の自転車を持ち込んで修理したりできるのだ。
貧乏学生の頃はよくここのお世話になった。自転車をバラす工具が一通り揃っているし、作業スペースは広いし、パーツは幾らでもあるし、コンパウンドやグリスも自由に使えるし、それでいて無料だし。箕面の山中へわざわざ自転車を修理しに行ったり、作ったママチャリを売って小銭を得たり。
で、また貧乏になった昨今、自転車の調子がダメダメになってきたので、久し振りにお世話になりに行った。
症状は2つ。ヘッドのリテーナーがバラバラになってしまいベアリングの玉だけになっていたのだが、ギィギィ軋んでハンドリングに影響が出るようになったのでリテーナーを交換したいというのが一つ。もう一つはボトルゲージのネジ山をナメてしまって外せなくなったので、何か方策がないだろうかという相談だ。
ノーマルヘッドなのでそのへんのママチャリのを流用しようと思えば出来ないこともない。たぶん買っても数百円の出費だろう。しかしその数百円で資料が数十枚コピーできることを考えると無駄な出費は極力抑えておきたい(先日タイヤ買わざるを得ない状況に陥ったしな)。それに何より、久し振りに、自分の自転車をいらいたい。要は気分転換したいわけだ。
自宅からセンターまでは小一時間+α。何度行ってもすごい山の中だ(途中で何度も押した。脚力落ちたどころの話じゃないのよ)。工房はセンターの裏手にあって、以前とちっとも変わっていない。いや、持ち込み修理で出たゴミは持ち帰って処分しなければならなくなっていた。わずかであっても他所の町からゴミを持ち込むことになるわけだからな。それくらいは厳しくやってもらっていいと思う。
リテーナーを交換し、シートチューブの錆を落とし、フロントのアーチワイヤを交換し、と好きなようにいじりまくり。ボトルケージのネジはとりあえずドリルで頭を落とすことができたがネジ山がまだ詰まったままだ。これはまた方策を考えよう。珍しくフレームの生きている折り畳み自転車がまだいくつかあったりして(日曜日の午前中なんかは特に大繁盛するのだ>ココ)、思わず一台作って帰りそうになったが、かなり悩んだ末に諦めた。持ち帰っても雨曝しになるだけだしな(うちの下宿には自転車置き場のようなものがなくKUWAHARAはいつも雨曝しだ)。
かわりにサンダルを一ついただいてきた。以前履いていたサンダルがダメになりつつあったような気がするので。「それくらい買え!」などとつれないことは言わないでいただきたい。そんな金はないのだ。
ママチャリや子供用の自転車で良ければ、行けば必ず作れる(はず)。時間をかければ新品同様の自転車を作り上げることも可。自転車好きなおっちゃん達が寄ってたかって手伝ってくれるからな。行って作る時間と手数が惜しいという方はnagajisを突つくと代わりに作ってくれるかも知れない。お安くしとくよ。
帰宅してからはひたすら地図を書く。進行状況だとか作成することの意義など考えず、とにかく無闇に書かないと終わらないことを昨日悟った。前半の山場を何とか乗り越えた。今週はずっと図書きで潰れるかも知れない。それ以外のこともちゃんと計画しとかないと。
いやーん♥
といった時の♥の扱いが気にくわない。なぜこの記号だけ 特別扱いなのか。
記号(シンボル)には多種多様なものがあって、たとえばトランプ記号には♠♣♦♥の4つがあることなどは周知の通りである。そのなかで♥だけが頻りに使われいろいろなものの隠喩暗喩としてちやほやされている現状に納得いかない。もっと云えば世の中には♥ばかりが溢れている。それでいいのだろうか。何もみんなで手をつないでゴールしろだのということを云うつもりはないが、これだけ特別扱いされているに疑問を呈したいのである。
法政大学出版局の「石垣」を読んで思うところあり、柱本の手堀隧道へ行ってきた。先日といっても少々前のことになる。そのうち報告書に反映するか。
隧道は内部崩落のため通行禁止。密かに心配していた舗装化の件も全然進行していないようだ。今後どのような措置が取られるのだろう。
ずいぶん大きい&クリティカルな崩落。もともと隧道は地山を掘り越し過ぎたらしく、石巻のうえにかなり大量の石を詰めているのだが、その上の岩盤がごっそりと崩落して隧道巻きの途切れた所から雪崩落ちている。芳しくない落ち方だ。崩壊が進めば石巻ヴォールトに偏った圧がかかることになる(今でも相当偏っているはず)。そう長くないのかも知れぬ。
そもそもこの隧道の地山はほぼ全面が堆積岩で、掘りやすいには掘りやすいのだろうけれど、その後がどうにも良くない。ギシギシに詰まった石片を掘抜いたようなもので、壁や天井のあちこちで薄く剥がれた岩盤が落下の機会を窺っている。ちょっとの振動で2、3片は軽く落ちて来るだろう。ここの危険は本物の危険である。
ポータルの石組みの見事さは何度見ても見飽きない。今回は一つ面白い細工を見つけた。細川側の石の角が一つ、重みで欠けているように見えるのだが、そうではなくて最初から、詰め物をする如くにして小石を挟んである。水をはかすためにわざと隙間を開けたのか、それとも積む段階になって欠けているのに気づいたのか。
もう一つ、ヴォールトの積み方が常でないことに気づいた。石巻きでも通常は煉瓦の長手積みのごとくにして互い違いに組み合わせて積むものだと思っていたが、そうではなく、一重のアーチの列を複数並べているに過ぎない。原理的には大変弱い構造のはずだが工作のしやすさからいえばこちらのほうが上だろう。工法の新旧をつけるなら間違いなく旧工法といえるものだと思う。因にアーチは荒い切石の整層積みということになるが側壁に相当する部分は乱層切石積みである。細川口は起拱線が肩の高さの辺りにあり、実質的なアーチはごくわずかである。
参考P。田舎にある藤の木橋という石橋。長手を横に取って布積みに積んである。上から落とし込む形で積んでいける石橋はこの積み方でも困難はないだろう。隧道のように石を横から押し込んでいかねばならない場合は、長手を横にするのは作業効率の点で劣る。柱本隧道のアーチもかなり苦労した痕跡がある(最後の一石がひどく薄かったり)が、それでも面をそれなりに合わせて細工してあるのは、よほどの上手が関わったものと見える。この面の合わせ具合をじっくり追っていけば、巻きが外から内へなされたのか、それとも逆だったのか、わかりそうな気がする。近代的な隧道建設では外→内が普通だった。
隧道内に落書きがあったので蹴り崩しておいた。前回はなかったはずだ。こういう馬鹿が来るからネットにあげるのをためらわれるけれども、一列複数巻きの意味がわからないため誰とはなしに問うてみるため載っけておく。この隧道の存在価値および「身の危険」がわからないやつは廃隧道に来るな。といつになく攻撃的なnagajisであった。まる。nagajisだって判ってるか知らんものな。
JIS男・・・
前回見つけた木馬道Pが失われてしまったようなので、代わりの鼻血画像を提供する。尾鷲市史より引用。
こんなのでよくやってたな・・・というかそんなに一度に渡らないでほしい。
どの軌道を写した物なのかは正確にはわからない。尾鷲の北山、又口川流域か柳の谷のどこかだと思われる。そもそも又口川流域は紀伊半島のなかでも特に早くから軌道や索道が導入されてた所なので「さもありなん」と思えないこともない。何しろ索道−稜線軌道−索道−平地軌道−牛馬道とかゆう曲芸をやってたところだからな。
運んでいるのは製板された材木。このエリアでは早くから現地製板が行なわれていた。そうやって体積減したものを効率よく運んだわけだ。そのために作られたのが坂下隧道であり建設を可能ならしめた尾鷲林業家の財力があった。無論、現場で働いた人びとの豪胆も。
スペックジャンク的に安売りされていた手巻式時計にベルトを作った(写真右).
ベゼルの色にあわせてグレー寄りの茶色のスエード皮を採用.これと近似色の鬱金色の糸に水色糸を交えて爽やかな?感じを狙った.野暮ったくなくていい感じ.厚さもちょうどいい加減になった.前回作ったやつ写真左は薄くてペラペラな感じになってしまったからな.その反省として厚地皮3枚重ねにしたのが正解のようだ.ステッチの雑さは手縫いの味ということで.どうせ自分しか使わんのだ(穴も一つしか開けてないし).
時計の方は大したものではない.1960年代から70年代にかけて作られたという手巻き式時計.デイトがついているがこれだけ回すことができないような普及品だ.しかし採用されているショックアブソーバーはビルの屋上から落とす落下デモをやって無事だったという代物で,そのせいか機械式とは思えないほどの精度が出ている.普段から気兼ねせず使える機械式時計があったらいいなあと思っていたのでちょうどいい選択だった.40mという中途半端な防水機能もいい.そんなに深く潜る予定はないが,汗かきなので防水が効かないと困る.
ベルトの素材は一枚100えんの皮の端切れの山の中から.ぜんぶ一所で手に入るのが素晴らしい>四天王寺さん
少量の湯に中華スープの素と塩を溶かし,タバスコで辛味を添え,鮭フレークを加えて絡めるように炒めたスパが新紀元を画するハズだったのだが
という代物になってしまった.水で煮てスープスパに逃げた.料理の才能なんて無いんだと思う.謝れ.鮭フレークに謝れ.
ていうか昨日のミートソースを使えばよかったんじゃね? あれを消費するためにこの麺を買ってきたんじゃなかったっけか.
(2)帯解町の四ツ辻の角、川のそばの上にあったが、道路が拡張されたためとられ、今はどこかに行っているが、たしか五ヶ谷街道の道路標であろうと思う。
違うよ・・・それが道路元標だったんだよ・・・。
玉垣は昭和12年寄進。さすがに古すぎるな。後からほうったか。
明治村、二階堂村。佐保村はどうだろう。
ちと間違えていた。国立国会図書館にはない。天理大学だ。希少図書じゃないから行けば見せてくれるだろうが、また天理に行かないといけないのか……。結構行きにくい位置にあるのだよな天理って。
大和煉瓦の創立年がよくわからぬ。明治39年だったり40年だったり大正だったり。名前が少しずつ変わっているのでその都度設立なのかも知れない。大和煉瓦(T3/M40.7.:帯解郷土史・郡統計書)>大和窯業(T13/T8.12:窯業銘鑑)>大和煉瓦稲田工場(S10/T10.5:工場通覧)>S15工場通覧で消滅。取締役は一貫して稲田修治氏なんだがな。んでM40設立だと開通年次と合わんやん。
帝国銀行会社要録第12版(大正13年度版)等に吉野煉瓦株式会社というのを発見。吉野郡大淀村、大正9年3月創立、資本金5万円、代表取締役吉井清三。昭和10年代の工場通覧には出てこない。大淀の小学校が確か昭和4年。
四天王寺の門前の○五刻印煉瓦、新しい壁が出来て消滅してしまった……。永久に在り続けると思うな煉瓦と道。そして金。いや最初から在り続けるだろうなんて思っちゃいないけど。製造者も不明なままとは寂しいことだ。
_ multi [学生の時の「基礎地図学実習」を思い出す。あの頃はトレーシングペーパーにフリーハンドで描いてレポート作成に使ってたけど。 ORJが「学術研究の場」であればいろいろクリアできる部分があるんだけどね、と..]
_ nagajis [やっぱり・・・ねじりまんぽ作ったり受付が出てきたりするから・・・ ハッ! 質を落としてるとはこういうことかっ!!]