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2006-10-25 記憶を盗まれた話 [長年日記]

[独言] (今日はすべて個人的な話です。スミマセン)

 会社に行こうと思って階下に降りると、いつもの場所にあるはずの自転車がなかった。あれ?どこ留めたっけ? しばらくして昨日コーナンに行ったことを思い出した。

 キャリアのネジがなくなってしまったので、出社前にそれを買いに行ったのだ。ついでにいろいろ物色しているうち、そろそろ棚が一杯なのを思い出して、急遽スチールラックを購入。担いで持って帰ったのは覚えている。帰りに雨が降り出して傘がわりにした。スチールラックで傘かいな。お目出度いな。んなことを思いつつ。

 で、行きがけに自転車に乗ってって、乗って帰り忘れたのだった。すごい馬鹿。その雨のせいで電車で行ったものだから余計に気がつかなかったのだ。

 慌てて取りに行く。相棒を置き去りにしてきてしまったことへの自責の念にさいなまれる、というようなこともない。直観的に「まだそこに残っている」ということがわかるから。(10年乗ってきたんだ、それくらいわかる<なんて偉そうなことを一度言ってみたかった)

 確かに自転車はあった。が、サドルと、キャリアにつけていた輪行袋が奪われていた。ついでにタイヤの空気も抜けてシオシオ。状況はヒサンだが不思議と悲しくはならない。あんなボロイもの持って行くとはよほど恵まれない環境のひとなのだろうと思う。タイヤの空気は放置自転車っぽく見せかけるフェイクだろう。

画像の説明 サドルはどうでもよいがシートポストはちょっと惜しい。CONTROLTECHのノーマルサイズ。値段は覚えていない。考えてみれば一度も変えたことがなかった。確か2年の時に買ったから95年のこと。あれ以来、ともに峠に登り、ホハレ峠に立ち、3カ月旅をして軽岡峠を二度越えた。五僧峠の峠道から転落した拍子に思いっきりおれの頭をぶん殴ってくれたこともある。そして今の隧道探索。それらを地味に支えてくれた重要なパーツだ。寡黙なぶんだけ喪われた時に気づかされるその重要さ。

 輪行袋は自転車関係では最古参のアイテム(念のために注釈しておくと、自転車を分解してこの袋に入れ、電車や飛行機などに積み込むためのもの)。入部と同時に買わされたオーストリッチのR-420。正確には部推奨の袋があまりに高かったので自分で見繕って買ったのだ。たかが袋に9800えんもするなんて、と憤慨したのを覚えている。しかしこれがなければ自転車旅は始まらない。自転車を遠く離れた場所まで運べる魔法の袋だったし「大阪から来ました!」「ほう大阪から自転車で?そりゃすごいな」といういつもの誤解を生み出す元凶だった。時には枕になり───大きさは手ごろだが硬くてうまく寝つけない───それでもあるほうがマシ───、時には防寒具になり、時には荷物のデポ・バッグになってくれた。穴が開いたのを縫って補修してほつれてまた補修して、ショルダーストラップのフック部分が(留めていたリベットが錆尽くしてふっ飛んだため)壊れてしまったのを平ネジで直した。チャックなどとうの昔にハジけていた。12年か。もうとっくの昔に減価償却済みだ。

 ブレーキワイヤーやタイヤみたいな消耗品と違って、こういう機会でないとそうそう買い替え直すこともないであろうパーツたち。それがためにかえって愛着が湧いて、さらに使い続けるはめになる。確かに不満はあった。シートポストはやたら重いし長すぎてシートチューブに収まり切らないし、輪行袋も修復不可能なまでにボロボロだった。しかしそれを失ったいま、本当になくしたものは記憶の重要な1ピースだと悟らされる。心に寒い風が吹き抜ける小さな穴となって、それは未来永劫、塞がることはない。

 …というわけで、記憶を盗まれた話。なあに大丈夫、KUWAHARAのフレームさえあれば、ね。

 ちうわけで誰かシートポストと輪行袋恵んで下さい(爆


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