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2006-05-11 阿手隧道下見 [長年日記]

GW中はまともに休みが取れず,尾小屋鉱山資料館の館長さんとも都合が合わなくて,9日にようやく下見へ.急行きたぐに→小松駅前で仮眠→下見→とんぼ返りというハードスケジュールで未だに体が重い.

詳細は改めて報告するとして,結論から言うと,入口付近がかなり崩壊していて「掘らないと入れない」.入れたとしても5m位で塞がっている可能性が大きい.何しろ入口が30cm×30cmくらいしか開いていず,腕と頭を押し込んで,ライトで照らした範囲を見るくらいしかできなかった.

そりゃまあ無理矢理入って確かめたかったさ.でも「許可を取ってね」と言われている手前,無視して入るのもアレだし.それに下見だから…ここで全容解明しちゃったら楽しみがなくなるじゃない

画像の説明

2006年5月9日現在の阿手隧道(尾小屋側).あとわずかで完全閉塞.土が積もっているだけだからシャベルか何かで掘り返すのは容易にできる.ただこの穴の奥もこれくらいの高さしかないので,こっちから入るのは難しい.
画像の説明

被った土を掘り返して,頭と腕とカメラ+三脚を押し込んで撮ったのが右の写真.坑道の左側になる.天井とそこからはがれ落ちた岩盤の間に50cmくらいの隙間が開いている.

坑道右側はまだスペースがあって,しゃがんで通れそうな塩梅.この開口部とは別にもう一箇所開いているところを見つけて,そこからのぞき込んだのだけれども,見える範囲では死々累々てな感じだった.3mほど奥で天井付近まで岩が積もっていて,ここで塞がっている可能性が高い.ただし,角度が悪くてはっきりと見えず,本当に3m奥で塞がっているかどうかは不明.この入口付近を乗り越えられたら,あとは何とか行けそうな気もする.かなりヤバいけれど.

阿手側の坑口があった所へも行ってみたが,こちらはひとめでわかるような痕跡はない.尾小屋側もたいがいな状況だったから,よほど時間をかけて探さないと解らないだろう.

阿手隧道の歴史

そのものずばりの資料は鉱山資料館に残されてなかったのだけど,館長さんの勧めで赴いた小松市立図書館でいくつか拾うことができた.

  • 明治27年?完成
  • 尾小屋鉱山と阿手鉱山の連絡のために,古い坑道を利用して建設(尾小屋と阿手は当時は別々の事業体で,明治40年代に阿手鉱山が尾小屋鉱山に吸収される形で合併)
  • 阿手から尾小屋へ鉱夫が通ったり資材を運んだりするのに使われたが,大正8年に尾小屋鉄道ができてからは重要度が下がったらしい.稼働中は阿手の人が金を出して維持管理をしていた,
  • 延長は約580mと約700mという記述が(一つの本の中に)あってはっきりしない.580mは短すぎるように思う.高さ幅ともに2m.内部は素掘りで鉱山の坑道と同じような支保工がなされ,足元に引かれた板を頼りに歩いていた.途中で大きく折れ曲がっていて(これは古い地形図でも表現されている),向こうは見通せなかった.
  • いつごろまで利用されていたのかは定かでない.尾小屋鉱山が閉山した昭和46年頃にはまだ通れていたそうだが,昭和48年刊の鳥越村史では「すでに通れない」とある.館長さんの話では閉山する時に既存の坑口をすべて埋め戻したというから,その時に一緒に塞がれてしまったのかも知れない.

解ったような解らないような記述しか見つけられなかったが,その程度の扱いだったことは間違いない.追加で何かわかるといいのだけど.

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_ あきら@大阪 (2006-05-11 22:22)

乙であります。<br>・・・その坑口の横のバカでかいツーリングマップルは何なのですか?(違)<br><br>もはや廃隧道とは言えない様な廃れ具合。つうか、ほぼ自然に帰ってますやん。それorz


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