nagajisの日不定記。
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歳出経常部第十六疑、県吏員費に関する、二十六番丸橋茂平の質議。
「(略)尚ホ一ツハ土木吏員ガ近頃課長ガ更迭スル後ニ於テ多数ノ異動ガ生ジテ居ルノデアリマス、是ハ何レモ当局者ノゴ都合デ更迭スルコトト思ヒマス、元来官公吏総テノモノ、総テノ吏員ノ更迭ヲ行フト云フコトハ一面ニ利益ガアツテモ又一面ニハ害ヲ伴フモノデゴザイマシテ其人ニ依リマシテハ随分経歴トシテ総テノ方面ニ長所ノアルモノデアリマス、ソウ云フモノガ上司ノモノガ代ルト多ク異動ヲサレルト云フコトハ大イニ考慮スヘキ問題ト思フ、是等ハ何ウ云フ事情ニ依テ更迭サレルノデアルカ、課長ノ考ヘデ前ノ吏員ノ内ニサウ云フ経歴ノアルモノガ少イカラ之ヲ改善スル上ニ事務ニ精通スルモノヲ必要トシテ更迭サレタモノデアルカト云フコトヲ承リタイ」
これに対する堀田義次郎内務部長の答弁はいささか逃げ腰だ。要は土木工事が進歩すると新しい知識を必要とする、ゆえに進歩に伴って新しい知識をもつ技術者を入れなければならない、すると自然に前の者から替えて行くということにしなければならない。「唯普通ノ異動デアリマス、別段変ッタ考ヘデ異動ヲ行ナフノデハアリマセヌカラ左様御承知ヲ願ヒタイ」。引き金を引いた当事者であるはずの山田博愛土木課長はこの議会を欠席している。理由は「体調不良」だ。
十六疑議案の本題は佐和山隧道、横山隧道の建設監督として「五十円の技手」を雇うための県吏員費増額についてであった。そのことよりも隧道建設そのものや進め方に関する質議が何度かあっただけで議案は無修正で可決された。そうして大正六年七月に、埼玉県北足立郡技手遠山貞吉がやって来る。月棒45円、滋賀県技手で1円、隧道工営所主任でもう少し手当てが付いたのだろうか。
案ずるより横山やすし
メガネはデコの上にあるから心配するな。
案ずるより井上靖
甍のうえで紫尾が輝いている
案ずるより生むが野洲市
いらないんだったらやめちゃえば?建設中でも。
案ずるよりいかのおすし
nagajisについていかない/口車にのらない/すぐおこる/すぐジャンプする/何かあってもしんじない
案ずるより井伏鱒二
どのみち棲み家から出られないんだから諦めろ
案ずるより谷岡ヤスジ
アサー
(以下追記)
缶汁より水が安し
当たり前だ
鼻汁より膿が不味し
自明だがそんなもの啜るな
安城より雑司ヶ谷駅
3回乗り換え6,550円
関西一の大河である淀川の歴史は、洪水と河川改修の歴史でもある。なかでも大正6年10月1日は近代以降最大級の河川災害を齎した日として人々の記憶に刻まれている。俗にいう“大塚切れ”である。
淀川河川事務所のサイトに詳しい解説がある。記録的な低気圧に伴う暴風雨で淀川水位が上昇し、まず最初に支川・芥川の堤(高槻市)が切れた。その奔流が裏から本川堤を洗い、それが大塚堤防の致命的な決壊につながった。一昼夜で長200mもの堤防が流失したという。
大塚堤防の決壊箇所から流入した濁流は淀川右岸の町々を呑み込んで神崎川にまで達した。安威川山田川合流点、味舌村(現・摂津市三島町)味舌の堤防、岸辺村の南正尺堤防、吹田町竹の鼻堤防、宮島村野々宮堤防・・・。付近の支川堤防はことごとく決壊した。奔流は合一して下流大阪市まで被害を齎している。被災面積は5,871.3ha、色付けした図がどこかにあったと思うのだが、右岸は阪急線より東がすべて水に浸かったのではないかと思えるほど色が塗られていた気がする。
明治中期から近代技術をもってして行われた淀川改修(新川付け替え)は、実際の所、この洪水の前には全く無力であった。この大正6年の災害をきっかけにさらなる抜本改修が計画され、ただちに実行された。工事は大正12年まで続き、のちに第二次淀川改修と呼ばれることになる。
でだ。村田がここに関わっていたらしい。大正7年4月に埼玉県を退職し、同10月に滋賀県庁入りするまでのごくわずかな期間、村田は大阪府内務部土木課にいた。(つづく。と思う)
筏資料の件一歩前進。いちようやくいんっぽいしごとしたのでまんぞく。やはり通いになるかも知れない。
案ずるより井伏鱒二 どのみち棲み家... ちょっとワロタ<br><br>案ずるより美味いものなし<br>↓<br>会社の人への旅の土産は消えモノが無難
餡汁より稲荷寿司
南正尺→南正雀
写真見て豪快に噴いた。否、ウィスキー逆流させて鼻から噴いた。<br><br>てめーwwwwwそこをどこだと略
わかっておるのですよ・・・まさかここだとはッ!<br>数日後にまた訪問します。その時は忘年会でもいたしませう